第8話
自分の事を姉と呼ぶ人間は世界に二人だけで、ミサキは弟のレンをまじまじと見た。
「レンなの?」
「そう、分からない?」
面影はあるように思うが、ミサキはそもそもレンの顔をそれほど覚えているわけでもなかった。
レンは警察手帳取り出して、開いて見せた。
岩城レンと書いてある。
「岩城って……まさか」
「そう、あの岩城に引き取られた。姉ちゃんが母親を殺して俺たち家族が解散した後にね」
ミサキは唇をぎゅっと噛みしめて、
「岩城に育てられてたの?」
と言った。
「そう」
「それでよく私の前に顔を出せたわね。岩城が私に何をしたか知らないの?」
ミサキの声は震えていた。
「俺に八つ当たりされても。こっちだって七つガキだ、どうしようもなかったさ」
「ええ、そうね。それで? 岩城の跡を継いで医者にはならなかったのね。警察官になって私を捕まえにきたってわけ? 母親殺し? それとも隣の女を殺した方?」
レンははははっと笑って、
「隣の女、やっぱりミサキが殺したのか。相変わらず物騒な女だな」
と言った。
レンはスーツの上着を脱いでネクタイを外した。
「だからちゃんと報告に来てやったんじゃねえかよ。殺された女を恨んでる人間は大勢いたよ。今日の聞き込みだけでもごろごろ名前が挙がった。金や男問題で敵が多かったな」
ミサキは呆れた顔で、
「レン、あんた、警察官なんでしょ? そんなことべらべらしゃべっていいの?」
と言った。
「何だよ、心配してんじゃないかと忙しい中抜けてきてやったのによ」
小さいキッチンの冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し、ミサキにも一本投げてよこした。
「久しぶりに乾杯だ」
「人んちのビールを勝手に、厚かましい。別に心配なんかしてないわ。見つかったら逃げるから撃ち殺してくれればいいわ。それが十八年ぶりに会った弟ならなおさら素敵じゃない」
とミサキは笑った。
「捕まりゃしないさ」
とレンが言った。
「何故? 手柄になるんじゃない?」
「あのなぁ、実姉が殺人鬼って、俺の方がとばっちりだ。こう見えてキャリアなんだぜ」
「あらそう。ごめんなさいね。名字も違うし分からないんじゃないの? それに血のつながりも半分だし」
「アホか、異父姉弟でもそんなのは調べりゃすぐに分かるっつうの」
「へえ、そうなんだ。そっか、レンが警察官か……ふふふ」
とミサキが笑った。
「大学生なんだって? その年で」
レンが部屋の中を見渡しながら言った。
「ええ、高卒で施設を出て五、六年は必死に働いて学費を貯めて、今はバイトしながら大学生よ」
「だからこんな汚い狭いアパートで暮らしてるのか」
「そうよ、安いもの」
エアコンはなく、折りたたみ式のシングルベッドに、安っぽいビニール製の収納ケースだけの殺風景な部屋だった。
「逃げ出す準備してたのか?」
ベッドの側にこぢんまりとしたスーツケースが開いてあり、タオルや洗面用具の入ったポーチが入っている。
「え? ああ、大学の友達で離島から来てる子がいてね。夏休みに遊びに来ないかって言うからバカンスに行こうと思って」
「バカンス? どこの離島?」
「えーと、伊武島だったかしら」
「伊武島?」
「ええ、そう、知ってるの?」
「そいつは……行かない方がいいと思うけど」
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