第35話 孵化2

一ノ宮邸の広い屋敷の離れの一室。


古屋とは比べ物にならないほどに立派で綺麗で、明るい場所。

蒸し暑くなり始めたこの時期でも、薄暗い屋敷の中には涼しい風が通っている。過ごしやすくてもどこか居心地は悪い。


「結理、何をしている?」


様子を見にきたらしい陸に咎められてしまった。今までバレないように掃除なんかをしていたけれど、陸は静かに歩くからやってきたことに気づかない。


「ちょっと掃除を」


「汚れていたか?」


「することが無いから、でも、これからはしないから大丈夫」


貴族は掃除なんかしない。こういうことは下男や下女に任せること。

わかってはいても、何もしないでぼーっと過ごすのは落ち着かない。


「そうではなくて・・、昨日渡した本は読んでみたか?」


退屈しないようにと色々なものを持ってきてくれる。楽器や、書物、囲碁盤なんかも。けれど、あいにく遊び方を知らない。


「漢文、あんまり読めない」


「・・悪い。午後は空いているから一緒に何かしようか。夏用の衣の布でも選ぶか?」


気を使われているのは十分伝わってくる。けれどそれに素直に甘えられるほど子供ではない。


「お下がりで十分だって」


「遠慮しなくていいんだからな? 私達が好きでやっていることだ」


今着ている着物だってお下がりとはいえ、前に着ていたものの何十倍もの価値があるもの。食事だってまるで違う。


「成長期がくる予定だから、来年には入らなくなってるだろうしこれでいい」


陸達はおれを守るためにここに閉じ込めているのはちゃんと理解している。

もう少しここでの生活に慣れるまでは、城の方へは行かなくていいと約束してくれている。


「仕事忙しいんじゃないの? 大丈夫?」


「4人兄弟だからなんてことない。あっちはうるさい長兄がいなくて清々してるんじゃないか?」


ここには陸や葉以外は誰も来ない。誰かにおれの存在を知られるわけにはいかないから。


「・・結理、何か隠しているだろうと妻に疑われているのだ。いくら言っても聞いてくれないから、ここに呼んできてもいいか?」


詳しく聞けば、女装をしてここに来てしまったせいで愛人を連れてきて囲っているのだと疑われているらしい。


「いいよ。おれのせいで夫婦仲が険悪になったら困る」


「助かる」


置きっぱなしにしていたものも多少は片付けて、綺麗にしておいた方がいいだろう。


「入ってもいいか?」


「どうぞ」


見える淡い色の着物。背が小さくて、小動物的な雰囲気の可愛らしい女性。その腕には小さな姫もいる。


「隠していて悪かった。この方を隠すために色々やっていて、決してやましいことがあるわけではなく」


「初めまして。陸様にはお世話になっております。この通り、男なので奥様の心配されるようなことはありません」


これでいいだろうか? 見様見真似の礼儀だけれど、どっか間違っていることがあっても陸がどうにかしてくれるだろうか?


「だから、本当に違うんだ」


「陸様、それで、どなたなのですか? お仕事関係で・・隠さなければならないとおっしゃるなら仕方ありませんが」


隠すことでもない。いづれは表へ出るだろうし、それに陸の奥さんなら外へ言うような人とも思えない。


とりあえず立ち話もなんだから、と座ってもらう。


「結理です。い、色葉、結理・・です」


「結理!」


「まあ、大きくなられましたのね! 最後にお見かけした時はまだとっても小さいお姿をしてらっしゃいましたのに」


昔会ったことがあるのだろうか? どこかですれ違ったことはあるような無いような。


ぐいぐい来られて、つい陸の後ろに隠れる。大人しそうに見えていたのに、見た目だけなのか?


「怖がらせてしまいましたか? 申し訳ありません。夫は結理様のことをよく話しておりましたから、無事に見つけられたようで安心しました」


「怖がってはいません。少し驚いただけ・・です」


悪くは思われていない反応に見える。怪しいとか思わないのだろうか?


「今年17・8歳になられるのでしたっけ? 流と同年代でしたよね?」


「ああ、・・少し成長が遅いみたいでな。このまま成長期が終わらないといいが」


どうしてなのか知らないけれど、色葉結理とおれは年齢がずれている。

陸にそのことを尋ねれば、大人の都合とだけ返ってきた。当時は元服していない陸も知らないことなのだろう。


「とーたま」


ずっとおとなしくしていた姫が手を伸ばしてバタバタしている。そろそろ退屈してきたのだろう。


「陸、おれより娘と遊んだら? おれは村でもずっと1人で過ごしてたから、気を遣わなくていいよ」


「そうですね。菜乃花なのか、お兄さんに遊んでもらいましょうか。陸様、良いかしら?」


「・・それは良いかもしれないな。結理、どうだ?」


菜乃花、それが陸の娘の名前なのだろう。随分可愛い名前をしている。陸、葉、流なんて名前とは大違い。


「こんなに幼い子と遊んだことないけど・・、菜乃花が嫌がらないなら」


村で暮らしていた時は、友梨や桜以外に寄ってくる人はいなかった。

髪を染めて、瞳も隠しているから怖がらせることも無いだろうか?


