第15話 知りたくなかった感情
彼が私に向ける感情を知ったのは、中学の頃だった。
隣の家に住む一つ年上の幼馴染。中谷
女の子が好きなおままごとやシール交換に興味はなく、そんな私を母は心配した。しかし、そのせいで女の子にいじめられる、というような経験はなかった。小学生の内は。
中学に上がると、自然に男女が分裂し始めるというのは、全国津々浦々で見られる現象だろう。私の地元も例外ではなく、男女は互いを苗字で呼ぶようになった。女子は男子を馬鹿にするようになり、男子は女子に順位をつけたりし始めた。それでいて恋愛がさかんになるので、男子と仲の良い女子は白い目で見られるし、女子と仲の良い男子はからかわれる。
それなりに容姿の整っていた真は、女子から人気を集め、幼馴染の私は、しょっちゅう仲を取り持ってほしいと頼まれた。うんざりしながらすべての頼みを聞き流していると、次第に私は女子から疎まれるようになった。
――峯石さんって中谷くんのこと、好きなんじゃない?
――幼馴染だからって、ひとりじめできるとか思ってんのかな
――恋愛興味ないみたいな顔しといて、実はゴリゴリじゃんね
――だいたい胸もでかいしさ、男たらしこんでるんじゃないの
思い出すと鳥肌が立つような言葉の数々が、私のいないところで囁かれた。どうして陰口というのは、陰のままでいてくれないのだろう。どういうわけか、私の耳にはすべての陰口が聞こえてきた。自分が学校の中で地位を失っていくのが、全身で感じられた。
それを助けようとしたのが、真だった。
真は、ひとりで家に帰る私を呼び止めた。一緒に帰ろう、とぎこちなく笑い、私は怯えた。誰もが見ている中、人気者の真が邪魔者の私に手を差し伸べる。人生が終わると思った。だから、私は逃げた。
「余計なことしないで」
傷ついた表情を見て一瞬後悔はしたが、私は真を睨みつけて走り去った。もう私に関わらないでほしかった。真が私を嫌ってくれれば、私は妬まれなくなる。誰にも話しかけられなければ、陰口を叩かれる理由もなくなる。
しかし、私の考えは甘かった。真はいつでも私を助けようとした。体操服を隠されたとき。返却されたノートが落書きまみれだったとき。夏期旅行の班分けで、誰にも仲間に入れてもらえなかったとき。いつだって、まるでアニメのヒーローみたいに、真はクラス全体に対して怒りをぶつけた。
「誰だよ、これやったの」
「俺の幼馴染だぞ」
何度やめるように言っても、真は目をそらして笑う。
中学二年の冬、プール清掃があった。ヘドロのようなものが浮かぶプールに、私は突き落とされた。「おい!」と真が叫ぶ。同じ班だった女の子たちの、甲高い笑い声。このまま死んでやろうかと思った私の腕を、真は強い力で引き上げた。またか、と私はうんざりする。蔑むように笑う女の子たちの視線が身体にまとわりつく。その視線と同じくらいに鬱陶しい、汚れ切ってべとつく水を手で拭っていると、真は目をそらしながら、大丈夫かと尋ねた。そうやって、いつも目をそらすところも嫌いだった。私は冷めた声を投げつける。
「わざとやってんの?」
「え?」
「あんたが私を助けるほど、私はいじめられるんだよ。見てたらわかるでしょ」
「……うん」
「じゃあなんで? そんなに私のことが嫌い? もう関わんないでよ。迷惑」
「ごめん、でも、逆だよ」
「は?」
「好きだから」
全身が凍りついた。好き? 私を? 真が? どういう意味で?
「好きだから、助けたい……ってのもあるけど、青がひとりだったら、俺が、青を独り占めできるし……」
久しぶりに、おそらく一、二年ぶりに、目が合った。そのときの真の目を、私は忘れることができない。確かな悦びと支配欲をにじませた目だった。濡れた髪が張りついた私の首筋に、真が触れる。恐怖で身がすくむ。もう一方の手が私の胸に伸びていると気がついたとき、私は真の頬を思い切り殴りつけた。心の底から気持ちが悪かった。飽きもせず私をいじめつづけるクラスメイトよりも、真を怖いと思った。
「無理。キモい」
掠れる声で発することができたのは、たった二語だけだった。
唯一よかったことがあったとするならば、いじめがなくなったことだ。一部始終を見ていた女の子たちが、真の本心を知って気持ち悪いと思ったのか、嫌われたくないと思ったのか。何はともあれ、中学三年生の間は、真を避けることだけに苦心すればやり過ごせた。もちろん心に巣食った恐怖は消えないままだったが、それでも私は、ただの友達のいない女子生徒として中学を卒業した。
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