9.母娘

「ヒロム君、すぐに見付けたんやなあ」

美加が云った。

ヒロム君?


昨日に引き続き、カクヤのイートインコーナーで、話し合っている。

今日も、午後六時からだ。


下村さんは、早くから来て、先におやつを済ませたそうだ。

美加は、また、四割引のカレーパンに、齧りついている。

カレーパンは、あまり人気が、無いのかもしてない。


ヒロム君とは、千景のお父さんの名前だ。

千景は、最初、お父さんの名前だと、気付かなかった。


「そうなんや」

千景は、お父さんから聞いた内容を説明した。


お父さんが、塚本君の自宅で、うさぎを見付けた。

すぐに、栗林南警察署へ届け出た。


お父さんの対応に当ったのは、南署の日置刑事だった。


日置刑事は、北署の林刑事を知っていた。

林刑事とは、警察学校で一緒だったそうだ。

お父さんは、林刑事と高校時代の同級生だから、おそらく、同い年くらいだろう。


「政木柚葉さんの事件。進展は無いんですか」

お父さんが、日置刑事に尋ねた。


「そんな事は無いです。ちゃんと捜査は進んでいます」

日置刑事は、自信を持って云った。


「政木柚葉さんは、娘と同じ中学校へ通っていて、クラスこそ違うんですが、同じ学年なんです」

お父さんは、学校の状況を訴えた。

現在、中学三年生で、もうすぐ高校受験だ。

それなのに、授業はオンラインで、解らない単元について、質問も指導も受けられない。


こんな状況が続けば、娘の人生に影響を受けてしまう。

勿論、殺害された政木柚葉さんに、もう将来は無い。

だから、せめて、早期に犯人を逮捕して、事件を解決してくれるように期待している。

お父さんが、日置刑事に熱弁を振るい、激励したそうだ。


「分かりました」

日置刑事が、そう応えた。

政木柚葉さん殺人事件の、捜索状況は、当然、極秘だから話してはもらえない。


ただ一つ。

日置刑事が、防犯カメラ映像の分析を急いでいる。と漏らした。


それで、ここからは、お父さんの想像だ。

現状、分かっているのは、報道機関で報じられている内容だけだ。

捜索線上に浮かんでいるのは、「謎の野球部員」だ。


謎の野球部員は、西の搬入口から川沿いの道路を南方面へ歩いて行った。

運動場を越えて、丸肥方面へ向かった。


ここまでは、サッカー部員の証言で判っている。


丸肥町の大型商業施設やストンウッド通なら防犯カメラも多い。

だから、その辺りに、謎の野球部員が現れると、追跡は可能だ。


だが、その近辺に、現れては、居ないのだろう。

報道機関で報じられる頻度が減少した。

勿論、報道されていないだけかもしれない。


謎の野球部員は、ジャージ姿で、野球キャップを被って、マスクを着用していた。

学校から立ち去って、そのままの姿なら、どこかの防犯カメラに、捉えられている筈だ。


だから、途中で、着替えたと考えているのだろう。

しかし、着替えたとしても、バットケースを持っていた。

これは、かなり目立つ。


ストンウッド通にも、大型商業施設の防犯カメラにも、バットケースを持った人物は映って居なかったのだろう。

映っていたのなら、報道機関が挙って報じるだろう。


そして、今回、うさぎを発見した。

更に、うさぎの、お尻の毛に、細くて黒い枝のような物が絡まっていた。


「何だと思う?」

千景が、美加と下村さんに、問い掛けた。


「分かった」

美加が、少し考えて、弾けたように云った。

「ひっ付き虫」

美加が云った。


ちょっと、沈黙してしまった。

思い出したのだ。


冬になると、彩乃が、毎朝、千景のスカートの裾に付いた、ひっ付き虫を取ってくれる。

美加も、思い出したのかもしれない。


「残念でした」

千景は、気を取り直すように、解答を云った。


うさぎの、お尻の毛に、絡み付いていたのは、名前は、よく分からないのだが、靴紐の先の通し金だった。


そして、うさぎと、靴紐の通し金の発見で、犯人の足取りが、一部、判明した。筈だ。


中学校の校庭から、石木竹原まで、うさぎが、自ら移動したとは考え難い。

それに、うさぎは、誰にも目撃されていない。


だから、犯人は、車で移動した可能性が高い。


事件直後から、警察は、聞込みをしていた。

中学校から、ストンウッド通までの間の脇道で、不審な車が駐車されて居なかったか。

千景の自宅にも、警察官が聞込みに来ている。


大西君が、塚本君を自宅へ送り届けたのが、午前九時過ぎ。

その時に、塚本君の自宅近辺に、うさぎは、居なかった。


午前十時過ぎ、塚本君の母親が、一旦、帰宅している。

母親は、その時間、昼食と夕食を作りに帰宅することにしている。


