第22話 日常
「おはよう。彩夜ちゃん」
なんだかんだで、5月に近いこの日に入学式以来初めて中学校へ登校した。
その緊張は無駄と思えるくらい、普通に教室へ招き入れられる。
小学校から持ち上がりのこの学校はただのクラス替えのようなものだけれど、制服が変わったせいで雰囲気がかなり違う。
「みーちゃんおはよう。宙はいないの? 珍しい」
「さあ? 寝坊したんじゃない?」
いつものように学校に行って友達と話す。
「みーちゃん、私、昨日いつ帰ったっけ?」
「昨日は4時間目までだったじゃん。昨日のことも忘れたの?」
背筋が凍るような思いになる。
昨日までは過去の世界にいた。私はここには居るはずがないのに、周りはみんな居たという。
居なかった数日間、行方不明になったわけでも無く、何事もなく、私はここにいたらしい。
「そっか。・・私、保健室いってくるね」
「気が向いたら教室来なよー」
ほんの少し跡のついた新品の教科書。授業を受けたらしい私の文字のノート。受けていないはずの、最初のテストの解答用紙。
見覚えのない物が、帰ってきたばかりの私の部屋にはたくさんあった。
「先生、おはよう」
「あら、彩夜ちゃん。・・なにかあったの?」
保健室の先生には小学生のころからお世話になっている。学校で一番好きな場所。
多分そろそろ30になる若い先生がコーヒーを片手に立っている。そして薄い茶色の髪を揺らす。すこしツンとした表情が人気だとか言われているけれど、彩夜にとってはどうでもいい。
「先生、今日はここにいてもいいですか?」
「やっと中学生になったものね。堂々とここに居ていいんだしいいんじゃない?」
何がどうなっているのかさっぱりわからない。
「燈依先生は、昨日もその前の日も私のこと見ました?」
「珍しく来ないな、とは思っていたのよ。休んでないのにね」
「本当!?」
「そこに嘘つく必要ある?」
初めて会った、居ない間に私に会った覚えのない人。
「急にどうしたの?」
「・・先生はタイムスリップって起こりえると思いますか?」
「世の中不思議なことであふれているんだから、不可能ではないんじゃない?」
先生も見える人である。だから彩夜芽が話す事を何でも理解してくれる。
「そんな話を聞いたの?」
「んー、半分そんな感じ」
あの後、奏さんに連れられてどこかへ向かって歩いて、気づけば1人になっていた。
そこから何となく気になった方向へ歩いていたら見慣れた車道へ続いていた。
「燈依先生はタイムスリップするならどこに行きたいですか?」
「ずっと昔の・・千年以上前に行きたいかしら」
「何をしたいとかあるとか?」
「人探し。会いたい子がいるの」
燈依先生はいつものように私を見つめて優しく笑う。
「先生は歴史好き? それともファンの人がいるの?」
「どちらかと言えばファンかしら?」
これが日常、時期が来れば何かわかる。
そう思って、数日間の空白を埋めるべく、進んだ授業の分のノートと教科書を開いた。
・ ・ ・
「桜、持ってきた」
いつものよう麓まで降りて桜に頼まれていたものを届ける。
「結理、ありがとう。そこに置いといて」
「うん。・・・そろそろ梅雨来そう?」
早ければ梅雨になってもおかしくはない時期になっている。
「まだじゃない? もう来たら困るしね」
今日もいい天気だ。
彩夜のいる世界もこんなにいい天気だろうか?
あれからひと月が経った。奏さんは彩夜さえ望めばそう時間を置かずに来れると言っていた。
奏さんが強制的に何かしなくてもどういう仕組みか移動できるらしい。
彩夜は来ることを望まなかったんだろうか?
「結理、そろそろ都から役人の人が来るって。山から降りてこない方が良いかも」
「わかった。そうする」
この見た目から役人と関わると色々面倒だと幼いうちから桜に教えられている。
「その人たちが帰ったら教えに行くから」
「桜・・・着物の縫い方教えて」
「何で? 縫えるでしょう」
拭き掃除の片手間にこちらも見ずに言ってくる。ただ、声だけで感じるにすごく怪しまれている。
「違う。女物の着物は縫い方知らないから」
「・・・誰? 友梨? あの子は結理にはあげないからね」
棘のとてもある声。よく声だけでここまで威圧感を出せるものだ。
「友梨いらない」
「え? やっぱり好きな人でもできたの?」
急に手を止めてこちらを見てくる。何で女性という生き物はすぐそういうことになるんだろうか?
「違う。好きな人でもないし、彩夜のを縫っとこうかと思っただけ」
「故郷に帰ったんじゃなかったの?」
「そうだけど、そのうち来るだろうし」
それがいつなのかはわからないけれど、準備をしておくに越したことはない。
「そう。でも会えてもあと一回・二回くらいじゃないの? あんなにかわいらしい子すぐに結婚しそうだし」
「桜の方が良い歳じゃなかったっけ? 今17歳だろう」
彩夜曰く、そちらの世界は成人が遅いため自然と結婚平均年齢もこことは10年ほど違うらしい。
桜は適齢期ピッタリで、後何年か遅れると行き遅れになる。
「桜なら旦那さんをうまく敷きそう。誰でもいけるんじゃない?」
「結理も早く良い人見つけなさい。私に言うのはそれからにして」
「おれはこのまま大人になるつもりだからいいの」
何もかもこのままで、ずるずるとのんびり暮らしていたい。
「成人したらうちで面倒みてあげないからね!」
「・・・それは困る」
色々なものを融通してくれて、どうにか人並みの暮らしができているのは面倒を見てもらっているからである。
「それ本気?」
「本気。いつまでも私がここにいるとも限らないんだから」
文字は読めても、ほとんど書けない自分にはつける職もない。商人や職人は伝手が無いとなる術が無い。かといって、何か育てられる畑も持っていない。
「1人なら困らない、か?」
「気が変わった時どうするつもり?」
「その時どうにかするって」
「名前、結理なのよね? 結ぶに
そんなことを聞かれても、ここに来た当時に着ていた服の裏にそう刺繍されていたから、というだけで本当の名前かどうかは知らない。
「桜がそう言ったんだろ」
「その服、まだ取ってるんでしょ。こんど貸して、用事が終わったら返すから」
「どうぞー、どうせ仕舞ってるだけだし」
「ほら、早く帰りなさい。やることあるでしょ」
いつものように一人で山道を登っていく。
時々、見つけた食べれそうな物を収穫しながら。
「ただいまー・・」
扉を開けてそう言っても、古い木の板にその声は吸い込まれていくだけ。
もちろん返事は返ってこない。
「響紀さんのとこいこうかなー」
聞こえてくるのは鳥の声と虫の音だけ。
いつものように一人籠を背負い、響紀の家までの、すでに行き慣れ始めた道を進んでいった。
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