第7話

 ミサキの隣の部屋で起こった殺人事件の第一発見者は階下に住む大家の女で、開けっ放しのドアから覗いて大きな悲鳴を上げて腰を抜かした。その声に集まった近隣の住人の手によって通報され、古く狭いアパートは床が抜けそうなほどに大勢の人間が集まった。 

 ミサキはいの一番に悲鳴に反応し、大家の顔を出して大家を励ましたり、ららの安全を周囲に知らせたりした。

「まあ、亡くなった人を悪く言うのもなんだけどねえ」 

 年老いた大家の女が言った。

「生活態度は悪かったね。子供を一人放っておいてね、仕事だって言ってたけど、どうだかね。ろくに食べさせてもいなかったんじゃないかねえ、ほら、今流行の育児放棄じゃないかね」

 アパートの住人は揃って大家の意見に賛成し、不特定の男が部屋に来ていた事も証言した。中には金で娘を売っていたんじゃないか、というはっきりとした意見も出た。

 ららは警察に保護され、大家の次にミサキの部屋に刑事が聞き込みにやってきた。

 年配の目つきの悪い刑事と若い青年のコンビに、

「さあ、言い争いの様な声はほぼ毎日聞こえてましたから、特に気にしてませんでしたけど……ららちゃんですか? 私が大学から戻った時に廊下で会ったんです。お母さんがいないって……だからパン食べないって? 連れて行きました。ららちゃんのお母さん、ららちゃんを置いてよく留守にしてたし、ちょっとだけならうちで遊んでてもいいだろうって思いました」

 とミサキは答えた。

 年配の刑事は頭をポリポリかいて難しい顔をしたが、青年の方はミサキを疑わしい顔で見た。

「殺し合いをしたあれだけ激しい現場なのに、あなたは気にしなかったんですか?」

 若い方の刑事はテレビで観るような綺麗な顔の俳優が演じている警察官役のようだとミサキは思った。

「ええ……ららちゃんのお母さん、酔っ払ってはよく暴れてましたし、それに文句を言った階下の人の玄関ドアを蹴ったり怒鳴り込んで行ったりしてたんです。だから皆、彼女には触らないようにしてたし、私も怖いからいつも黙ってやり過ごしてました。昨日はららちゃんと二人で夕方の子供番組観てましたし」

「そうですか。また何か思い出したことがあればご連絡下さい」

「あの、ららちゃんはどうなるんですか?」

「死んだ母親の実家に連絡がつきましたから」

「そうですか、よかった。少しはましな生活が出来たらいいんだけど」

 とミサキは言った。


 その夜、ピンポンとドアベルが鳴って、ミサキはのぞき穴から外を見た。

 廊下の切れかかった蛍光灯の下にいるのは昼間に来た若い刑事だった。

 ミサキはドアチェーンをしたままドアを少しだけ開けた。

「昼間はどうも」

 と若い刑事が言い、さわやかな笑顔を見せた。

「何でしょう?」

「壮絶な殺人事件が隣であったのに、一人で怖くないんですか」

「別に……身を寄せる場所もありませんし……まだ何か?」

「いいえ、ただ結果が知りたいだろうと思って」

 黒髪に黒い双眸。整った綺麗な顔だが酷く冷たい印象を与える刑事だ。

 ミサキはチェーンを外して、ドアを大きく開けた。

「結果って?」

「娘を買った客と金の事で揉めて殺し合いになった、と言う見事な結果ですよ」

 刑事はずかずかと玄関の中に入り込んで来た。

「そうですか。そんな事をわざわざ知らせに?」

「不安で眠れないんじゃないかと思ったもんで」

 警察官だとて安心できるわけではなく、むしろミサキのような殺人者は敬遠するべき相手だ。

「不安? どうして?」

 刑事はにやっと笑ってから靴を脱いだ。

「え、ちょっと!」

 とミサキに構わず刑事は部屋の中に上がりこんだ。

「なんなの? あなた」

 ミサキは奥のベッドの側に置いてある自分のリュックサックの方へ移動した。

 この男は自分を疑っていると感じ、華奢だが長身、そして武術を身につけているはずの警察官を仕留めることが出来るだろうか、と一瞬考えた。

「帰ってちょうだい」

「そうつれなくしなくても」

「は?」

「十八年ぶりなのに」

「え?」

 刑事は人懐こそうな笑顔でミサキを見て、

「久しぶり、姉ちゃん」

 と言った。

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