父親は夜勤なので、朝、帰宅して正午くらいまで眠っている。

その時、うさぎが居たかどうかは、不明だ。


塚本君の母親が、二時間の昼休みを挟んで、次の清掃担当事業所へ出掛ける。

それが、正午前。


塚本君は、門まで、母親を見送りに行った。

その時、うさぎを見付けた。

だから、正午頃に、うさぎは、門の茂みに居た。


柚葉が、美加に忘れ物があると云ったのは、うさぎで間違い無いと思う。

その、うさぎが、塚本君の自宅で見付かった。


柚葉が殺害されたのは。午前七時前。

塚本君が、自宅で、うさぎを見付けたのは、正午頃。

約五時間後だ。


勿論、うさぎが、五時間、何処かをほっつき歩いていた。

誰にも見付からずに、その周辺に居た。のかもしれない。

しかし、その可能性は低い。


塚本君の、自宅の前に通じる道路は、二方面ある。

一つは、丸肥町の大型商業施設前から、隣県に続く旧道へ抜ける県道だ。


午前七時頃というと、通勤ラッシュの時間だから、不審な車を探すのは、困難だろう。


正午頃なら交通量も少ない。

比較的、不審な車を特定出来るかもしれない。


もう一つは、ストンウッド通の、栗林大学工学部と、県立図書館の間から、栗南町に続く県道がある。


お父さんが、大西君に連れられて、塚本君の自宅へ向かったのが、この栗南へ続く県道だ。

栗南町へ続く県道は、さほど交通量が多くない。


だから、ストンウッド通側から向かったとすれば、比較的、不審な車を特定出来るかもしれない。


しかし、塚本君がうさぎを見付けたのは、正午頃だ。


犯行時間から、五時間、経っている。

その間、犯人は、うさぎと一緒に居たと考えられる。


逆に、旧道側から石木竹原へ向かったのかもしれない。

あるいは、栗南町方面から石木竹原へ向かった事も考えられる。


そして、わざわざ、事件のあった石木町に、うさぎを放した事になる。


何のために。


五時間もあったのだから、どこか、別の場所で、うさぎを処分が出来た筈だ。

それと、うさぎの尻の毛に、絡まっていた靴紐の通し金だ。

犯人の物なのか。

どうして、うさぎの毛に絡まったのか。


犯人が、政木柚葉をバットで撲殺した。

うさぎは、政木柚葉の手から放たれた。

そして、うさぎが、犯人の足元に落ちた。


それくらいで、あの小さな部品が、うさぎの毛に、絡むのだろうか。

今、お父さんの悩みは、この五時間の意味と靴紐の先だ。


次に「美少女探偵団」の方だ。

千景の調査は、難航している。


美加に、酷い事を云われたと云う、柚葉が殺されている。

だから、誰から聞いたのか、本当の事は、判らない。


「政木さんが、嘘を吐いたんかな?」

下村さんが、柚葉は、嘘を吐いているかもしれないと云った。


美加と対立した当時、一年生だったバレーボール部員は、十一名だった。

対立して以降、二名が退部して、現在は九名になっている。


下村さんは、現在、残っている九名の内、七名に確認した。

美加が直接呼び出した下級生以外の全員に、話しを聞いた。


しかし、下村さんが、柚葉から聞いた内容と同じだった。

美加が、直接、呼び出した下級生は、内容を喋っていない。


美加と対立した後、退部した二名については、まだ、聞き取りが出来ていない。


次に、当時の二年生、現在の三年生からは、美加が、ひとりずつ呼び出して確認した。

しかし、柚葉からは、なにも聞いていない。

当時、バレーボール部の二年生は、十四名居た。

三年生になって、三名が退部した。


皆、美加が転校した事には、ショックを受けていたようだ。

しかし、その所為で、退部した訳ではなかった。


退部した三名は、レギュラーメンバーに入っていない。

高校へ、推薦で進学できる訳ではない。

勿論、夏の大会まで在籍していれば、内申点に加点されるのは、分かっている。

しかし、大会後から、受験勉強を始めても遅いと思った。

だから、受験勉強のため、退部したのだった。


当時の二年生に、柚葉は、何も美加の悪口を云っていない。

しかし、当時の一年生には、美加の悪口を云っている。


これは、どういう事なのか。


「分かった。今度は、二年生で退部した生徒に聞いてみる」

下村さんが勢い込んで云った。


千景は、同学年のバレーボール部員とは、ほんの顔見知り程度だ。

ましてや、下級生のバレーボール部員とは話しをしたことも無い。


廊下で、すれ違っても分からないだろう。

それに、現在は、オンライン授業だから、廊下ですれ違う事も無い。

それでは、なにをすれば良いのか分からない。


「ちょっと、缶コーヒー、買って来る」

