第44話 雷雨

「陸、聞いてくれる?」


「どうした?」


夕方になった頃にふと結理が顔を出した。何やら真剣な顔をしている。

拗らせないといいけれど、と思うがそれは厳しいのかもしれない。


「好きってのは相手が幸せそうなことが嬉しいってことであってる?」


「・・それは愛じゃないか? 好きはもっと勝手なものだと思っている。自分の気持ちが中心でそれを相手に押し付けるようなものじゃないか?」


「愛?」


首を傾げるのも無理はない。自分だってまだなんとなくそれを感じているだけではっきりとは意味を見つけられていない。


「彩夜が言ってたじゃん。後のこと考えるとあーとかって・・おれの方が年上なのにわかってなかった。彩夜の育ったところってとってもいいところなんだよ。別の国みたいだけど、根っこのところは変わらなくて・・」


「それで?」


「彩夜はこんなところに来ない方がきっと楽しく暮らせる。近づかない方がお互いのために良いってことでしょう?」


どこか諦めも見える横顔。同時に寂しそうな。


「言いたいことはそうじゃないのか?」


「じゃあ、記録を見た彩夜が喜ぶような一生を送らないとね。結局おれは逃げないみたいだし」


これでよかったのか。彼女が望んでいるのは・・


「立派になったら良いのかな? まあ、どうにかなるってことかな」


「無理しても喜ばないと思うぞ」


ただ結理の未来の幸せを望んでいるだけ。

彼女からしたら別に結理がどんな職についてどう評価されようが関係ないのだろう。


歴史が記録のままではないことをちゃんと理解しているように見える。


「離れるのは慣れてるつもりだったんだけど・・・。うん、慣れてるから大丈夫。どうにかなる」


多分自分を守る為に幼い結理は離れ離れになっていった人たちの記憶を遠いところに隠したのだろう。またそうしないとも限らない。


「結理、一度隣の国のどこかに行ってみないか? 交流を始めないかという話がぼちぼち出ているんだ。気分転換にも良いかもしれないし、同年代がいるかもしれない」


「・・隣って色々あるけどどこのこと?」


「どこでも良いぞ。なんとなくで選んで行ってみれば良い」


偶然結理の兄弟が見つかれば運がいい。見つからなければ他の国に行けばいい。


「じゃあ・・山の向こう側に行ってみたい。色持ちがたくさんいる国があるんでしょ?」


「予定を調節しておこう。五日間ほどいくつもりでいてくれ」


「はーい」


返事がいいのはいいことだけれど、最近の結理はいい子すぎる。


「あのさ、今度魚を取りに行きたいんだけど・・いいかな?」


「魚? 良いが・・理由を聞いても?」


魚の泳いでいる川などいくらでもある。条件のいい場所を選んで行けば問題ない。


「ここの魚美味しくなくて。あ、調味料は美味しいと思うけどやっぱり新鮮なやつの方がクセがないから」


「行けそうな場所を探しておく」


ついでにたくさん運動して寝付きも良くさせて・・というかあれ以来毎晩のように寝かしつけに行っているのはどうしてだろう?

これではまるで親子のような・・保護者という意味ではあっているけれど。






「彩夜ー、彩夜ーどこー」


まだ薄暗く寒い朝から屋敷中に響く声。何事かと準備もそこそこに声の主の元へ行った。


「結理、どうした? 部屋にいるんじゃないのか?」


「だって・・」


結理の手には彼女が昨日の夜に着ていた着物。


「帰ったのかな・・。一言くらい言ってくれたらよかったのに」


「・・もし帰ったなら奏様が今日あたりにひょこっと出てくるんじゃないか?」


幼い頃に聞いた物語を思い出した。竹から生まれた美しい姫が月へ帰ってしまう悲しい物語。


姫は帰ることをわかっていたから男達と距離をとった。けれど最後に帝には不死の薬を渡して帰っていく。帝は悲しみ結局それも燃やしてしまう。


姫は本当はもう一度大事な人と会いたかったのではないだろうか?


