第2話 ナヌカの兄

 ある時、家に帰ると、部屋に男がいた。若くて、ナヌカと同じ25歳くらいに見えた。色黒で、目が黒目勝ちで、ギラギラしていた。鼻が大きくて、横に広がっている。ナヌカと比べると顔に品がなかった。


「弟」


 俺はほっとした。

 それから、弟は俺の部屋に住むようになった。出て行って欲しかったが、弟を追い出すのも可哀そうだから黙っていた。二人とも働かないで家にいた。俺が帰って来ると、大体弟の方が外出していて、ナヌカだけしかいなかった。そんなこともあり、俺は我慢できたんだと思う。


 俺は一緒に住むようになって、1年以上経ってから、初めてナヌカの手を握った。彼女は恥ずかしそうにしていたが、俺が「キス」と言って唇を指さすと、「ダメ」と言われた。きっと、貞操観念がしっかりしているからキスもしないんだと思った。でも、手を握るのは嫌がらなかった。彼女の手は滑らかで、冷たかった。


 それからは、いつも手を握るようになった。一緒に買い物に行く時、二人で部屋にいる時。俺はちょっとだけ幸福になった。


「好きだよ」と言うと、ナヌカも「好きよ」と答える。プラトニックな純愛。この世に自分なんかを好きでいてくれる人がいるという奇跡。俺の動物のような汚れた欲望を、ナヌカのように清潔な人にぶつけるのは罪のような気がした。俺も気が付けば50に差し掛かり、性欲も若い頃と比べると半減していた。でも、子どもは欲しいなぁ・・・と、ぼんやり思っていた。


 そのうち、ナヌカの弟が女を連れて来た。

「彼女」と言っていたが、その人はちょっと日本語が喋れた。ベトナム人で研修生で日本に来たが、あまりのブラックぶりに逃げて来たらしい。行くところがなくて困っていた所、ナヌカの弟のテマリに誘われてうちに来たらしい。あんな男と付き合うなんて、もったいないなと思った。清楚な感じの美人で、俺は密かに恋心を抱いていた。しかし、仕事をなくしたら不法滞在なんじゃないか・・・そんな人をかくまっていることが警察に知られたら、俺も罪になるんじゃないか。でも、故郷に帰ったら、満足に食べることもできないと言う。俺はかわいそうになってその女性、ランの同居を許した。テマリはランと一緒に風呂に入っているから、お風呂で性行為をしているようだった。部屋の中ではしなかったのが、せめてもの救いだった。ランが来てから、テマリが部屋にいる時間が増えた。6帖に4人はかなり狭かった。俺とナヌカが一緒に寝て、テマリとランが一緒に寝ていた。


 テマリはタバコをよく吸っていた。そして、うとうとしてしまうらしく、彼の布団はタバコで焼けてシーツに穴が空いていた。火事になると困るから、俺は「No.タバコダメ」と言うのだが、彼は「一本だけ」と言い訳して、吸い続けた。ナヌカはタバコなんか吸わないし、大人しいものだった。一緒に寝ているからハグもするが、それ以上はなかった。


 シングルベッドで寝るのは窮屈だった。さすがに、狭くなって来たので、俺は引越そうと思っていた。すると、同じ時期に不動産屋から、アジア系の外国人が出入りして怖いと苦情が出ていると言われるようになった。俺は15年住んだその部屋を引越すことにした。敷金は戻って来なかったし、さらに追加の修繕費も請求された。


 俺は隣の駅に一戸建てを借りた。間取りは2DKだった。駅からちょっと離れていたから、前のアパートと家賃は変わらなかった。居室はそれぞれ、俺とナヌカの部屋と、テマリと彼女の部屋にした。ナヌカの住民票が取れないから、不動産屋には俺1人で住むと嘘をついた。


 すると、テマリがもっと多くの人を連れてくるようになった。家に帰ると、ダイニングに男がいつも3-4人いるようになった。みんな気さくに接してくれて、すっかり仲良くなった。彼らは家に帰らず、うちのダイニングの床に寝るようになった。みんな日本語が片言で、ずっとミャンマー語で話していた。


 ナヌカは相変わらず日本語がうまくならない。アニメをよく見ているから、少年漫画のセリフのような不自然な日本語を話していた。クレヨンしんちゃんも好きで、俺のことを「さとし~」と、しんちゃん風に呼んだりしていた。


 そのうち、ランが妊娠してしまった。保険証がないからどうするのかと思っているうちに、気が付いたら腹が大きくなっていた。どうしたかと言うと、ネットで子どもの取り上げ方を調べて、俺の家の風呂場で出産。生まれたこどもは病院の玄関に捨てたらしい。ランはしばらく泣いていたが「育てられないから仕方ない。捨てれば施設に入って、日本の教育うけられる」と言っていた。日本語がうまいなぁ、すごいなぁと感心した。普段は売春をしていたようだが、売り上げの半分はテマリに取られていた。そのうち、彼女はいなくなった。多分、お客にかくまってもらってるんじゃないかと思った。その方がいいだろう。


 ナヌカはうちに出入りしている男とたちと気さくに話していた。俺もそんな風に彼女と話したい。はっきり言って、旦那の俺よりも友達たちとの方が親しいのだ。



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