第14話
翌朝、碧は頬を叩かれて部屋の隅にふっ飛んだ。
「お姉ちゃん」
翠が駆け寄って碧に縋り付く。
「生意気な女を連れてきよって! あんたぁわしにの顔に泥を塗ったぞ!」
碧の父親は酷く怒っていた。
ミサキが逃げ出した事で嫁取りの宴は失敗に終わり、親戚達は手際が悪いと文句を言い、従兄弟の千吉にも皮肉を言われて面目が丸つぶれだった。
代わりに翠を嫁に寄越せと詰め寄られ、返答に窮しているうちに、今度は大吉が碧はおれの嫁だと言い、また揉め出す始末。
もう一度ミサキを連れてくるからと何とか親戚一同を帰してからは疲れ果てて眠ってしまたが、一夜明けた翌朝、父親は碧に八つ当たりの暴力を振るった。
「で、でも、だいたい無理なんだよ! いきなり嫁になれなんて、しかも千吉おじさんってもう六十じゃない。都会の若い娘を嫁に欲しいなんて……無理だよ」
碧は頬を押さえ涙ながらに訴えたが父親も母親もそれにはぴくりとも反応せず、視線の合わない目は遠くを見ている。
「お前がもう一度あの女を連れてこれなんだら、翠を寄越せと言われとるからな。そんでも仕方ねえからな」
「そんな! お父さん、翠は小学生だよ!?」
「仕方ねえさ」
と言ったのは母親だった。
「わしらはずっとずっと守ってゆかねばならんからな」
「……何を……小学生の娘を年寄りに嫁がせて何を守るのよ!」
「イタイノイタイノトンデイケ様じゃ……深い碧き者の宝じゃぁ」
と父親が言い、急に部屋を出て行った。
「お宝じゃあ、わしらは守らねばならんのじゃあ」
と母親も父親の後を追い、部屋を出た。
すぐ隣の和室にある祭壇の前に座って、二人は一生懸命に声を張り上げて、
「イタイノイタイノトンデイケ様ぁ」
「イタイノイタイノトンデイケ様ぁ」
と唱え始めた。
碧と翠は恐ろしさで片隅で抱き合って震えていた。
両親はすでに違う何者かになってしまっている、と感じた。
田舎者だが優しかった父と郷土料理が得意の母は消えている。
祭壇の前で必死に唱えている半漁人のような二人は両親だが、両親ではないのではないか、誰かに乗っ取られたのではないか、と碧は思った。
「翠、行こう」
と碧は翠の手を取って立ち上がった。
「お姉ちゃん、どこへ?」
両親の読経がふいに止んで、二人がぎょろりとした目で碧を見た。
「あ、あの……ミサキ先輩を探してくる……」
碧がそう言うと、両親は再び読経を始めた。
碧は財布と携帯電話を鞄に入れて家を出た。
「翠、逃げよう。内地の伯父さんちに行こう。内地に行ったら、お父さん達もきっと追ってこないよ。基本、島から出るの嫌がってるみたいだし」
「でも……船、動かせるの?」
「分かんないけど、やってみる。でも、その前にミサキ先輩を探して……謝っていっしょに帰らないと、あたし達が逃げたら、ミサキ先輩がどんな目に……」
そう言いながら碧の身体は震えていた。
恐ろしいのは嫁取りの話よりも、先日見たあの光景だった。
集会所で集まった時の儀式だ。
一心不乱に読経する中で飛んだ誰かの手や足。
さらにそれを嬉々として食らう島民の姿。
戻ってこなければ良かったとは思ったが、翠を放っておけず、ミサキを巻き添えにしてしまった事を碧は悔いていた。帰って来ず、警察へ駆け込めばよかったのだ。
真夏の島は天気が良く、青空も海も素晴らしく美しいブルーだ。
ガイドブックに載っているような綺麗な景色だが、中身は恐ろしい人喰いの島。
碧は途方に暮れながら翠の手を引いて家を出た。トボトボと歩く二人に近隣の者が声をかけてくる。
それは右目部分に分厚いガーゼをし、包帯でぐるぐる巻きにした三郎だった。
「あんたんちから逃げ出した女ならぁ、天真様がお連れになったぞ」
「え? ミサキ先輩ですか?」
「ああよ、ひでえ女だ。わしぁ、あんな女は嫌でな。これ見ろ、この目の傷、あの女にやられたぞ」
「え……そ、それで、今どこに?」
「天真様が上の屋敷にお連れになったぞ」
三郎が指さした方向は港とは反対の山中の方だった。
遠目だが碧の目にもこの小さな離島には似つかわしくない大きな屋敷が建っているのが見えた。
「本当ですか、翠、行ってみよう」
「うん」
翠の手を引いて歩き出し碧の背中に三郎が、
「お前らも早く逃げないと、嫁取りされて終いにゃあ、碧き者の末裔に食われるぞ」
と言った。
「おじさん……」
碧が立ち止まり、驚いたように三郎を振り返った。
「娘も孫も……食われた。わしはそれでようやく目が覚めた。だが他の奴らは何も考えてねえ。お前の親父もただ天真様にお仕えしてればええと思うとる。それで幸せじゃとな。わしは……娘や孫がいのうなった今、幸せなんぞ意味ねえ。それが皆、分からんのじゃ。皆、天真様の薬で……おかしゅうなった。なんでこんな事になったんじゃろなぁ」
三郎は悲しげな目で碧を見た。
「薬って……?」
「何の薬かは分からん。天真様は体内を浄化すると言ってたけどな。康夫なんぞは菓子を食らうようにボリボリ食っとるわ。あれを飲み始めてから、皆の様子が変わったんじゃ」
「おじさんは飲まなかったの?」
「ああ、わしは錠剤は喉につまるから好かんのじゃ。飲んだふりだけじゃ。けど……それから皆がおかしゅうなってしもうたような気がするんじゃ」
「でもおじさんもイタイノイタイノトンデイケ様を拝んでるんでしょ?」
「まあな、わしはもうええ。皆と一緒にこのままじゃ。そやけど、お前らはまだ若いしな。出来るなら逃げたがええぞ」
三郎はそう言って碧と翠に背を向けた。
「おじさん、ありがとう」
碧は三郎の背中に礼を言ってから、山の上の屋敷の方へ歩き出した。
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