6.油桶

「最近、松風お気に入りの甘味率が高いのですが、仕方ありませんね。ここまで来て食べない選択肢はあり得ませんから」


 仕方ないと言いながら、町木戸への最短路ではなく、松風を売っている菓子屋に立ち寄ってきた日向である。


 日向は神田の街の銘菓 松風を食しながら、東へと向かう。

 買い食いは武家の子女としてふさわしくないが、食べ歩きはそれ以前の問題だ。

 通りかかる人々は、奇異の目で見るが当人に気にする様子はない。


「さあて、モモ。始めますか!」

「わう!」


 いくつもの松風を腹に収めながら、辿り着いた東の町木戸。

 覚えさせていた椿屋の油の匂いを辿らせるべく、日向はモモに声をかけた。


 モモは道中、松風のおこぼれを頂戴して元気いっぱい。

 尻尾をピンっと立て地面をフガフガ。


 周辺の匂いを嗅ぎ回り、次第に一つの方向に体が向かっていく。

 そのまま歩き出したモモの後ろについて歩く日向。


 今回も歩みはスムーズであるが、果たして見つけることはできるのか。



 探索を始めて、四半刻(30分)。

 迷いのない足取りで進むモモであったが、とある火除地ひよけち(防災上の空き地)に差し掛かると、そこで生い茂っているススキ野原の中に入って行ってしまった。


 少し逡巡するように立ち止まった日向は、意を決したように、ススキを掻き分け後を追う。

 五尺(1.5m)ほど奥に入ると不自然にススキが倒れた空き地に出た。


 そこは直径三尺(0.9ⅿ)にも満たない歪な円形でススキが踏み荒らされていた。

 そして、その中央に鎮座するのは、椿屋の焼き印が入った油桶。

 ついにモモは目当てのものを見つけ出したのだ。


「やっと見つけました! でもなんでこんな場所に? それに一つだけです。残る九つは、どこなんでしょうか。ひとまず、ここにいても仕方ないですね。移動することとしましょう」


 しかし、問題が一つ残っている。

 この油桶は重さ五貫(18.5㎏)もあるのだ。

 いくら持ち手があるといっても、とてもではないが女子おなごの細腕で運ぶことはできない。

 こればかりはモモも役には立たない。


 日向は、どうにかこうにかススキ野原から道までは持ってこれたが、ここで力尽きた。

 道端で油桶とともに途方に暮れる少女と黒い柴犬。


「日向じゃねえか。こんな所で何してんだ?」


 そこに通りかかったのは、日向の小さな盟友。

 神田の街を根城にする浮浪児。

 彼の体は小さくとも気が強く、世知に長け、仲間を思う気持ちが大きい。


 彼とは、家出屋騒動で被害者となった仲間のを助けてもらって以来、日向と仲良くやっている。

 もっとも、彼に言わせれば、世間知らずな日向の面倒を見てやっているだけというのであろうが。


「哲太! こんなところで何してるんです?」

「それはこっちの台詞だろ! ここは神田だぜ。俺の縄張りよ!」


 今、はたと気が付いたとばかりに笑顔となる日向。


「そうでした。それにしても良い場面で出くわしました」

「なんだよ。良い場面って」


「ふふふ。実はこの油桶を運べなくて困ってたんですよ」

「このクソ重たそうなやつを運ぶのかよ。俺は忙しいんだっての」


「良いじゃないですか。お礼にお団子ご馳走しますから!」

「……仲間全員分だぞ」


「りょうかいです! でもどうやって運びます?」

「んなもん簡単だろ。こういうのは、棒手振ぼてふりっていう行商がな、担いで売り歩いてんだよ。しかも棒の前と後ろにに二つもな。ちょっと待ってろ」


 そう言うと、どこかへ駆け去っていく哲太。

 すぐに戻ってきた哲多の手には、飴色に輝く天秤棒が握られていた。


「ほらよ。これを持ち手に通して二人で担げば、そう苦労しないだろ」

「結構使い込んでる棒のようですね。盗んじゃダメじゃないですか」


 せっかく哲太が解決策を提案してくれているのに、日向は哲太をジト目で見る。


「なっ! 盗んじゃいねえよ! 顔見知りの棒手振の兄ちゃんに借りたんだっての。変なこと言ってっと手伝わねえぞ」

「冗談ですよ! じゃあ私が(棒の前側)を担ぎますね」


 自分の言葉が面白かったのかニヤニヤしながら前に回った日向。


 哲太をからかっているのである。

 先棒を担ぐとは、首謀者の手先となるという意味を含んでいるからだ。


「ニヤニヤしてんじゃねえ! 盗んでねえからな!」


 二人で担ごうとも、油桶が重いことに変わりないのであるが、ギャアギャアとふざけあいながら楽しそうに油桶を運ぶ二人。

 隣を歩くモモも心なしか嬉しそうに見えた。

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