第4話 殺人鬼

「西原さん、隣いいかしら?」

 と声をかけられて、碧は顔を上げた。

「ミサキ先輩、どうぞ」

 神崎ミサキは学食のトレーをテーブルに置いてから椅子をひいた。  

 黒髪に白い肌、意志の強そうな勝ち気な瞳の持ち主でたいした美人だった。

 碧と同じ映画サークルで二つ上の先輩で人付き合いはそつなくこなすが、いつも一人で他人とは距離を置くタイプだった。

 すばらしく美人であるのに好みの映画はいつもホラーで、鑑賞会でも血しぶきや残虐な行為を眉も動かさず見ている。

「連休はご実家に帰ってたんですって。離島なんでしょう? いいわねぇ」

「そ、そうですか、不便ですよ」

 碧は力なく笑ってため息をついた。

 荷物と金を用意するといって内地に戻ったはいいが、逃げる算段も翠を取り返すような計画も頭に浮かばずに碧は焦っていた。伯父に相談して父親に電話をしてもらったが、碧が戻らなければ翠を大吉の嫁にするの一点張りの上に、女の子を連れて戻らなければ翠を他所の嫁にも使い回すと言う始末だった。伯父は長男であるが島を離れて都会で暮らし、弟である碧の父親に家を守らせていることに引け目を感じていたので、それ以上は碧の味方になる事はなかった。

 碧があの妙な宗教やすっかり変貌してしまってる島民の容貌をいくら説明しても無駄だった。気のせいだ、とか、そんなわけがない、と言うばかりで一緒に島に行って欲しいと碧がいくら頼んでもそれは無理、の一言で終わってしまったのだった。

 後は碧が島へ戻らなければ翠が危険だが、さらに女の子を連れて戻るようにも催促されて碧は悩んでいた。

 妹を見殺しにするわけにはいかないが、嘘をついて友達を島へ連れて行くのも困る。島には嫁の来手がいない男がたくさんいる。そんな男に限って子を産める若い女を求める。

 離島へ遊びに来ないかと誘えば来る女の子もいるかもしれないし、島の独身男性とお見合いというならまだしも、年寄りに近い男と分かっているのに友達を連れて行きたくもない。だがこのまま自分だけ逃げたりしたら、妹がどんな目に合わされるか分からない恐怖で碧は悩んでいた。

 自分が島にいた頃はそう違和感もなかった閉鎖的な島。

 従兄弟同士の結婚は普通の事で、昔は兄妹ですら結婚し、子をもうけていた時代もある。

 それを懐かしそうに語る親や親類を見ても子供の頃はそんなものか、と思っていたのだ。

 島外から嫁に来ても死ぬまでよその人と言われ、家族と食事も出来ずに泣いている若い嫁を見た事もある。

 それがそんなものだと思って見ていた碧の子供時代だが、さすがに今ではそれはおかしいと分かっていた。

 大吉達の若い世代が島に残り、島の海産物や観光地にしようという活動をしていた事を聞いた時は応援するつもりだったが、久しぶりに見た大吉はすっかり変わってしまっていた。あの半漁人のような容貌、言葉もおかしいし何より意志の疎通が出来ない。


「どうしたの? ため息なんて」

 碧はいやぁとへらへらっと笑ったが、ふいにミサキが施設育ちの天涯孤独、血縁が誰もいない、という情報が頭の中に蘇った。

 そして頭をブルブルと振った。

「い、いえ、なんでもありません。実家に帰ったら、島の独身男性に女の子紹介しろって言われて困ってるんですよね」

「島に独身男性が多いの?」

「ええ、まあ、漁業が生業で男はあんまり島外に出ないですし、観光客もあんまり来ないから出会いもないんですよ。島外に進学した人間はよっぽどの理由がないと帰らないですしね」

「へえ、そうなんだ。最近は自然の中で暮らす、とか流行ってるし、離島で暮らすなんて素敵だと思うけどな。田舎暮らしとか」

「じゃ、じゃあ、先輩、一度遊びに来てください。魚料理ばっかりだけど、新鮮で美味しいんですよ」

 と言って碧はミサキを見た。

 断わられたらそれで仕方がなかった。

「独身男性なんて言ってますけど、もう中年ばっかりなんでそれは気にしないで下さい。遊びにだけでも来てくれたら嬉しいです」

 

 その時の碧の頭の中は焦りと不安でいっぱいで、ミサキ一人を連れて行ったところでどうなるか想像もつかなかった。ただ隙をみて妹を連れ出す為にはミサキのような目を惹く美人は効果的だろうと思った。自分勝手な理屈なのは分かっていたが、実の妹とミサキでは他人の方が罪悪感がまだましだと思った。殺されるわけではなし、嫁さんに来てくれと言われるだけだ。小学生の妹を嫁に差し出すよりは大人であるミサキの方が心の呵責が少なかった。

 それでも断られたらどうしようもなかったがミサキは、

「いいわね、楽しそう。泳いだり出来るんでしょう?」

 と言った。

「え、ええ、島の海、全部がプライベートビーチですから」

「へえ、じゃあ、夏休みの趣味の旅行はそちらにお邪魔しようかしら」

「ほ、本当ですか?」

「ええ、何ていう島なの?」

「伊武島と言います。内地から船で五十分くらいです」

「伊武島。ホテルとかあるの?」

「ホテルなんてたいそうな物はありませんが、親戚が民宿をやってますから泊まるところはあります。家に来てくれてもいいです! アウトドアがお好きなら海辺でキャンプとかも出来ますし」

「へえ、楽しそう」

 ミサキがふふっと笑ったので、碧は大きく息をした。

「じゃ、あの、約束ですよ、先輩」

「ええ、とても楽しい夏休みになりそうだわ」

「あの、先輩って天涯孤独って本当ですか? 以前、そんなことを言ってましたよね?」

「ええ、そうなの。親とは小さい頃に死に別れてね。弟と妹がいたんだけど、別々に施設で育ったから。それが何か?」

「いいえ、凄いなぁと思って。一人で生きていくなんて。苦労されましたよね?」

「そうでもないわ。私ね、こう見えてとても強いの」

 ミサキはうふふと笑った。 

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