8.追跡

「彩乃が居ない」

午後からのオンライン授業に、入室していない。


千景は、挙手ボタンを押した。

「川口先生。彩乃が居ません」


川口先生が慌てた。

「えっ!ちょっと今日は、授業を中止します」

川口先生が、一瞬で判断した。


四時限目は、数学の斎藤先生だった。

川口先生は、四時限目が終了して、クラスの全員がオンライン授業から退室した。と引継を受けていた。

欠席者は居なかった。


昼休みの一時間に、何があったのか。

担任の西川先生が、すぐ、彩乃の自宅に電話連絡した。

両親は、勤めに出ている。


だから連絡は取れない。

緊急連絡先が、母親のスマホになっている。

連絡すると、母親が慌てていた。

すぐに帰る。との事だ。


千景のスマホに着信。

川口先生からだ。


「心当たり、無い?」

応答すると、彩乃の行先の質問だ。

いや、訊問だ。


挨拶も何も無い。

いきなりの用件だ。


川口先生が、彩乃に無理しないように、云っていた。


千景は、咄嗟に云った。

「川村」

千景は、慌てた。


スマホ片手に、弘君を叩き起こした。

今日は、夜勤明けで、まだ眠っている。


弘君が、漸く起きた。

千景は、彩乃が行方不明だと喚いた。

だから、「川村」へ連れて行ってくれと頼んだ。


「急ごう」

と云って、弘君が、慌てて着替えた。


千景は、車の助手席に乗り込んで、待っている。


「ちょっと待て」

弘君が、玄関から出て来た。

駐車場へ来ない。

自宅の駐車場を通り過ぎて、どこかへ走って行く。


「お父さん。どこへ」

千景は、焦った。


「辻倉さん家や」

弘君が、云った。

走って、彩乃の自宅へ向かった。


そうか。

彩乃の自宅は、歩いて十分足らず。

走れば、五分くらいだ。


タブレットのモニターに、映っていないだけかもしれない。

彩乃は、自宅に居るかも分からないのだ。


千景は、車から降りた。

弘君に続いて走った。

彩乃の自宅の門をくぐった。


インターホンを押した。

家の中でチャイムが鳴っている。


「居らんなあ」

弘君が、千景の後から云った。


「やっぱし。居らんやん」

千景は、弘君を詰った。


「チカ。あの自転車。誰のや」

弘君が、気付いた。

いつも、自転車は、二台、玄関脇に置いてある。


「あれは」

母親の自転車だ。


彩乃の自転車が無い。

だから、彩乃は、自転車で出掛けている。


「そしたら、近くやな」

弘君が云った。

塩出市へ、行ったのではないだろうと云った。


塩出市。

つまり、「川村」ではない。

弘君が断言した。


「急ごう」

弘君が云った。


「うん」

千景は返事をしたが、どこへ行くのか分からなかった。


千景は、自宅の駐車場へ戻り、車に乗った。

弘君が、少し焦っているのか、何度か、エンジンを掛け損ねた。


車は、通い慣れた通学路を走っている。

中学校へ向かう道。


いつも、車をやり過ごす、空地の角に差し掛かった。

まつすく進むと中学校だ。


弘君が、空地の角を曲がった。。

国道へ抜ける脇道へ入った。


「どこ、行くん?」

千景は、尋ねた。


「平野スタジオや」

弘君が云った。


穴うさぎは、丸肥町の大型ペットショップには居ない。

地元では、西入浜のペットショップ本店で購入出来る。


笠木工務店の社長さんが、見ていたそうだ。

西入浜のペットショップで、うさぎを購入していた。

それが、「平野スタジオ」の、平野幸治だった。


弘君が、大西君に連れられて、塚本君の自宅へ行った。


塚本君の自宅で、うさぎを見付けた。

その、うさぎの尻尾付近に絡まっていた。

細くて黒い小さな筒。

靴紐の先の通し金だ。


殺害された柚葉が飼っていた、うさぎを購入したのは平野だろう。


だから、「平野スタジオ」へ向かっている。

国道から丸肥町を通って、官公庁街に向かい、銀杏通りへ入る。


大型ショッピングモールを過ぎて、すぐの交差点を市街地に入る。

平和通り。

ビルの立ち並ぶ一画に、「平野スタジオ」がある。


一階が、駐車場になっている。

車が、三台停まっている。


「自転車!」

千景は、ビルの入口付近で、自転車を見付けた。

間違い無い。