千景は、席を立って、店内の飲料レーンへ向かった。


すぐ前に、母娘連れだろうか、二人の会話が聞こえた。


「あの人、西田さんやわ」

中学生だろうか、娘が母親へ云った。

一緒にバレーボールが出来ると思っていたらしい。

どうやら、石木スポーツクラブに入っていたらしい、


間違い無い。

美加の事を話題にしている。

一年生のバレーボール部員ようだ。


「でも、転校したんやろ」

母親が云った。

母親は、美加が、殺害された柚葉に、酷い事を云って、二年生と対立した。と聞いているようた。


母親は、美加が、事件に巻き込まれて、可哀想だと云っている。


良かった。

美加に、悪い印象を持っていない。


千景は、缶コーヒーの棚に着いた。

目的の缶コーヒーを見ていた。


「それが、違うんやで」

娘が云った。


「何が?」

母親が、娘に尋ねた。


千景は、缶コーヒーの棚を通り過ぎた。

母娘の会話が、気になった。


「タエコさんは、本当の事を知らないのよ」

娘が、母親に云った。

娘は、美加が、誰かに嵌められた。と母親に教えた。

美加が、当時の一年生、バレーボール部員と対立するように、仕向けられた。


母親は、眉を顰めた。

嫌な事を聞いた。とう表情だ。


母親は、菓子売場前の島からポテトチップ四袋を買い物カゴに入れた。

ポテトチップ骨付鶏味だ。

それだけで、一カゴが、一杯になった。


柚葉は、チケットを購入したが、イベントへ来られなかった、バレーボール部員全員に、チケット代全額返金している。


イベント会社から購入したチケットは、五十枚。

バレーボール部員に販売したのが、十一枚だった。

残ったチケットが三十五枚だった。

そして、バレーボール部員から九枚、チケットが戻っている。

殆ど、販売出来ていない。


つまり、柚葉は、ほぼ、自腹でチケット代を負担した事になる。


この新入生は、何故、そんな事まで知っているのか。


柚葉は、葛西のイベント会社以外からも、スポンサーの津和木から、出演料を受け取っていた。

イベントの無い時にも、津和木から、広告料を受け取っていたようだ。


本当に出演料や広告料なのか、怪しいものだ。

そう云って、美加が、柚葉を詰った事になっている。

怪しい収入とは、売春しか、思い浮かばない。


しかし、美加は、柚葉の収入源に、何ら興味が無いようだった。


後日、柚葉が、バレーボール部を退部した一人のバレーボール部員に漏らした。

「金蔓が出来た」

金蔓と云う表現から、真っ当な収入では無いのだろう。


美加なのか?

しかし、美加には、金銭を要求されたような気配が無い。


どこか、別の企業なのか?

もし、別の企業なら、広告料とかの真っ当な収入になると思う。


それで、殺人事件まで、起こるのだろうか。


とにかく、下村さんが、退部した当時の一年生から聞き取りする。と云っていた。

それを待ってみよう。


退部したバレーボール部員は、当時の一年生が二名だ。


それにしても、驚いた。

学校の廊下で、すれ違っても、一年生のバレーボール部員だとは、分からない。


しかし、スーパーの売場通路で、すれ違っただけで、バレーボール部員だと、分かる事が、あるんだ。


「タエコさん。早く、惣菜売場へ行かないと、無くなる」

娘が、タエコさんを急かした。

早く行かないと、半額シールの惣菜が無くなるらしい。

タエコさんとは、母親の名前なのだろう。


千景は、缶コーヒーの棚へ戻った。

千景に迷いは無い。

一番安い、缶コーヒーの微糖を手にして、レジに並んだ。


千景は、缶コーヒーを一本持って、イートインコーナーへ戻った。


千景は、美加に、どうしても、気になった事を確認した。


「ミカは、お父さんを名前で呼んでるん?」

千景が美加に、尋ねた。


美加は、小学校まで、「パパ」「ママ」と呼んでいた。

中学生になってからは、「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになった。

何故だか、美加にも分からない。


ただ、母親に、父親の事を云う時には、「敏和君」と云うようになった。

敏和とは、美加のお父さんの名前だ。


気が付くと、父親に、母親の事を云う時には、「美津子さん」と云うようになっていた。

勿論、美津子さんとは、美加の母親の名前だ。


そして、友達の両親の事を自分の両親に話す時にも、友達の両親の名前で、云っている。

と云う事だ。


成程。弘君かぁ。

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