11.報告

 同志たちの集合場所となっている廃寺に若侍が駆け込んできた。


 尾行時に不満に思っていた空腹はどうでも良いとばかりに、神保町から駆け通しだった。

 掴んだ手柄の大きさが彼を興奮させていたのかもしれない。


「み、見つけました! 我らの油を奪ったやつを見つけました!」


 廃寺には、体格の良い熊髭と優男の二人だけしかおらず、残りの侍はまだ油の隠し場所を見張っているようだ。


「なんと!!」

「それはお手柄でしたね。殿もお喜びになることでしょう」


 実質的な集団の代表者に褒められ、まるで忠犬のように喜色満面となる若侍。

 自分の手柄話を聞かせるべく、苦労譚を話し始める。


「はい! それはもう苦労しました! 立っているだけでも辛い日差しの下で二刻も監視して尾行に一刻。喉はカラカラで腹も空いて……」

「ちょっと待て! お前の苦労など知った事か! 先に復命せよ!」


 熊髭の身も蓋もない言い様にムッとした様子の若侍。

 しかし、復命が先と言う言葉は正論であるので渋々と報告を始める。

 褒められたことによる喜色満面な様子はもう無い。


「油を盗んでいったのは、武家の女子と黒い犬でした。そやつは背負子を用意していたので、最初に油を奪ったのも同一人物かと思います。そして椿屋に行き、油を返した後、自宅へと戻りました」

「自宅を突き止めたのか!?」


 先ほどは、熊髭の侍に水を差されたのだが、その当人が素直に驚いた事に気を良くしたのか、声色は変わらないが、小鼻が膨らんでいる。


「もちろんです。神保町まで歩かされて大変でしたよ。近くで聞き込みをして、色々とわかりました。宮地と言う家で御家人のようです。吉宗が紀州から連れてきた軽輩の家臣らしいです」

「吉宗とな!! もしやバレているのか!」

「いや、今のところ大掛かりな動きはありません。それはないでしょう。しかし武家ですか。厄介ですね」


 優男は手で顎を触りながら思案に耽る。


「面倒くさい。攫うか!」

「さ、攫うですって!?」


 随分と短絡的な案だ。

 熊髭の侍は名案とばかりに腰を浮かしかけるが、優男が待ったをかけた。


「いえ。それには及びません。軽輩となれば、吉宗まで話が伝わるのに時間がかかるでしょう。そもそも、油の紛失と今回の計画がつながるとも思えませんし」

「そ、そうか? ならどうする?」


 優男は猛獣使いさながら、血気に逸った熊髭を大人しくさせ、話を続ける。


「余計な事をして、何かの拍子に吉宗の耳に入る方が不味い。今は単なる紛失事件で町奉行所の案件ですが、武家の失踪となれば、目付(武家の監察官)が動きます。それならば、計画を速めてしまう方が良かろう」

「ついにやるのか!」

「これで不当な扱いを受ける殿のお役に立てるのですね!」


 二人の反応を楽しむかのように、ゆっくりと間を取る優男。


「ええ。同志たちが戻り次第、改めて説明を。火付けの決行は明日の深夜。移動中、誰何すいかされるようなら、適当な藩を名乗り、藩の御用として押し通りなさい。動き出すのは日が落ちてから。大八車を盗み集めて町木戸への通り道を塞ぎます。火消しの足を止め、江戸を火の海に包んでやりましょう」

「「おう!」」


 意気や良し。この調子であれば計画は順調に進むであろう。

 そう思えるほどに、周到な準備と実験が繰り返されていた。


 計画が練られてから、実証実験として大八車を盗み、車軸に釘を打ち付けた。

 盗んだ大八車が見つかるのは、翌日の朝方以降。木戸が開いて人が動き出す時刻であった。

 そして、燃焼促進剤として予定されていた油も、奪取先を数日をかけて調査したおかげで、まんまと大八車ごと盗み出せた。

 うまく使用人が目を離した隙に乗じる事が出来たのだった。


 それ以降は既にご承知の通り。

 動かなくなった大八車は数人がかりで移動せねばならず、大量の油は見つからずじまい。


 このままいけば、彼らの計画を阻害するものは存在しない。


「そろそろ活動資金も底をつきそうです。残りの金で買えるだけ油を買い占め、失った場所に撒きましょう。頼めますか?」


 他人を存分に焚きつけておいて、最後まで自分は動かないようだ。


「任せよ! 書院番組頭しょいんばんくみがしらの名に懸けてやり遂げて見せようぞ!」

「頼もしいですね。頼りにしております。今晩は英気を養うためにゆっくり休みましょう」


 血気に逸る二人と、薄ら笑いを浮かべる男が一人。

 大いなる目的を達成する事に目が眩んだ二人、その薄ら笑いに気が付いた者はいなかった。



 そして―――その廃寺の床下で彼らの会話を盗み聞きしていた少女が一人。

 自分の誘拐話が話題となっても、感情を揺らすことなく隠形を続けていた。


 彼女は自分が尾行されている事に気が付いていたのだ。

 現に自分の武家屋敷まで尾行者を引き連れ、素早く屋敷を抜け出すと、その尾行者を逆尾行したのである。

 彼女を尾行していた若侍は、そうとは知らず、まんまと対象者を自らの隠れ家へと案内してしまったのだ。


 計画がバレてしまった以上、仮に彼女を誘拐しようとしたところで返り討ちに合うのは目に見えている。

 おそらく計画がバレていなくても、大半が返り討ちに合い、逃げられてしまうだろうが。


 逆に日向であれば、この場で実行犯を捕らえる事も出来たのだろうが、一対三では取り逃がす恐れもあるだろう。

 日向も行動を起こす事はなかった。


 図らずも、誘拐計画は水に流れたのであるが、それで幸せだったのは、どちらだったのだろうか。

 

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