第16話
「どうぞ、こちらへミサキ様」
黒鵜に言われ、ミサキは仕方なく黒鵜の後へついて歩いた。
屋敷を抜け、頂上の見晴らしのよい場所にぽつんと建っているプレハブ小屋だ。
「ここは?」
「集会所です。島民には祈りの部屋と呼ばれています」
「え? こんな粗末な場所で? さっきの宮殿のようなお屋敷は何の為?」
「お布施の出来ない者はこちらで祈りを捧げます」
「お金のない者は宮殿には入れないってわけか」
「そうですね。お布施の額によって天真様に、そして天真様に認められてた者がカリヤ様にお会いになれます」
「カリヤがイタイノイタイノトンデイケ教の教祖様?」
「さようで」
「ふーん」
黒鵜が軽いサッシのドアを開けると、むっとする熱気が溢れだした。
ミサキは中を覗いてから、嫌な顔をした。
「死臭がするわ……クーラーもないのね」
ミサキは見るからに暑いプレハブへは足を踏み入れようともしなかった。
「誰も聞き耳を立てておりません」
と黒鵜がすました顔で言った。
「そう、それであなた、何者なの?」
「私はエミ様の忠実な部下です」
ミサキは十八年前に別れたっきりの妹のエミの顔を思い出そうとしたが、レン同様、はっきりとした顔は思い浮かばなかった。かすかに幼い泣き顔が脳裏をよぎった。
「……この間、レンに会ったわ。十八年ぶりに。レンから伝わったの?」
「この島に私が潜入したのは別の任務です。ですがレン様からあなたを保護するように言いつかりました」
「そう……クルーザーってあれでしょう? 豪華客船みたいじゃない」
ミサキはキラキラと光る海を見下ろした。
遠くに大きな客船がいるのが見える。
「はい、エミ様はあなたとの再会を楽しみにしておられます」
「エミはずいぶんと金持ちの家に貰われて行ったのね?」
ミサキが黒鵜を見ると、
「織田財閥をご存じですか?」
と黒鵜が言った。
「知ってるわ。凄いじゃない。そんな家に貰われたの?」
織田グループは日本経済においてありとあらゆる分野で活躍する大企業だ。政治経済、医療、福祉、建築業、不動産業、ホテル業、IT業など、どの分野でもトップシェアを誇る。
エミは施設から引き取られた多くの子供達のうちの一人だった。
日本有数の財閥、織田家では優秀な子供を集め教育していた。
勉強でありスポーツであり、芸術家であり、医療界であり、科学者であり、政治であり、福祉であり、様々な分野で成功する事を条件に引き取られた優秀な子供達が織田には大勢いて、エミはそんな子供のうちの一人だった。
織田財閥のお眼鏡にかなわない子供はすぐに切り捨てられる。
代えの子供はいくらでも施設から引き出せるからだ。
それをすぐさま理解して織田の組織に忠誠を誓い、トップに上り詰める努力をした者だけが織田を名乗る事を許されるのだった。
「織田にはいくつもの組織がありますが、エミは様ある部門のトップにいらっしゃいます。その部門内に籍を置く者は誰もエミ様に逆らう事を許されません。皆、忠実なエミ様の僕でございます」
「そ、そうなんだ。レンも織田なの? え、でもこないだ岩城って名乗ったわよ」
「養育が岩城がしましたが、レン様も織田の一員でございます。今は現場勤務ですがいずれ警察機構でのトップになるお方です。織田が勢力を尽くしてそうしてさしあげますから」
「へ、へえ」
とミサキが言って笑った。
「ひもじい思いをしてなかったらよかったわ。知ってるんでしょう? 私達の子供時代の事」
「はい」
「よく織田みたいな財閥の子になれたわね」
「有能な子供は財産でございますから」
「そっか、エミもレンも幸せならよかったわ……それなら私みたいな姉がいたら迷惑よね。心配しなくても集りになんかいかないわよ」
「とんでもございません。エミ様はずっとミサキ様をお捜しになっておりました」
「よしてよ。レンから聞いてるんでしょ? 私は人を壊す事に何の罪悪感もないし躊躇もしない人間よ?」
ミサキがそう言いながら黒鵜を見たので、黒鵜は少しだけ後ろに下がった。
黒鵜は柔道で世界に挑んだ事もあり前身は自衛官という強者だが、全てを捨ててエミに仕えたのはエミの邪悪な瞳に捕らわれたからだ。
ミサキの瞳から発せられる光はそのエミを超えた魅力的な悪だった。
「お、お会いになれば分かります。エミ様があなたとの再会をどんなに望んでおられるか。長い間、あなたを探しておられたのです」
黒鵜はようやくそれだけ言って、肩で大きく息をした。
「ここで会ったのは偶然じゃないわよね? でも私、イタイノイタイノトンデイケ教は好きじゃないわ。半漁人の嫁になんかならないわよ?」
ミサキの言葉に黒鵜はくすっと笑った。
「もちろんです」
「……エミやレンがやる事に何の反対もしないわ。宗教でも何でもご自由に。でも私はこの島は好きじゃない。この島を出るまでに何人か殺してしまうと思うわ。エミがやってる宗教を邪魔して悪いけど」
黒鵜はにやっと笑ってから首を振った。
「天応教神会は織田カリヤが代表でございます」
「そうなの? でも織田財閥の手の内って事なんでしょう?」
「はい、あまり詳しい事は私の口からは申し上げられません。エミ様から直接お話になられるでしょう」
「そう、でもあんまり興味ない……」
と言いかけたミサキの耳に足音が聞こえた。
黒鵜は黙って頭を下げて、すぐにその場から離れた。
はあはあと息荒く斜面を登って来たのは碧だった。
「西原さん」
「先輩……すみませんでした。私、こんな事になるなんて……」
ミサキの顔を見るなり、碧は半泣きの顔になった。
「あなたのご両親……それにこの島の人達、変わってるわね。離島だからといって、常識があまりにおかしいわよ」
「はい……私もそう思います」
その半泣きの顔を見ながら、ミサキは碧も少し半漁人顔だという事に気がついた。
目が離れていて唇が分厚く、少し尖った顔をしている。
「昔からそうなの?」
「いえ、私が大学に入るまでは普通……確かに信仰や碧き者の末裔と古い洞窟の伝説を真面目に信じる人達でしたが、こんなに……」
「碧き者末裔って何?」
「私も詳しくは知らなくて……でも私達、この島の人間は皆、碧き者の末裔らしいです。昔から大人達はそう言ってました。選ばれた民だとか、でもそれも伝説的なお話だと思います。子供の頃から伝説や民話はたくさん聞かされてました。でもまさか、人を食べるようにまでなるなんて」
「人を?」
碧の目から涙がこぼれ、我慢していた感情が一気に噴き出した。
前回の帰省の時に人の四肢が千切れ、それを嬉々として食っていた島民。
その中に幼馴染みや恩師がいたと事を碧は一気に話した。
「拝んだら手足が千切れたですって?」
「はい……」
「そしてそれを食べたんだ」
「はい……先輩……この島から出ましょう。翠もここに連れてきてるんです」
「船は? 動かせるの?」
「見よう見真似ですが……」
「そうね。関わり合いにならない方がいいかもね。大勢でうろうろしたら目につくわ。それぞれに抜け出して、港で待ち合わせましょう」
「はい、じゃ、翠を連れてから行きます!」
袖で涙を拭き、碧は決意のある瞳でミサキを見てからまた元来た道を下って行った。
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