12.上野の鶯(うぐいす)

 薮田の爺様は、日葵から話を聞いたときに指示していた物。

 それは普段使う豆腐や醤油、味噌。さらに枝豆か煮豆があればどちらかをと。


 盆に載せられた品々を見て薮田の爺様は満足そうに頷く。


「では始めよう。最初に言っておくが、始めれば具合が悪くなるだろう。それだけは勘弁してくれ」

「どの道、淡雪豆腐を試作していりゃあ具合が悪くなんです。大した事じゃございやせんや」


「良かろう。では、醤油と味噌を一舐めしてみてくれ」

「へい」


 小皿に盛られた醤油と味噌。それを洗練された仕草で一舐めする銀次。

 さすがに料理人。その仕草は料理の出来をみる板前のように見えた。


「少し間を置こう。水は飲んで構わん」


 そういってジッと銀次の様子を見守る一同。居心地が悪そうに座る銀次。


「銀次さん。具合はどうかね?」

「特に変わったところはありやせんね」


「うむ。では枝豆を食ってみてくれ」

「……どうしても食わなきゃ駄目ですかい? あっしは、枝豆の青臭いのが苦手で」


「今日だけは我慢してくれ」

「銀次。お願い」


 薮田の爺様の言葉でも踏ん切りがつかない様子だったが、お多恵の声を聞くと意を決したようだ。


 恐る恐る一つのサヤを取った。

 目を瞑ると枝豆のサヤを咥えて、歯を立て中の豆を口に含む。そしてゆっくりと咀嚼している。


 その光景を先程のように全員で見守る。

 その様子を見ていた薮田の爺様は、先程より念入りに銀次の様子を観察している。


「どうじゃ? 豆腐のときと同じではないか? 首周りにも赤みがさしてきておるぞ」

「へい。確かに豆腐と同じで。喉がイガイガして何となく鼻が詰まってきやした」


「間違っていなかったか。口を見せてくれ」


 一体何が起きているのやら、とんと理解できない周囲をよそに、薮田の爺様は診察を続ける。口を開けさせ奥を覗こうとしている。その様子から喉を見ているように思えた。


「赤くなって腫れておるな。これでわかったぞ」

「銀次は一体何だったんですか?! わかったのなら治るんですよね!」


「わかるにはわかったが、治せはせん」

「そんな……」


「慌てるな。治せんが、症状を出さないようにはできる」

「そんな事が可能なのですか?」


「ああ。銀次さんはの、大豆やそれで出来たものを食うと体の調子を崩すのじゃ。だから食わなければ健康そのものじゃ」

「そんな病気聞いたことありません……」


「正確には病気ではないのじゃ。例え話をしよう。腐った物を食った事がある人間ならわかろう。腐った物を食うと、吐いたり、腹が下ったりするじゃろう。それは体が異物を外に出そうとしているからなのじゃ」


 うんうん、と頷く日葵。それを横目に引き気味で見ている日向。


「それでな、稀に普通の食材でも体が反応してしまう人間がおるようなのだ。極めて稀であるのじゃが」

「それが銀次って事ですか?」


「そうじゃ。食材に関しては人それぞれで銀次さんのように大豆がダメな人もおれば、鶏卵がダメな人もおる」

「じゃあ、大豆でできたものを食べなければ、問題ないってことですよね?」


「さよう。こういった人たちは醤油や味噌は大丈夫なことが多いらしい。じゃから銀次さんも醤油と味噌を一舐めした時には変調せなんだ」

「となると枝豆やお豆腐、煮豆なんかに気を付ければ良いと」


「ちょっと待ちねえ!」


 お多恵と薮田の爺様の間で、どんどんと進む話に呆気にとられていた銀次は思わず割り込む。


「どうしたの? 銀次」

「どうしたもこうしたもねえやい! 料理人が豆腐を食えねえんじゃ、作った料理の味がわからねえじゃねえか。そんな大事な事を放っておいて枝豆やら煮豆やらの話をしてるんじゃねえ」


 当然の前提として、大豆類を口にしない事で話が進む事態に、料理人の矜持を傷つけられたのか憤慨して一気に捲し立てる。


 一方のお多恵はどこ吹く風。全く動じない。


「銀次の具合を悪くしないためじゃない。大切な事よ」

「豆が食えねえくらい大した事あるか! そんな事より俺は、親父さんを唸らせる淡雪豆腐を作らなきゃなんねえんだ。もうお前を待たせねえって決めたんだよ!」


「ありがとう。銀次。でもね、それこそ大した事じゃないわ」

「豆腐の味がわからねえ俺にとっては充分大した事だっての!」


 お多恵は、優しく首を振る。


「味見は私がするわ。それで問題無いわ。私だって小さい頃からお父さんのご飯を食べて育ったんですもの。舌には自信あるの」


 思いもよらぬ提案にたじろぐ銀次。


「そんな事、言ったってお前。毎度味見してもらうわけにはいかねえだろ?」

「あら。これからは二人でお店をやっていくのよ? ずっと一緒に居られるじゃない。ね? 問題ないでしょ」


 ニコリと笑うお多恵の顔には少女の面影はなく、愛しい人との将来を見据えた女性の顔になっていた。



 ※ ※ ※



 あれから一月ほど経った上野の広小路。目の前には上野屋。


 少し古びた看板には、 代目と空白だった部分に真新しい『二』の文字が。

 その『二』の文字だけが鮮やかに浮かぶ。


 その看板を見上げるのは、日向と日葵の姪、叔母コンビ。


「上野に新しいが来たようですね」

「そうね。鴛鴦おしどりも妬いちゃうほど、仲の良い夫婦らしいわよ」



『風と豆腐』 了




 ◆◆◆お礼とお願い◆◆◆


 くノ一ちゃんは忍ぶれど ~華のお江戸で花より団子~

 第一話『風邪と豆腐』を読んで頂き、ありがとうございました。


 今回の裏テーマは江戸時代のアレルギーでした。

 当時アレルギーという概念は無く、体が弱いとか風邪だろうと見做されていたようです。

 とある説では、花粉症すらなかったのではという意見もあるほど。


 アレルギーという概念が無い事により起きる症状を当時の人はどう思っていたのだろうかという着想で書き上げたお話でした。


 次のお話は、『子供の行方』というお話になります。

 詳しい話は後日のお楽しみとして、やっと日向たちが忍者らしい働きをする内容になっています。


 もし、日向などのキャラが好き!


 こんな甘味話が欲しい! 続きが気になる!


 裏耕記いいぞ! 応援してるぞ!


 と、思っていただけましたら、

 

 ★評価とフォローを頂けますと嬉しいです。


 まずまずなら★、中々良いじゃないか★★、面白いじゃないか★★★


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る