彩乃の自転車だ。


しかし、どうして彩乃が、平野に辿り着いたのか。


彩乃が、葛西の事務所を訪ねていた。

その時、一緒にいたのは、川村だった。

もう一人、男が事務所に居た。


彩乃は、その男が犯人かもしれない、と朝会で云っていた。


彩乃の説明に、平野らしい人物は登場していない。

だから、彩乃が、平野スタジオに来ている事が、不思議だった。


「やっぱし。来とったなあ」

弘君が、のんびりとした口調で云った。

しかし、緊張しているのが分かる。

珍しい。


千景は、弘君の後から、ゆっくりと車を降りた。


千景は、弘君の後から、入口から二階へ上がった。


二階に上がると、正面にスタジオへ入る入口がある。

下駄箱の隣に事務所へ入るドアがある。


事務所の入口に靴があった。

弘君が靴を手に取った。

千景に靴紐を見せた。


その時、誰か、スタジオから出て来た。


「ヤッシ!」

弘君が、大声で呼んた。


「アッきゃん。なんで」

林刑事さんが驚いている。


「辻倉さんが、家に居らんのや。それで…」

弘君が、事情を説明した。


「けど、上には、誰も居らん」

林刑事さんが云った。


「南警察署の日置さんは?」

弘君が林刑事さんに尋ねた。


「日置が?」

林刑事さんが、弘君に問い返した。


「実は…」

弘君が、林刑事さんに説明した。

柚葉が、彩乃に、うさぎを渡そうとしていたらしい事。

柚葉を殺害した犯人が、現場から、うさぎを連れ去ったかもしれない事。

その、うさぎを発見した事。

うさぎに、靴紐の通し金が絡まっていた事。


弘君が、日置刑事さんに、説明していた。

勿論、平野が、穴うさぎを購入していた事もだ。

日置刑事さんが、今日、平野に事情を訊ねると云った事。


駐車場にあった車は三台。

今、弘君の車を入れて四台ある。


後は、林刑事さん、日置刑事さんと平野の車だ。

自転車は、彩乃の自転車。


しかし、スタジオには、誰も居ない。

林刑事さんと三好刑事さんは、今、ここにいる。


「歩いて、どっかへ行ったんや」

千景は呟いた。

つまり、平野、日置刑事さんと彩乃の三人が、徒歩でどこかへ、出て行った事になる。


「手分けして探そう」

弘君が云った。


「ちょっと、日置に電話してみる」

林刑事さんが、スマホを操作した。

すぐに応答があった。

日置刑事さんが、平野スタジオに来た時には、平野は居なかった。


日置刑事さんは、暫く駐車場で、待っていた。

一時間経っても、平野が帰って来ない。

それで、平野の立ち寄りそうな所へ向かった。

平野スタジオから、アーケード街までは、すぐ近くだ。


日置刑事さんは、今、葛西が事務所にしていたビルに居るとのことだ。


林刑事さんが、云った。

葛西が、事務所にしていたビルを手分けして当ろうと云った。


「儂らは」

弘君が林刑事さんに、彩乃捜索を手伝うと云った。


「そうやのう」

林刑事さんが云った。

危険だから、ここで待つか、帰れと云った。


そして、林刑事さんと三好刑事さんは、事務所を覗いて出て行った。

窓から覗くと、アーケード街へ向かって、歩いているのが見えた。


「早く行こう」

弘君が云った。


「どこへ?」

千景は、帰るのかと思った。

小さなホワイトボードに、小さな日程表が貼ってある。


今日は、日の出町の、イベント会場へ出掛けている筈だ。


弘君の車で、日の出町のイベント会場へ向かった。


午後四時頃。

臨海公園に到着。

遊歩道の駐車場へ車を停めた。


千景は、弘君と遊歩道を歩いた。

平日の夕方。

臨海公園の遊歩道を歩く人は居ない。

無闇矢鱈に、木々が生茂っている。


誰か居た!

彩乃だろうか?

「お父さん!」

千景は、叫んだ。

木々の間から、走っているのが見えた。

彩乃だ。間違い無い。

逃げている。


男が追い掛けている。

弘君が駆け出した。


千景も後に続いた。

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薫風に栴檀草 真島 タカシ @mashima-t

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