遠慮がちに、そっと小さな体に向かって手を伸ばしてみる。


「ゆーりたま!」


伸ばした手を小さな紅葉のような手が取ることは無かったけれど、危なっかしい足取りでこちらに近づいてきて・・


「あらあら、やっぱり若くてかっこいいお兄さんが好きなのね」


小さな体で膝の上によじ登ってくる。滑り落ちそうで危ないけれど、手伝った方がいいのか。そのまま待っていればいいのか。


「若いって・・確かに若いが、子供的な若いだろう? それともこういう顔が好みと?」


「でもほとんど会わないお父様よりも遊んでくれるお兄さん達の方がいいわよね?」


「菜乃花が起きてる時間と合わないだけで・・」


あの陸が奥さんに敷かれている。ついじっとその様子を見ていたら陸にしっかり睨まれた。


「ゆーりたまは、なのかのおじたま?」


「違うよ。でも、幼い頃に菜乃花のお父様がおれを面倒見てくれてたの」


「んー、わかんない」


これくらいの歳の子は何をすれば喜ぶのか。


小さくて、壊れそうで迂闊に触れるのも躊躇われる。


「子供というのは弱いですが、そこそこ丈夫ですよ。嫌だったらすぐに泣き出しますから、ニコニコしている限り大丈夫ですよ」


「菜乃花、ちょっとだけこっちに来て」


手を引いて、外に面した廊下へでる。ここならば安全だろう。


「よく見てて」


手を前へ出し、どこかの一点を指す。集中して、それをしっかりと思い浮かべて。


「えいっ」


宙にキラキラと輝く炎の花を浮かべた。それをどんどん足していけば、花畑のように広がっていく。


「すごーい!! きれい!!」


「おれの特技。綺麗って言ってくれたのは菜乃花が初めてだよ。見せたのも初めてだけど」


真っ暗な夜に、ちょっとでも辺りを明るくするために浮かべはじめた。


たまにある眠れない夜に手慰みに形を変えて炎を浮かべることを覚えていった。


「村でやって見せたことは無いな?」


「桜達の前でなら、幼い頃に何度か炎は出したことはある。でも、奏さんに止められてからはやってない」


やったのは彩夜の前だけ。

とても変わっている彼女なら問題ないと思ったから。


「不気味?」


幼い菜乃花にその感覚は無くても、大人の陸達には違うこともある。

社会の中では普通が一番。はみ出した者たちは淘汰されていくだけである。


「どうしてそうなる? そういう能力だったのかと思っただけだ」


「・・どういう意味?」


「結理は色持ちだろう? 容姿が違う時点でそれは知っていた。だた、まだ成長前で当時は分からなかったから」


「待って。色持ちってなに?」


村では聞いたことのない単語だった。

離れていると言っても、村とここは一日ちょっと歩けば辿り着く距離である。


「特殊能力を使える者たちの総称だな。大体、容姿に変わった色が出るからそう呼ばれる。この辺りには稀にいるが・・あの辺りでは知られてなくても無理はない」


きっと世界のどこかには同じような人が居る、あの狭い村では分からなかったこと。


胸の内側がほんの少し軽くなって、暖かくなった気がした。


「良くも悪くも特別扱いされるがな。そう悪くない対応をするよう決められてるから大丈夫だ」


「隠さなくても大丈夫?」


「結理様は色持ちだったのだから、変装するなら染めていた方がいいのかもしれないな」


知らないことが多すぎる。

ほとんどの知識はここにいた頃までしか入っていない。このままでは自分のことも他のことも何も分からない。


まして誰かを守るなんて程遠い。


「時間がある時でいいから・・文字教えて。それと本を貸してくれる?」


「ああ」


「私が教えましょうか? 菜乃花が一緒で良ければ私は手が空いていますから」


ぱあっと笑顔になり、また菜乃花の方を向いて何か話し始めた結理にはその後の言葉は聞こえることはなく、暑さを含んだ風にかき消された。


「私の主人はあなただけだ」


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