第12話

 追いかけてくる気配がないのでミサキは暗闇で立ち止まり、泥を払って靴を履いた。

「港へ行くか」

 とミサキは呟いた。

 うろ覚えだが港の方へ行こうと歩き出した時、

「これは勇敢な」

 と声がした。

「は?」

 ぽっと暗闇に灯りが一つ点いた。

 提灯が浮かび上がり、それを持つ男とその背後に立つ男がいた。

「誰?」

「天真様の御前で無礼な!」

 と提灯男が言い、天真が笑った。

「そう言うな、他所から来た人間だ」

 ミサキは小さな灯りを頼りに天真と名乗る男を見た。 

 真っ白いカンフー服のような衣装を着ている。

 提灯男は紺色の上下だ。

「嫁取りの宴に招かれたが、千吉は嫌われたようだな」

「もしかしてイタイノイタイノトンデイケ教の方?」

「はっはっは」と天真は笑い、

「この島では皆がそう呼んでいるが、正式名称は天応教神会、教主であるカリヤ様の教えを護り、ささやかでも人類の幸せを追求する団体だ」

 と言った。

「あの家の人達が言ってた宗教ね。イタイノイタイノトンデイケと唱えたら幸せになれるの?」

「むろん、それだけではない。だがこんな暗闇で立ったまま語る物でもない」

「そうね、じゃ、さよなら」

 とミサキは言った。

「待て、島の者を敵に回しては船は出ないぞ。こんな夜に素人が船を出して無事に本土まで戻れるとも思えないがな」

「じゃあ、あなたが本土に帰る時に連れて行って下さらない? 私はくだらない宗教にも千吉とやらにも興味ないわ」

 そう言った瞬間に、ミサキは肩を酷く強く叩かれた。

 提灯男が長い棒でミサキの肩を叩いて、

「無礼者め! 天真様の御前だと言っておろう! 頭を下げろ」

 と言った。

 不意打ちにミサキはがくんと足が折れて、地面に膝をついてしまった。

 肩を長い棒で押さえられ膝をついた体勢はまるで天真にひれ伏しているようだった。

 提灯男が「へっへっへ」と笑いながらミサキのすぐ側まで来て、

「天真様の御前で生意気な女だ。確かに西原には扱いきれんじゃろな」

 と言いながら、かがんだ姿勢でミサキの顔に自分の顔を近づけてきた。

 ミサキは提灯男を睨みながらリュックサックの前ポケットに手を突っ込んだ。

 ミサキがその手を出した瞬間に提灯男の目にハサミが突き刺さった。

「ぎええええ」

 と提灯男がよろけて後ろへさがり、ミサキの肩を押さえていた長い棒がカランと地面に落ちた。

 ミサキは素早く立ち上がり、長い棒を拾った。

 提灯男は片目を押さえてミサキの方へ振り返ったが、気力は失せたようで天真の後ろへ隠れようとした。

「あら、天真様の後ろに隠れるなんて駄目じゃない。身を投げ出しても天真様を守るのが信者の役目じゃないの?」 

 ミサキは血と体液がたらりと糸を引いているハサミを突き出した。

「あんたが千吉の嫁にならなんだら翠がなるぞ。碧を千吉の嫁にするぞ」

 と提灯男が手ぬぐいで片目を押さえながら言った。

「まあ、おめでたいわね」

「小学生やぞ」

「あなたはあの半漁人達の中ではまだ理性がある方なのね。でも私は小学生が犠牲になろうが知ったこっちゃないわ。嫌なら噛みついてでも逃げ出せばいいのよ」 

 月明かりの下、天真を睨んだミサキは酷く残酷で美しい笑顔だった。

「見事だ」

 と天真が言って手を叩いた。

「素晴らしい、気に入った。確かに千吉には似合わない。こんな田舎の閉鎖された島に置いておくのはもったいない女だな」

「それはどうも、気に入っていただけるなら本土へ連れて行ってもらえる?」

「いいだろう、ついてこい、帰るぞ、三郎」

 天真の声に提灯男は頭を下げた。


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