4.事件発生

「どうですか? このみたらし団子、美味しいでしょ!」

「わん!」


 目当ての団子屋に着いた日向は、みたらし団子を二串買い、串から外した団子を一つずつ柴犬に与えていた。

 犬が団子を食うなど、喉に詰まらせるのではとハラハラものであるが、この犬は食べなれているのか、むしゃむしゃと咀嚼している。


 腹を空かせているはずなのに、団子の皿に飛び掛かる事もなく、しっかりお座りして日向から与えられるのを待っている。

 その仕草は飼い犬を思わせるものだった。


 団子を食い終えると、用は済んだとばかりに屋敷に歩き出す日向と柴犬。


「お前も一緒に来るの? あとは家に帰るだけですよ?」

「わうーん」


 当然とばかりについてきた柴犬だが、ここで別れる気はなかったようだ。

 むしろ一緒に来るのかと質問されたことで少し悲しげな態度を見せたように思えた。


「黍団子じゃなくて、みたらし団子ですけど、お供が一匹仲間になりましたって事ですか。うーん、忍犬の育成が得意な馬場家はまだ紀州なんですよね。でも可愛いからいいか。そうなると名前も決めなきゃです。団吉、団平、団吾郎……」


 ただの野良犬に過酷な修行が課されそうな不穏な言葉が出てきたが、流石に柴犬がこれを聞き咎める事は出来なかったらしい。

 大層嬉しそうに日向に寄り添って歩くのであった。


 はてさてこの犬の運命はいかに。

 喫緊の問題である名前の危機から逃れることはできるのであろうか。



 ※



「あれ、あの大八車、盗まれちまったんだね」

「また空の荷車泥棒かい。やだねぇ」


 ガタガタと音を立てながら引かれていく大八車は通りがかる人たちの好奇の目に晒されている。

 周囲の人々は、その異様な音を聞くと一様に大八車に視線を移す。


 上手く車輪が回っておらず引きづられるように進む大八車。


 ただの重たい木材の塊になってしまった大八車を丁稚と手代がヒイヒイ言いながら、後ろから押している。

 前から引くだけでは、重たい大八車を動かす事は厳しいようだ。


 対照的にその横を歩く身形の良い男は、修理に金がかかるとぼやきながら、手ぶらで歩く。


 関係者一行は強い日差しを受けてカラッカラとなった道を練り歩いてゆく。

 一行が通った後には土埃が舞い上がり、異様な存在感を示していた。



 犬を飼う許可を貰う代わりに頼まれたお使いのため、油を買いに来ていた日向もそれを横目に贔屓の油屋『椿屋』へと向かっていた。


「こんにちは。神保町の宮地家の者です。少し宜しいですか?」


 日頃から灯油や調理油を買っている椿屋へ訪れた日向の手には大きな油徳利が一つ。


「毎度どうも、宮地様。油がご入用でしたら御用をお聞き伺いましたのに」

「ちょっと事情がありまして。油をこの徳利にお願いします」


「いつもの太白で宜しいでしょうか?」

「? えーと……それで!」


 いつもの太白と聞いて目が点になってしまった日向であるが、あまり考えず受け入れてしまった。

 店主の五兵衛は特に気にする様子もなく、注文を受ける。


 普通であれば、武家の子女が油について知っている訳もなく、そもそも家事を行う事もない。

 ましてや、買い出しに出ること自体が稀であって、五兵衛は最初から明確な答えが出る事を期待していないのだろう。



「かしこまりました。あとで手代に届けさせましょう」

「そこまでして頂かなくても。持って帰りますよ」


 仮に注文が間違っていれば、椿屋の落ち度として再度届け直すのが通例。

 武家との取引は体面を何より重要視しなければならないため、こういった対応となるのだ。


 そのためにも、世間を知らない小僧ではなく、機知に富む手代が届けに行かせる。

 無論、普通であれば日向が言ったように持って帰るなんて事にはならない。


 武家であれば、雑用を負う下男や女中が品を預かる。

 物を運ぶ武家の子女はいないのだ。


 日向の些事に頓着しない大らかな性格によるものだ。


 また生家の庭番は、元来、紀州藩の最下級武士としての役職であり、長年極貧生活を強いられてきた。

 そういった事情もあり、武家としての常識が抜け落ちているせいでもある。


「いえ。お姫様に油を持たせるわけには。それに普段と違って人手も余ってますし」

「何かあったのですか?」


 もう油の事はそっちのけで新たな話題に食いついた。

 気の多さは、叔母の日葵と同様である。


「困ったものですが、大八車を盗まれてしまいましてね。お得意様へ納品出来なくて、使用人は手持ち無沙汰なんですよ」

「それは災難でしたね。最近多い大八車泥棒のやつですか」


 最近、よく噂にあがる大八車の盗難事件。

 ここ二週間ほどの間に多発しているらしい。


「荷車だけならまだしも、うちは品物ごとやられてしまいましてね。そっちの損害の方が大きいんですよ」

「商品の油が入った油桶ごとですか?」


 被害が大きいという言葉ほど表情や話し方は落ち着いている。

 どちらかというと業務が滞ってしまって困っているように見える。


 この時代の油屋は、儲かっていた。

 油の利用目的は多く、調理油としてもそうだが、夜間の灯りも油、髪を整える整髪料も油が原料だった。


 店主の五兵衛は、その油の小売りに長年携わっており、利用客の信頼は篤い。

 椿屋としても手堅い商売をしており、一度商品を盗まれるくらいの損失で店が傾くような事はないので、困っている様子だが深刻さはなかった。

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