第10話

「よう来たの」

 と出迎えた碧の父親にミサキは一瞬だけ驚いたような顔をした、

「こんにちは、神崎と言います。西原さんとは大学で同じサークルで」

 挨拶をしてから父親は民宿とボロボロの看板がついた宿へミサキを案内した。

「今晩、あんたの歓迎会をするでな」

 と父親は言い、にへらと笑ってから帰って行った。 

 民宿はよくある海の家の二階を広間にしてあるものだった。

 家の横のトタン小屋の中にシャワー設備がついてある。

 お世辞にもバカンスを楽しめそうな雰囲気ではなかったが、窓の外に広がる海は素晴らしい風景だった。

「綺麗な海」

 とミサキが言って窓を開けた。

 潮風が流れ込んで来て、ミサキは海の香りを胸一杯吸い込んだ。

「泳ぎに行ってもいいかしら……あら?」

 ミサキが振り返ると、碧が小さな女の子と手を繋いで立っていた。

「妹なんです。島を案内しますから、一緒に妹もここで寝泊まりさせてもらってもいいですか。あの、妹が島外の人と会うことは滅多にないので」

「ええ、もちろんよ、こんにちは。いくつ?」

 翠はおどおどとした顔で「十歳」と小声で答えた。

「小学生なんだ。よろしくね」

 とミサキが言ったので、碧はほっとした。

 碧は父親にミサキを見張るように言われていた。

 ミサキを父親の従兄弟の千吉という名の男の嫁にすると決まったと告げられ、万が一にでも逃げられないように見張れと言われていた。

 ここへ来て碧は後悔していたが、翠を差し出すわけにもいかない。

 しかしミサキを誰かの嫁にしたところで、碧自身、大吉の嫁と言われているし、翠もそのうちに誰かに嫁がされるのは決まっている。

 碧の不安な思いが翠にも伝わるのか、翠が碧の手をぎゅうっと掴んだ。

「お姉ちゃん……」


「ねぇ、西原さん、何か心配事でもあるの?」

 とミサキに言われ碧の身体が震えた。

「い、いえ、何も」

「そう、じゃあ、泳ぎに行きたいんだけど、あなた達は?」

「私達は昼食の用意を手伝ってきます」

「そう、分かったわ」

 碧と翠はしっかりと手を繋いだまま部屋を出て行った。

 ミサキは水着に着替えると必要な物を入れたウエストポーチをつけた。

 静かに階段を降りて行くと、話し声がする。

 ミサキは耳を澄まして、階段の途中から様子をうかがった。

「あんな別嬪を千吉っつあんの嫁になんぞもったいねえ。うちにだって嫁が欲しいさ、な、康夫」

「うん」

 そっと話声の方を見ると、中年の女と青年が廊下で話しをしていた。

 着いた時に民宿の女将とその息子だと碧に紹介された二人だった。

 女将は太った不細工な女だが、青年の方はさらに奇怪な姿だった。

 島へ上陸してから見た顔全てに共通する目がぎょろっとしていて、肌は鱗のようにガザガザ、大きい口の中から見えるギザギザの尖った歯。そして爬虫類のような表情のない目。

 でっぷりと肥えた身体で母親の言う事をうんうんと聞いている。

「まるで半漁人ね」

 とミサキは呟いた。

 そこから足音をたてて階下に降り玄関口で「ちょっと泳ぎに行ってきます」と声をかけた。持って来たビーチサンダルを履き、ミサキは外へ出た。

 突きさすような暑い日差しだ。

 サンダル越しにでも砂浜の熱が伝わってくる。

 ミサキはアチアチと言いながら海に近寄って行った。

 海の中は気持ちよく、ミサキはしばらく泳いで沖の方へと泳いだりして遊んだ。

「あら? あんな所にクルーザーが、綺麗な船ね。こっちの海の家も悪くないけど、クルージングも素敵だわ」

 遠目で小さく見えるが、かなり大型の船が沖合に停泊している。。

 それからミサキはしばらくぷかぷかと浮いていたが、一人ではあまり楽しくない、と判断した。

「やっぱり一番楽しい事をしなくちゃ」

 ミサキは海から出て、トタンのシャワー室に向かった。

 錆びたトタン小屋の戸を開くと、チョロチョロと水が出るシャワーが一つ。壁のトタンも穴だらけで錆びていて台風の一つでも来れば倒壊は免れない代物だ。

 水着のブラの部分を取ってシャワーを浴びていると、かすかに砂利を踏む音がする。

 音のする方向へ注意を向けると、錆びて開いた隙間に目玉が見え隠れしている。

 ギョロッとした大きな目は民宿の息子だ。

 ミサキはひっかけておいたウエストポーチを取り上げ、中から銀色に光る大きなナイフを取りだした。

 シャワー室をぐるっと回って入り口の方へ歩く音がする。

 いきなりトタンの戸が開いて康夫が目の前に立っていた。

「何?」とミサキ言うと、

「千吉さんなんか年寄りだ。おらの方がずっと若い」

 と言って、ミサキの方へ手を伸ばしてきた。

「あのね、千吉とやらにも興味はないわ。ここへはバカンスに来ただけだから」

「あんた、綺麗だ。おらの嫁にするだ」

「人の話は聞きましょうよ。私はお嫁さんじゃないの。分かる? それとも私にお楽しみを提供してくれるってわけ?」

「お楽しみ」の言葉に康夫はニヤニヤと笑った。

「あなたの思ってるのとは違うと思うけど」

 とミサキが言うと、康夫はミサキの方へ手を伸ばしてきた。

 左腕を掴まれ、その上、狭いシャワー小屋の中へ康夫は無理矢理入ってこようとする。

「出て行って」

 とミサキは言ったが、康夫は太った身体をぐいぐいとシャワー室へ押し込んでくる。

 そして強引にミサキの両肩を掴んで自分の方へ引き寄せた。

 康夫は汗をかき、真っ赤な顔でミサキに唇を押しつけてこようとする。

「お、おらの嫁さんにするだぁ」

「触らないで!」

「おらの嫁さん」 

 康夫は太った身体をぐりぐりとミサキに押しつけてくる。

 股間のふくらんだ部分がミサキの太ももにあたりる。

 ミサキは後ろ手に持ったナイフで康夫の脇腹を刺した。

「ぎゃっ」

 驚いた康夫が悲鳴を上げてミサキから手を放したので、ナイフは康夫の脇腹にくっついたままミサキから離れた。

 刺し所が良かったのか、ぼたぼたと血が垂れて康夫はその場にしゃがみこんだ。

 早急に康夫の身体からエネルギーが消失していくのが見て取れる。

 ミサキは康夫をじっと眺めていた。

「いてぇ……助けてくれ……」

 と康夫が言った。

「助けない。あなた、私を犯そうとしたのよね? 同意のない女性にそんなことをして許されるとでも?」

 ミサキは康夫の脇腹からナイフを引き抜いた。

 血がシャワー小屋の錆びたトタンに飛び散った。

 康夫の身体はシャワー室の中で小さく、身体を縮めて横倒しになった。

 その倒れた康夫の胸にミサキは全体重をかけてナイフを刺した、

 康夫の身体がビクンっと跳ねてこときれた。

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