2.事情
今日は土曜日。
朝から外出した。
少女Aに、会うためだった。
美加の自宅を訪ねたが、会えなかった。
どうしてもと云って粘った。
すると、明日、午後二時ならと約束出来た。
それで、大西君を訪ねた。
ごく普通に会ってくれた。
洋室の小さな応接室で、話しを聞いた。
お母さんは、パートに出て留守だった。
代わりに、お父さんが、お茶を煎れて運んで来てくれた。
お父さんは、新型コロナの影響で、現在、自宅待機になっている。
旅行代理店に勤めているが、現在、仕事が全く無いそうだ。
「授業に出ないの」
千景は心配していた。
事件が起こった後だから、出席し難い事は分かっている。
「俺は、進学しない」
大西君が云った。
「知ってる。お父さんの仕事の事で?」
千景は、尋ねた。
「そうや」
大西君が答えた。
中卒だと職種が限られる。
不利な事は、分かっている。
だから、手に職をつけようと思った。
「それなら一層、勉強しないと、資格取れないでしょ」
千景は、やはり心配だった。
「大工になろうと、思うとんや」
大西君が、意外な事を云った。
スポーツは、得意だから、体力はあるだろう。
しかし、職人となると、手先が器用でないと出来ないのではないか。
「誰か知ってる大工さん。居るん?」
千景は、大西君が、将来を考えている事で、少し安心した。
「いや、居らん」
大西君が、云い放った。
千景は、また心配になった。
「それより、秋山さんは、進学するんやろ」
大西君が尋ねた。
受験前にこんな事件が起こって、勉強が手に付かないだろう。
千景は、国語が得意だから、文系だろう。
でも、英語が苦手のようだから、大変だ。
文系、理系に係わらず、英語は必要だ。
「そうなの。どうしても英語が」
千景は、そう云いながら、気付いた。
大西君に、進路相談している場合ではなかった。
「それは、そうと」
千景は、随分、唐突で強引に、話題を切り替えた。
これからが、本題だ。
「どうして、警察で、嘘を吐いたの」
千景は、真剣に尋ねた。
大西君は、それに気付いて、表情が変わった。
「西田さんを助けたかったんや」
大西君が、警察で云った言葉だ。
「西田さんが好きなの?」
千景は、飾らずに尋ねた。
「そうや」
大西君が、千景の問に、正面から答えた。
しかし、千景には、何かを隠しているように思えた。
「しかし、それだけでは、ないでしょ」
千景は、真剣に尋ねた。
大西君が、千景の思いを受け止めたのか、表情が変わった。
しかし、また、すぐに、飄々とした表情に戻った。
「西田さんに、助けられた事があるんや」
いつもの見馴れた表情だ。
新型コロナウィルス感染拡大の時期。
小、中、高の学校が一斉休校になった。
大西君は、石木竹原小学校。
美加は、石木葛原小学校。
卒業式は、出席保護者の人数制限を実施した。
石木中学校の入学式も、同様に、出席保護者の人数制限を実施した。
美加も大西君も、小学校を卒業して、中学校に入学した。
しかし、一斉休校は継続していた。
ずっと、休校のままだった。
そんな、ある日。
大西君は、自転車のタイヤに空気を入れていた。
スマホに着信があった。
本屋さんからだった。
注文をしていた本が入ったという連絡だった。
ずっと学校が休校だったので、以前から興味のあった本を探していた。
大西君は、歴史が好きだ。
「本能寺の変」の新解釈本がある事を知って、探したが、見付からなかった。
そこで、その本屋さんに注文していたのだ。
本屋さんは、国道を渡った通りにある。
ペットショップの、道路を挟んで向い側にある。
本屋さんといっても、三階建のビルだ。
ブックセンターというらしい。
部屋に戻り、財布を持って、外へ出た。
目の前の、自転車に跨って、本屋さんへ走った。
国道を渡るとすぐだ。
自転車を停め、店舗に入った。
すると、お客さんが、驚いた表情で、周りから居なくなった。
何があったのか、分からない。
レジカウンターへ向かっていた。
すると、一人の男の人から、大声で怒鳴られた。
初めて気付いた。
マスクを忘れていた。
普段、自宅では、マスクを外している。
しかし、外出する時は、必ずマスクを着用していた。
もう、習慣になっていた。
だから、当然、マスクを着用していると思っていた。
男の人に怒鳴られて、焦った。
テレビのニュースで、報じられている。
公共交通機関で、マスクの未着用を巡るトラブルだ。
都会の話しだろうと思っていた。
まさか、こんな地方で、しかも、大西君が当事者になるとは、思ってもいなかった。
ニュースに、なったりしないだろか、と不安になった。
慌てて、店舗から出ようとした。
その時。
「これ」
同年代の女子が、マスクを手渡してくれた。
そして、五月中旬。
学校が始まった。
教室に入って、一人の女子生徒を見て、驚いた。
クラスメイトに、見覚えのある女子生徒がいた。
あの時も、あの女子は、マスクを着用していた。
今も、皆、マスクを着用している。
しかし、強い意志を表す目。
碧く凛々しい眉。
はっきりと覚えている。
間違いない。
同じクラスに、居た。
本屋さんで、マスクを渡してくれたのは、この女子生徒だ。
直接、確認すると、美加は、微笑んで、頷いた。
「でも、美加を信じなかったの?」
千景は、また、尋ねた。
確かに、今でこそ、マスク警察は、居ない。
しかし、当時は、大変な騒ぎになる可能性があった。
だから、助けられたと思ったのも理解出来る。
それにしても、殺人事件だ。
美加が、殺人事件なんて、起こす筈がないと思わなかったのか。
大西君は、そんな事、する筈がないと信じていた。
しかし、警察に連れていかれたと知って、自首するしかないと思った。
何かしないと、落ち着かなかった。
また、千景は、気付いた。
今、大西君の、恋バナを聞いている場合ではない。
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