10.饂飩

 結局、特に問題も起きずに若い侍という尾行者を引き連れながら、日向は椿屋に着いた。


「こんにちは! 五兵衛さん、いますか?」

「これは宮地様! ずいぶん重たそうな物を背負って……って、うちの油桶じゃないですか! 受け取りますから、そこに下ろしてくださいな! それと誰でも良いから店主を呼んできてくれ!」


 いくらなんでも、白昼堂々、油桶を背負ってくる武家の子女など見たこともない。

 応対した椿屋の番頭は、幽霊でも見たかのような慌てぶりで、わたわたと的確な指示を出す。


 これほど、慌てているのにしっかりとした対応。

 椿屋店主である五兵衛の教育の賜物だろうか。


「何ですか。番頭さん。店先で騒がしい」


 日頃出さない番頭の慌て声を聞きつけて、店主の五兵衛が顔を出す。


「すみません、店主。宮地様が二つ目の油桶を見つけたと背負っておいででして……」

「なんと! 宮地様、何とお礼を申し上げて良いのやら」

「いえいえ、ご心配されてましたし、この子という探す当てがあったので」


 そう言うと、隣に控えるモモを撫でる。


「たくさん汗をかかれたようですね。井戸で冷やした麦湯と手拭いを持ってこさせましょう。番頭さんや」

「はい、すでに準備させております」

「あっ! それならモモにもお水を頂けませんか? この子が油を探し出してくれたのです」


 自慢げに顎を挙げながら、フンスと鼻から息を吐くモモ。


「これはこれは。あなたも頑張ってくれたのですね。昼ごはんにうどんを煮ています。良ければ食べていってくださいな」

「わう!」

「美味しそうですね。私も良いですか?」


「ぜひとも。ここでは何ですから、奥座敷へどうぞ。モモさんは、申し訳ないのですが勝手口の土間に筵を敷かせますので、そちらへ」


 日向とモモはそれぞれ指定された場所へと入っていった。


 提供された昼食のうどんは使用人たちのための物であったが、具沢山でおむすびまで付いていた。

 驚いたことに、店主の五兵衛までも同じものを食べているのだ。


 これは世間知らずな日向でも驚いた。

 江戸時代は家単位の立場も厳格である。


 武家であれば、家長である当主の膳は、誰よりも豪華であるし、最初に食べる。

 家族が同席する事もない。


 家族は、当主の膳が下げられた後で別室で食すのだ。


 もちろん、長屋暮らしの庶民はそんな事はしないが、商家では武家と似ている。

 当然、飯は店主が豪華になるのが普通だし、使用人と食う事もない。


 武家と似ているのは、疑似的な家族関係を模していることに由来する。

 一つの商家は、使用人と店主が家族的なつながりで成り立っているからだ。


 店主は幼い丁稚を自分の子供のように養い、小遣いをやる。

 長年勤めた番頭には、暖簾分けとして独立の手助けもする。


 店内においても店主を筆頭に番頭、手代、丁稚と序列があり、部屋も個室から大部屋と序列に従い割り当てられる。

 経験豊富な番頭となれば、住み込みではなく、どこかに部屋を借りて通う事すら可能になる。

 それまでは、みんな一緒に暮らすのだ。それこそ大家族のように。


 だから、五兵衛が使用人と同じものを食べる姿を見て、日向は驚いたのだ。

 今回は、客である日向と二人で食べているが、日ごろの飾らない様子から察するに、使用人と一緒に食べているように思えた。


 休憩を兼ねた昼食を終えると一息ついたのを見計らって五兵衛は懐紙に包んだ何かを差し出した。


 日向は、ひとまず手を付けたのだが、その触り心地で何か気が付いたのか、目を見開き、五兵衛に尋ねる。


「さすがにこれは、多すぎじゃないですか? これ、小判が入っていますよね?」

「多すぎではありませんよ。宮地様のお働きには足らないくらいです」


 実際、日向の言葉の方が正しい。

 今回日向が回収してきた油桶は、油一貫目。売価で一両ほど。


 売値と同額を日向に渡してしまっては儲けはない。

 拾得物を落とし主に返すと返戻金をもらえるが、今回の場合では、せいぜい一分金(一両の四分の一)程度。

 椿屋にとってみれば、仕入れの原価もかかっている分、赤字である。


 なぜ、そこまで対価を支払うのか。

 それは椿屋の店主、五兵衛が語る。


「普通、たまたま一つ見つけたところで、次を探してくれるような奇特な方はおりません。ましてや、あれほど重い油桶を自ら背負って届けてくれる方など聞いた事もない。何より食うに困って探したわけではなく、私が困っているのを察してくださったのでしょう。そのお気持ちのお礼ですよ」

「そういうものですかね……」


「前にもお話しをしましたが、宮地様にお会いすると驚きや楽しみばかりです。私は、あなたにお会いできるのが楽しくて仕方ないのですよ。これからも、近くにお越しの際は顔をお見せくださいな。茶菓子を用意しておきますのでな」

「茶菓子!? 私、お団子が好きです! モモも!」


 最初の遠慮はどこへやら。

 お菓子の話になると遠慮は無くなる日向。

 二人は孫と好々爺といった様子でほのぼのとした奥座敷。


 孫のおねだりには敵わないといった様子で五兵衛は茶菓子の準備候補に団子を加えたようだ。


「はいな。では、団子も買っておくことにしましょう。長々とお引止めしてすみませんでした。たんと買っておきますでな。またお越しくださいませ」

「はい! お団子楽しみにしてますね!」



 日向たちが椿屋に入って四半刻ほど。

 尾行していた若侍は、夏の強い日差しに照らされながら、椿屋を見張っていた。


「くそ! まだ出てこないのか。朝から飲まず食わずで見張っているというのに。おっ! やっと出て来たな」


 冷たい麦湯と昼食のうどんを食べて元気一杯の日向とモモは一路自宅へと向かった。

 そして尾行者の若侍も同様に。


 若侍は、空腹と暑さに耐えかねイラついている。少し尾行に慣れたのもあるのかもしれないが、追跡が雑になっていた。

 日向に近づきすぎているし足音も大きい。


 何より、日向への敵意が溢れてしまっている。


 モモは日向が反応しないため、横について歩いているが、耳がピクッピクッと後ろを気にしている。

 獣特有の勘なのか、しっかりとモモには捕捉されているようだ。


 日向には特に変わった様子はない。

 くノ一として卓越した技術を持つ彼女なら何か勘づいても良いものなのだが。


 探索の疲れと、満腹による気の緩みが出たのか、尾行に気が付いた様子もなく、もう間もなく自宅という距離まで来てしまっている。


 このままでは、尾行者の若侍に自宅を突き止められてしまうだろう。

 そうなれば、凶悪な放火犯たちに目を付けられ、所在どころか姓名までバレてしまうのだが、果たして日向は気が付けるのだろうか……。



 かくいう心配をよそに日向は後ろを振り返る事もなく、神保町の屋敷へと戻るのであった。

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