「冷えるだろう? 中へ入ろう」


「あ、いいこと思いついた」


そんなことを結理がつぶやいた瞬間、なぜか悪寒が走った。

冬とはいえ体調は悪くない。いたって健康である。いくら今が早朝でとても寒くとも。


「・・・何を思いついたんだ?」


頼むから面倒なことはやめてくれと心の中で切実に願う。


「あっちが何かに利用しようとしてるんだからこっちだって嵌めてしまえばいいんだ」


元々色持ちの容姿は整っていることが多い。高い能力を持てば持つほど人間離れした作り物のような容姿になっていく。


「ねえ、陸、そうしようよ」


作り物の笑顔。いつもの彼ではない声。それにゾッとした。


無意識のうちに右手を振り上げて、振り下ろして・・パンっと音が響く。


「陸・・痛い。ダメなことしたかな?」


「・・悪い。痛かったな。冷やさないと・・」


平手打ちだったのがせめてもの救い。それでも頬は赤くなっている。

今はもういつもの結理なことに安心する。幼い頃から少しも変わらない表情。


「陸も、痛いの?」


力が欲しい。もっと強ければ、権力があれば。


「いや、大丈夫だ。・・・結・・理?」


目の前で彼の深い海の色の髪が薄くなっていく。懐かしい色。澄んだ水の色。綺麗な薄い青。


「どうかした?」


「その色・・どうして・・・」


「色? 何これ」


自分の髪を見て目を丸くしている結理。幼い頃の彼の色。


「結理、元の色に戻っただけだ。どこかに違和感があったりしないか?」


自分には色持ちの素質のかけらもないからこの不思議な現象はさっぱりわからない。


天花てんか・・」


急に虚な目になってそう呟く。何かおかしい。それは直感的に感じた。


「結理?」


天花。それは雪の別名。雪が天からふる花のように見えたことからそう呼ばれることもある。時期としては雪が降ることもあるが今日は降っていない。


「うあぁあぁぁー!!」


悲鳴のような絶叫が屋敷中に響き渡った。身を捩って声を上げて、部屋の隅へと逃げようとする。


「嫌だっ、痛い、怖い」


さっきまでの結理と同じ人物とは思えない。小さくうずくまって震えている。


「結理、落ち着け」


泣いた娘をあやすのと同じように抱きしめようと近づけばさらに震える。


「だれか、イヤダ、タスケテ」


足音が近づいてくるのが聞こえた。今ここに他人が入ってきたら事態が良くなるとは思えない。


「・・すまない」


無理やり捕まえて動かないようにする。まだ小柄な結理は簡単に捕まえられる。掴んでいる腕からも震えは十分伝わってきて・・振り上げた手を彼の首に落とした。


「兄上、何かありましたか?」


葉が躊躇いがちに顔をのぞかせる。


「わからない。急に混乱状態になったようだから・・気絶させた」


一瞬で落とす方法くらい学んでいる。こんなところで役に立つとは思ってもいなかったけれど。主人の精神を守るには意識を飛ばすのも、その場凌ぎとはいえいい方法である。


「・・起きたら戻っているといいが」


腕の中の結理は眠っている。寝顔を見るとまだ幼いのが良くわかる。


「兄上、手紙が届いています」


「誰からだ? 急用でないなら後に・・」


「結愛様という方からなのですが」


「持ってきてくれ」


もし途中で起きたとしても、結理はまだ文字が全て読めるわけではない。読めるのは記録に使われるような角角した文字だけ。手紙などの普段使う筆記文字は崩し文字だから四苦八苦で読んでいる。


「ここにしばらくいるのですか?」


「起きてもまだ混乱していたら心配だからな」


一番信頼されている自信はある。そこは自惚れてもいいだろう。


「城の仕事は頼めるか?」


「・・足元を掬われないようにお気をつけください、兄上」


結理にはどこにも傷はなかったはず。とても健康体で痛いところがあるなんて今まで聞いたことがない。


「書類仕事はする。表に出るのは頼めるか?」


「代わりに今度私にも結理さまと話させてください。兄上だけ仲良くてずるいです」


弟が何を考えているのかなんてわからない。一月に一度個人的な会話をするかどうかの仲なのだから。


「そう警戒しないでください。・・私達は兄上のことを嫌っているわけでもないし、むしろ好んでいるくらいなのをわかってます?」


「わかっている」


子供の頃はそれなりに交流があって、一緒に過ごすこともよくあった。葉のことは可愛がった記憶もある。


あの事件の日だって真っ先に弟達を隠しに向かった。


「星にもたまには会いに行ってくださいよ」


「流が仲良くしてるんだからいらない」


「星は嫌われてるんだって言ってましたよ。そんなことないですよね」


3人目の母によく似た末の弟。細くて弱い。勉強もまともにしていなければ、武術も習う気がない。少女趣味で着飾るのを好んで姫のように過ごしている。


「・・嫌いだ。あれと関わる気はない」


「星のお母様が原因なら、星にもと言うのは違うでしょう?」


「あの方のことはなんとも思っていない。星が・・」


嫌いで好きになれない。こんな子供っぽい気持ちをいつまでも引きずるのはいけないとわかっているけれど。


「葉には関係ない。星のせいでも無いから・・そうは言っておいてくれ」


「そうですか。

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