第6話 風邪を引きました
ハンスとの魔獣退治の次の日、わたしは風邪を引いてしまい寝込んでいた。咳などはほとんど出ていないのだが関節痛が酷く、熱も高かったので大事をとって休むことになった。
室内でなら軽く運動したりできると思っていたが、体を動かそうとすると痛むのでなにもできない。
はっきり言ってものすごく暇だ。
「アイナ、今日は高等文官科の試験があるから学園に行ってもいい?今日の試験はいつもの小テストとは違って大事なの」
「駄目に決まっています。お嬢様は風邪を引いているのですから。それに試験についてはプルデンシア様がエルネスティ先生に報告して後日試験の日程調整をなさるとおっしゃっていたではないですか」
「それは分かっているけど、暇で仕方ないんです」
いっそのこと気を失ってしまえば時間が早く過ぎるのだが、動けないのに目が覚めている状況が一番辛い。休もうにも試験の状況とハンスとの予定を決めるための紙を渡すはずだったことを思い出して眠れない。
眠れないだけならよかったが、あまりにも悩みすぎて頭痛が激しくなってきた。
「眠れないようなので、暖かいミルクを持ってきます。少々お時間がかかりますからそれまでは簡単な本を読んでいてください。決して頭が痛くなるような難しい本を読まないことです」
「はーい」
見兼ねたアイナがミルクを取りに寮の調理室まで行った。待っている間、わたしはアイナが去り際に置いていった子供向けの絵本を何冊か読んでみる。
本の内容は昔読んでいたものと全く変わっていないが受け止め方が幼女だった頃とは違っている。聖なる星の日に現れるとされる赤い服のおじいさんの話を子供の頃にはただわくわくしながら読んでいた。しかし、今ではプレゼントはどこから来たんだろうとか、どんな魔術を使って荷物を持ちながら空を飛んでいるんだろうとか考えている。
「わたしも成長してるんだなあ」
アイナの本の中には恋愛ものは無かったが小さな子供の頃に読んでいた恋愛の本を今読んだら違う捉え方をするのかもしれない。
もしわたしがハンスを好きになったら、本の王子さまにときめいていた昔のわたしとは違って、ときめくこともなくなるのだろうか?
(諦めるつもりは毛頭ありません。一度失敗したならば二度目、三度目に挑戦すればよいのです)
「ちょっと!わたしってば何を考えているの!?ハンス様がなん···痛っ!」
不意に脳裏をよぎったハンスの言葉と耳許で囁かれた感覚に思わず自分でツッコミを入れた。
その時に動いてしまった所為で、骨をぎゅっと握られたような痛みが走る。しかも、元の体勢に戻るときにはもう一度痛みが来ることが分かっているのでその体勢から動けない。
「お嬢様!どうなさったのですか!?」
「アイナ、昨日の記憶に驚いてしまって起き上がってしまったの。そうしたら、からだの痛みが強く来ちゃって動けなくなったの」
アイナは明らかにホッとした顔をするとわたしを介抱しながら痛みの少ない動かし方でベットに寝かせた。
ふわっとミルクの匂いがアイナの服から漂って、わたしが叫んで慌てさせてしまった所為でミルクを溢させてしまったのだと悟る。ミルクは溢れた最初こそいい匂いだが時間が経つにつれて臭くなってくる。
「驚かせてしまってごめんなさい」
「お嬢様が謝ることではありませんよ。動じてミルクを溢してしまった私が悪いのです。多めに準備していたことが幸いしてカップ一杯分のミルクはなんとか確保できているようです。後始末は全てお嬢様が寝ている間に魔術を使って済ませてしまいますから大丈夫ですよ。ですから、ミルクを飲んだあとは安心して眠りについてください」
多めに準備していたというのはおそらくアイナが飲むためのものだったのだろう。アイナが必死に気を逸らそうとしてくれるが申し訳なさが消えない。
「負い目を感じる必要なんてないですよ。昔、お嬢様が伯爵の大事にしていた壺に色塗りをして遊んでいたときのような気持ちでいてくだされば良いのですよ」
「その話はやめてください。恥ずかしいです」
あの時はなにも知らなくてお父様も笑ってくれていたから嬉しくて負い目なんて感じていなかったが、後々お父様が試行錯誤して壺を傷つけずに綺麗にする方法を探していたと知ったときには今ほどではないにしろ申し訳無さは感じていたのだ。
「お嬢様がそうおっしゃるならこの話は止めにしておきましょう。ですが、一度魔術を使えば後に尾を引くことなくきれいさっぱりと汚れを取ってしまえるのです。まずはお嬢様が風邪を直すことを最優先にしてくださいませ」
アイナはベットに横たわっていてミルクをカップから直接飲めないわたしにティースプーンを使って口元までミルクを持ってきてくれる。
時間をかけながらも飲みきった後は頭を冷やすためのタオルを取り替えて、眠るまで童話を暗唱してくれた。母親と子供のような感覚になった。
アイナの読み語り用の声は落ち着いていて、ゆらぎのようなものがあるのでとても安らかな気分になる。
だんだんとアイナの声が遠のいていって、物語の途中からは途切れ途切れにしか聴こえなくなった。
「お星さまは·····もう、お休みのようですね。お嬢様に癒しの女神の御加護がありますように。明日には熱が下がるといいですね」
童話の途中でパウリーナが眠りについていることを確認したアイナは語りを途中で切り上げると、そっとアイナの頭を撫でてから仕事に戻る。
一度簡易用のお仕着せに着替えてから、ミルクを溢した所を拭き始めた。ミルクの水分を乾いた雑巾で吸収した後、別の軽く濡らした雑巾にレモンの果汁を染み込ませた後に床を拭いて大まかな汚れを取りきった。
そして、シュテルンを構えて洗浄系の魔法の詠唱を行って手作業では拭き取りきれなかった汚れと臭いを残らず洗い流した。
彼女はパウリーナが快適に眠れるように快眠効果の高い匂い草を少し離れた椅子の上に置いて、そっと部屋を退出した。
彼女の仕事はまだ終わらない。パウリーナが快適に過ごすために奔走する。
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