第16話 ごまかし
話を区切り、ジャーマンポテトをつまむ。冷めきった芋が喉に引っかかり、私はコップの水を流し込んだ。
「なるほどね……」
瀬名ちゃんが小さく呟く。
「壮絶」
「うん」
「てか、その男まじで気持ち悪いね。独り占めできるとか……なんか何もかもが鳥肌」
「ね」
「今は連絡とか来てない?」
「うん。連絡先も全部切ったし、住んでる場所は親にも言ってないから大丈夫。……けど、高校の間はストーカーっぽくなってたかな。まぁ、家が隣だからストーカーも何もないんだけど。部屋に忍び込まれたりとかはあったかも。家に誰もいない時間帯とか把握されてて」
「…………」
瀬名ちゃんが絶句する。私は思わず瀬名ちゃんを見つめた。
「ふふ、思ってるよりやばいでしょ?」
「……笑わなくていいよ」
低い声だった。
「え?」
「無理して笑わないで……。怖かったでしょ。今だって夢に見るくらいなんじゃないの」
そう言って、瀬名ちゃんは私の頬を両手で包み込んだ。温かい手。頬が強張っていたことに、私はようやく気づいた。
「青ちゃん。ごめんね、辛いこと話させて。今までも無神経なこといっぱい言ってごめん。私も、似たような経験してるのに、なんで、つらい気持ち思い出せなかったんだろう。ほんとにごめん。許してとか言えないけど、だけど」
「瀬名ちゃん」
瀬名ちゃんは泣いていた。強くて自信にあふれた女性。それが今まで持っていた瀬名ちゃんに対するイメージだ。しかし、目の前で身体を縮めて涙をこぼす姿はまるで別人だった。中学生の頃の私を思い出す。真からの最悪の告白を聞いて震えた日の怒りと恐怖。いつの間にか部屋の中に潜んでいた真に、襲われかけた後の虚無。誰にも助けを求められない苦しみと孤独。あの頃知った、本当なら知らなくてよかったはずの感情の数々が、あまりにも鮮やかに蘇った。底なしの沼に沈んでいたあの頃の私が、目の前でうずくまる瀬名ちゃんの姿に重なる。そっと抱きしめる。
私は瀬名ちゃんの恐怖も、同時に引きずり出してしまったのかもしれない。
「ごめんね。ごめん……」
瀬名ちゃんは謝り続ける。誰に向けた言葉なのだろう。いつかの恋人か、友人か、家族か、それとも自分か。少なくとも瀬名ちゃんは今、私という存在を忘れていた。過去に呼び戻されていた。
こういうとき、ただ抱きしめて背をさすることしかできない自分がもどかしかった。
外では空が明るみ始め、晩夏のひぐらしが鳴いている。夏の終わりを惜しむような切ない声だ。心臓を弱く掴まれるような心地になる。
涙が頬を伝う。私のものか、瀬名ちゃんのものなのか、もはやわからなかった。狭い木造のワンルーム。楽譜や空き缶が散らばり、寒々しいのにどこか暖かい。私の家。私たちの大切な場所。
一度刻まれたトラウマは、そう簡単には消えてくれない。これからどこへ行こうと、誰と語り分かち合おうと、いつまでも心の奥深くからゾンビのように蘇り続ける。だから私たちは、ごまかしながら生きていくしかないのだ。時にはお酒で、時には笑顔の仮面で、時には精いっぱいのハグで。
夜が明けていった。
音楽東京 深澄 @misumi36
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