閑話 アンリエット視点 恋愛下手な主

ハンス様は学園が終わり、フラベルの寮に帰ってくるといつものように自主練を行っていた。

体幹トレーニングを軽く行ったあと、シュテルンを変化させたものでなく本物の剣を使って素振りをする。続いて寮に併設されているトラックを何周もハイスピードで行う。小さな変化を加えることもあるが学園にいる間は一日たりとも欠かしたことはない。

騎士科最優秀の実技はこのたゆまぬ努力のお陰で成り立っているのだ。


「今日は一段とお早いようで。何かございましたか」


素振りに集中していたハンスは振り向いた。

声の主は二学年下の側近、アンリエット・ミラージェス伯爵子息、熱量が高く没頭しやすいハンスが自主練中に返答を返す唯一の相手である。

ミラージェス伯爵家は高名な魔術師を多く輩出している名家で、それ故に剛勇な騎士が多いフラベル公爵領内では魔術系の要職を半独占している。

しかし、アンリエットは魔術師としての才覚よりも騎士としての技量の方が高かった。一応魔術科も履修しているが重心を置いているのは騎士科である。

それでも魔術師と騎士を両立している存在は極僅かであり、難易度は他の掛け持ちよりも格段に高いので、ハンスが一目置いている珍しい人だ。

側近の中では一番ハンスに近いので、いつもハンスが自主練をするのは次の日の講義の二回目の予習を終えたあと、つまりもう少し後だと知っている。


「プルデンシア嬢から、乙女心をもっと理解するように言われたんだ。パウリーナ様が楽しめるように配慮したつもりなんだがな」


私は驚きで両手に抱えていた教材を落とした。教材の角がつま先に当たって痛いがそれよりもハンス様の言動に意識が向いた。

どのように考えても、あのような行動で乙女心を理解しているとは思えなかったからだ。

お姫様抱っこの件はともかくとして、デートの場所を魔獣狩りにするのはあまりにも非常識で、私を含めた側近の誰一人としてハンス様から伝えられるまでデートだと知らなかったくらいである。


指摘したいがそこは冷静で有能な側近、もしかしたら魔獣狩りの中にデート要素を仕込んでいたと期待して何も言わずに先を促す。

ところが、私は仰天した。恋愛要素がひとつたりともない。普通に会話していただけの方がもっと女性がときめくような場面が生まれそうなほどだ。

ただ、ハンス様をよく知っている人が見れば愛情表現だと気づける点もあるが。

たとえば、パウリーナ様が快適に休める道具を用意していたことだ。ハンス様の荷物は基本的に魔術具と武器、戦いをするために必要な補給物資で埋まっていて他の騎士が快適に過ごせる配慮などない。

フラベルの貴族が見れば、好意を抱いている相手だと見抜けるが相手方からすれば強引に場所を決めたのだから当然だという印象しかないだろう。マイナスだった評価がプラマイゼロに戻るのが関の山だ。

他にも、槍投げの指導などは最早フラベルの騎士ですらもデートだとは思えない。


「それでは、フェリシス公爵令嬢がそのようにおっしゃるのも無理はないです。今回はパウリーナ様がハンス様の好意を汲み取ってくださったからよかったものの、人が違えば好意があったのか疑われるほどです」

「そんなはずはないだろう!私はパウリーナ様に休むための道具もしっかりと用意したし、休憩もいつもよりも多くとったぞ!」


私は主があまりに理解していなくて肩を落とした。ハンス様は誰よりも努力する姿とその熱量も合間って下の者を惹き付ける力があるから、騎士としても公爵としても優秀な人物になるだろう。

ただ、一つだけ残念なのが異性との関係性だ。恋に溺れるよりはましなのだろうが、騎士として優秀な部分が揃って裏目に出ている。

それでも公爵位を継承する方であるから、結婚相手は見つかるだろう。でも、このままではパウリーナ様が恋情を抱いてくれるとは思えない。


「そういうことではないのです!告白のあとすぐに、今まで接点がなかったにも関わらずデートの取り決めを行い、しかも相手の意思を聞かなかったことに問題があるのです。せめて、デート場所は相手に一任しなければいけない場面です」

「そういうことか。だから、プルデンシア嬢ももっとパウリーナの意思を聞き入れるように助言してくれたのか」


私は少しだけ暑くなって語った。ハンス様の思いが相手に正しく伝わるように手助けをしないといけない。

ハンス様は私の言葉に妙に納得した素振りを見せて、ポンと手を打ちながら言った。

私は「事前に指摘されていて気づいていなかったのですか!」と叫びたくなった。

それでも、一応側近なので喉まで出かかった言葉をぐっと堪え、代わりに溜め息を吐く。


「その通りです。ですから、次はパウリーナ様の意思を確認してから動くように心がけてください。ただでさえ、ハンス様は熱量が高くて慣れていない人には苦手意識を持たれることもあるんですから」

「そうだな。善処しよう」


パウリーナ様に配慮するということで話が終わって、私たちが訓練を行おうと剣に手を掛けたとき、文官の側近がやって来て、ハンス様宛の手紙だとだけ言って封をされたままの手紙を手渡した。

宛名を見るとフェリシス公爵に近い親族だけが使用を許される紋章が押されている。印の形が四角なのでこれは学園の事務室に置かれているもの、つまり公式文書にかかれるような印ではない。

文官が事前確認しなかったのは私的な手紙であり、ハンス様が恋慕なさっているパウリーナ様の出身領地のフェリシスだったからだろう。


「フェリシス公爵令嬢ですか?」

「いいや、パウリーナ様だ」


手紙の裏側にはパウリーナと名前が書かれていた。


「内容はどのようなもので?」


私は先を急かした。ハンス様の振る舞いに失望して、告白を断られる可能性があったからだ。


実際にパウリーナと接していればそうではないと分かっていただろうが、アンリエットはハンスの話づてでしかパウリーナのことを知らない。

ハンスの話を聞いている限りは大丈夫そうだったが、乙女心を理解していないハンスのことだ。

パウリーナの心の内は異なっている可能性がある、いや高いとアンリエットは感じていた。


「拝啓、ハンス様。手短にお伝えいたしますが次のデート場所は魔獣退治ではなく図書館などの静かな場所や学園の外にある街でのスイーツ巡り等を希望いたします。パウリーナより」


ハンス様は手紙の内容を包み隠さず音読した。

手紙の要約だけ伝えてくれという指摘はともかく、私はひとまず告白の断りの手紙でなかったことに安心していた。


「まあ、普通の話ですよね。魔獣退治の方に行きたいと言い出すハンス様が特殊なだけです。貴族令嬢のデート先といえば図書館で二人静かに行う勉強や流行りのスイーツを食べに行くことの方が多いでしょう」


かくいう私も自身が女性だったなら、こちらの希望も聞かずに強引にデート先を決めて、その場所がしかも魔獣退治な男性など権力がいくらあっても、政略結婚でもない限り付き合いたくもない。

告白を了承してはいないが、パウリーナ様にはデートを続ける意思があるようなので、もっと詳しく乙女心を理解している人に聞いた方がいいかもしれない。


「今日の自主練はここまでにして、流行に詳しい姉上からデート場所についての助言をいただくことにしましょう」


姉上は騎士ではなく魔術師なので、よりパウリーナ様に近い感覚での意見をもらえるだろう。

私の進言にハンス様がうなずくと二人とも剣をしまって寮の部屋のなかに戻った。

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