5.椿屋

 この時代の油屋では大きな油桶に入れて店先で売るとともに、振り売りの行商や配達に用いるために桶に小分けにして商っていた。

 それをまとめて大八車に載せ、店に来られない客へ訪問販売をしていた。


「はい……近くには他店の大八車もあったのに、何でまた。ちょっと目を離した隙に忽然と無くなっていたのですよ。これじゃあ、いつものようにまとめてお得先様へ納品に行けないので、心苦しい限りです」

「巷の噂だと、空の大八車だけ盗まれて、すぐ見つかるそうですね。でも荷物も一緒って初めて聞きました」


 今までに発生していた荷車泥棒事件では、空の荷車が盗まれていた。

 商品を載せていないため店の脇に無造作に置かれているので、盗まれても仕方ないのだが、ごくありふれた光景であるので盗む者はいない。


 ましてや、それを使用して店を出そうものなら、その店界隈から叩き出されてしまうだろう。


 それくらい、江戸の街の人間関係は濃く、助け合いの精神が強い。

 現に盗まれた大八車は、発見されると持ち主の店舗に連絡が入り、すぐに回収されている。


 加えて言うなれば、身も蓋もない話になるが、根本的に江戸時代の刑罰は重い。

 十両(100万円程度)盗めば死罪(死刑)であるし、少額でも三度捕まると死罪になった。

 だから、盗難が立て続けに起きるというのは、よっぽどのことである。


 同様に、江戸では木造家屋が多かったため、火事に敏感だった。

 そのため放火犯は問答無用で火罪かざいと言われる死刑となる。

 窃盗犯より重い刑罰となっている。


「そうなんですよ。ほとほと参ってしまって……」

「私が捜しましょうか!」


 目をキラキラさせて探すと提案する日向。

 提案と言うより決定事項のように聞こえた。


 胸の辺りに両手を上げて、拳を握り込む様は、やる気満々。

 許可を得る前にもう探しに行きたそうな表情になっている。


「お姫様にそのような事をさせる訳には……」

「いいんです! お使いより面白そうですし」


 その様子を見て、弱弱しく否定しようとする椿屋の五兵衛であるが、ご馳走を前にした犬のように、フンフンと気合の入ったお得意様を前に言葉が尻つぼみしてしまった。


「では、通りがかりで見つかりましたら、ご連絡くださいな。盗まれたのは、大八車が一台と油の樽が十です」

「りょうかいしました~!」


 そう言うなり、お店を飛び出し探索を始める日向。

 キョロキョロと見廻しながら、大八車を見つけては、駆け寄り、見つけては駆け寄る。

 そして店名を刻印している焼印を確認して次へと向かうという動きを繰り返していた。

 ついぞや、その日は椿屋の大八車を見つけることはできなかった。



 翌日、前回の探索の空振りを受け、念入りに探すつもり様子である日向。

 その気合いは、早朝から準備を整えている様子から察することができる。


「良し! 行きますよ、モモ! これが椿屋の油の匂いです。覚えましたか?」

「わおん!」


 油屋は燈油としても使用する菜種油を更に精製して、調理用に適した油を作っている。太白や白絞と言われるものだ。


 これにより、調理用の油は店ごとに違う。

 その違いを利用して、柴犬のモモの鼻を頼りに探索をしようとしているらしい。


 ちなみに、当初の団五郎などの命名候補は、当の本人が雌だったことが判明して却下となった。

 最終的に決まったモモとは、可愛らしい桃の花から取ったのか、桃太郎から取ったのかは彼女の胸の内。誰も知る由もない。


 当のモモは、しっかりと油の匂いを嗅ぎ取ったのか、スンスンと地面の匂いを嗅ぎ、歩き出す。

 屋敷を出て、椿屋の方向へと進んでいく。


 その順路は、椿屋の手代が油を納めに来る順路であるので、匂いは辿れていることは間違いない。

 しかし、本当に盗まれた大八車の匂いを辿れるのだろうか。

 モモの半生は日向も知らぬ事。探し物ができる素養があるかは誰も知らない。



 日向はモモの能力を疑う事なく、ただ後について歩いている。

 このまま配達の順路通りに進んでしまうと椿屋に辿り着いてしまうのだが、日向もモモも歩みに淀みがない。


 夏の日差しがジリジリと照りつける中、暑さを厭う事なく、懸命に探索するモモ。

 焼けるように熱い地面に鼻を近づけ、匂いを嗅いで道を探る。


 しかし、順調に進んでいるのだが次の角を曲がれば椿屋に行き当たってしまう。


 案の定、悪い想像は的中し、モモは角を曲がり、やけに静かな椿屋の前を通り過ぎると、大八車の置場の辺りへ辿り着くとお座りして「わん!」と吠えた。


「お疲れ様です。モモ。残念ですが本来の目的地じゃないのです。でも、ここに来れたという事は、ちゃんと匂いは辿れたという事。今度はもう少し離れたところから始めてみましょう」


 ギラつく太陽に照らされながらも懸命に匂いを辿って歩いたモモ。日向はその頭を撫でながら、労いと反省の言葉を投げかける。


 その様子を見かけた椿屋の店主である五兵衛が飛び出してきた。


「宮地様、こんな所へどうして? もしや、うちの大八車の捜索でしたか?」

「はい! でも今回は空振りでした。すみません」


 その言葉を聞いて五兵衛は、さらに恐縮して顔の前で手を振る。


「滅相もありません。本当に探していただいているとは露知らず。そしてお伝えできておらず恐縮なのですが、今朝方、うちの大八車が見つかったと連絡がありまして」

「そうだったんですか?! 良かったですね! 商品も一緒ですか?」


 日向の返答を聞いて、ホッと息をついたが、重ねた言葉を聞いて俯いてしまった。

 大方、得意先の機嫌を損ねていない事に安堵して、まだ見つかっていない商品が、彼の心に暗い影を落としているのだろう。


「いえ……見つかったのは大八車だけでした。他にも発生している大八車の盗難事件と同様に車軸と車輪に釘が滅多打ちにされていたそうです。いま、うちの使用人が総出で回収に向かってます」

「そうだったんですね。大八車はどこで発見されたのですか?」


「それが不思議な事に神田の東側の町木戸(防犯のため設置された町の出入り口にある門:夜に閉まり朝に開く)に通じる道を塞ぐように置かれていたそうです。ここからだと少し距離もあるので、大八車の回収は骨が折れるでしょう」

「なんでそんな遠くに? でも商品を探すならそっちですね。その近辺を重点的に調べるとしましょう」


「ありがとうございます。うちでは滞った業務を捌くのに手一杯で商品を探す余裕がありません。油は保管に気を使わなければならぬ物ですから、その行方を心配していたのです」

「お任せください! じゃあ行ってきますね!」


 五兵衛の言葉も聞かず、椿屋を離れる日向。置いてかれてはならぬとモモは急いで後を追う。

 昨日と同じような光景に五兵衛は後ろ姿を見送る事しかできなかった。

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