第5話
ミサキは古びたアパートの錆びた外階段を上がっていた。
カンカンと甲高い音がする。
二階に上り一番奥がミサキの部屋だが、その一つ手前の部屋が勢いよく開いて女が出てきた。
「うえーん」
とすぐさま隣の子供が泣きながら母親を追いかけて外に出てきた。
「仕事だっつってんだろ! いいから、部屋で大人しくしてろっつうの」
隣のシングルマザーは若く派手で水商売をしているのか夜はほぼおらず、毎晩、小さな娘が一人で留守番しているのをミサキは知っていた。
「いやだ~~」
娘は顔をこすりながらひっくひっくと泣いている。
「だからぁ、後で伸ちゃんが来るから、一時間だけだよ」
と言った母親の言葉に娘が首を嫌々と言う風に振った。
「ワガママ言ってんじゃねえよ!」
母親は娘の頭を強く叩いてから、背中を向けた。
そして少し手前で立っていたミサキに、
「何、見てんだよ」
と睨みつけた。
「あの、余計なお世話ですけど……よく知らない男性に娘さんを預けるのは……」
とミサキが言った。
「はあ? 全く大きなお世話だっつうの。あんた、女子大生だろ?」
「ええ」
「働きながら子供を育ててた事もないのに、うるせえってんだ!」
母親は威嚇するように、ミサキの頬を二、三度叩いた。
「でも、毎晩、泣いてますよ」
「耳栓でもしときな! あたしが自分の子供をどうしようと勝手だろ! こっちはエサ与えて育ててやってんだ! 他人にどうこう言われる筋合いじゃねえ!」
母親は酷く憎々しい目でミサキを睨んでからふんっ背を向けた。
隣の母親は十六で子供を産んで、子供は三才。
キャバクラ、風俗などを転々として生計をたてているが、怠け者でありどの仕事も続かない。子供には仕事だと言いながらも大半は自分が遊びに出かけていた。
三歳の女児は一人で置いて行かれ、グスグスとよく泣いていた。
だがそれでも一人で留守番はまだましだった。
最近は母親の留守に男達が出入りしていた。
ミサキの目には明らかに女児目当ての男で、人形やぬいぐるみを持参して部屋に入る。部屋の中の事はミサキには分からないが、恐らくという想像はついていた。
母親がミサキを威嚇しながらも階段を降りて行ったので、ミサキはほっと息をした。
開けっ放しのドアから涙目の女児がミサキを見上げている。
「お母さん、行っちゃったね」
「うん」
「お名前は?」
「らら」
「ららちゃんか、パン、食べる? お姉さん、たくさん買ってきたんだ」
帰り道で買ったパンの袋を見せると、ららは目を大きく見開いた。
ららは痩せてガリガリの身体で、垢で汚れた服を着ていた。
普段からろくな物を食べさせてもらっていないのはアパート中の人間が知っている。母親は自分の洋服や靴はいくらでも買い込み、ホストクラブへ通う金はあるが、子供の空腹には興味がなかった。
「これ、食べてね」
ミサキは袋からあんパンやクリームパンを出してららに差し出した。
ららはおずおずとそれを受け取った。
カンカンと階段を上がってくる足音がしてららがビクッと身体を奮わせた。
ミサキの渡したパンを強く胸の前で抱きしめて、足音のする方を見ている。
階段を上がってきたのは、太った男だった。
「ららちゃん」
と男が言い、ららはミサキの方へ身を寄せた。
「ららちゃん、今日は僕とお、お留守番の日だよね」
ミサキは上から下までじろじろと男を見た。
見るからにオタクと分類され、特に幼女に好意を寄せる種だが人は見かけではない。
ただ性癖がそうであっても、他人に迷惑をかけなければ良いとミサキは思っている。
ららの母親が彼に子守を頼んで、彼がまっとうにららを見るならば他人の口を出す場合ではない。
「ららちゃん、お兄ちゃんとお留守番なの?」
とミサキが聞くと、ららはふるふると頭を振った。
「違うの?」
小さな頭がコクンと下を向いた。
「そ、そんなぁ、ららちゃん、も、木曜日はいつも僕じゃないか」
と男が言った。
「木曜日はって、曜日毎に違う人が来てるって事?」
ミサキが言うと男は眼鏡をぐいっと直してから、
「そ、そんなことあんたに関係ないでしょう」
と言った。
「そう、まあいいわ。ららちゃんにパンを食べさせてくれる?」
とミサキは言い、ららの背中を男の方へ押し出した。
男はほっとしたようにうなずき、部屋のドアを開けて中に入って行った。
ららはおずおずとついて歩き、部屋に入る前にミサキの方へ振り返った。
「大丈夫よ、ららちゃん。あのね、部屋に入ったら、奥の方へ行って目を瞑ってじっとしてるのよ、いい?」
とミサキが言った。
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