三章
林刑事は、平野スタジオを訪ねた。
「葛西の事務所に、六十代くらいの紳士が来とったみたいやけど、誰か分からんか」
林刑事が尋ねた。
「ああ。弘田か」分かっている。と云うように「多分、津和木の営業本部長やろ」平野があっさり云った。
営業本部長というと役職だ。
「やっぱし、スポンサーか」
林刑事が尋ねた。
「津和木が、葛西を訪ねるんやから、スポンサーしか無いわなぁ」
平野が云った。
この地方のイベントには、大抵、津和木がスポンサーに、名を連ねている。
「今度は、どんなイベントや?おっきょいんか?」
林刑事が尋ねる。
「おっきょいんか?」とは、大きいのか?という意味だ。
つまり、大規模なイベントを企画しているのか、尋ねた。
「ちらっと、聞いたんでは、全国ネットのテレビで放送する。ちゅうとった」
確かに、津和木は、全国ネットの放送番組のスポンサーにもなっている。
「それと、十五、六歳くらいの少女が、一緒に来とったみたいやけど、心当たり、無いか」
林刑事が尋ねた。
紳士は、十五、六歳の少女を伴っていた。
孫娘にしては、年齢が不自然だったという事だ。
「少女っちゅうたって、いっぱい来とるしな」
平野が答えた。
地方では、プロを目指す若者に、レッスンする教室が、圧倒的に少ない。
葛西のイベント会社の事務所を訪ねていた。
と、すると、平野スタジオでレッスンを受けていたのだろう。
収穫なしか。
林刑事は、平野スタジオを後にした。
三好刑事と「砂時計」で落ち合った。
「引っ掛かる事があるんです」
三好刑事が云った。
今朝、県警本部で捜査会議があった。
「臨海公園殺人事件」の捜査会議に、捜査二課の刑事が出ていた。
発言は無かった。
今、捜査二課というと、津和木が、大阪地裁に、大阪の輸入業者から訴えられている事案かもしれない。
三好刑事は、ちょっと、調べてみます。
と云って、県警本部へ向かった。
今度は、林刑事が、「砂時計」で待っている。
しかし、何故、殺人事件の会議に捜査二課が居たのか。
何か、関係しているのは、間違いないのだが。
津和木の裁判から刑事事件に発展するのか。
しかも、殺人事件に関係しているのか。
殺人事件が、捜査二課に絡んでいるとすると厄介だ。
林刑事は、冷たくなった、コーヒーを一気に飲み干した。
「マスタ。コーヒー。お願い」
二杯目のコーヒーを注文した。
すると、すぐ、店の入口の鈴が鳴って、三好刑事が入って来た。
「判りました」三好刑事が云った。
「マスタ。コーヒー。お願いします」
三好刑事もコーヒーしか、頼まない。
「それで…」
三好刑事は、話し始めた。
食品加工の大手企業、津和木は、数年に亘り、循環取引を行っていた。
「循環取引なあ」
林刑事も不正取引の内容くらいは、勉強している。
複数の企業が関わって、商品の移動を伴わず、伝票上だけ、利益を乗せて、回して売上を計上する。
つまり、関わった企業が、架空売上を順番に計上していたのだ。
この循環取引は、経営難に直面した取引先を支援することだった。
その取引先は、塩出市にある「川村」という食品輸入業者らしい。
「でも、伝票上だけなら、現金は、動かんわのお」
林刑事は、経営難を支援出来るのか、理解出来ない。
「それはですね…」
三好刑事が説明する。
契約上、手形決済になっている。
手形期日前に、金融機関に割引手形に回せば、資金化する。
「やっぱり、現金が動くんか」
林刑事が云った。
最終的に伝票は、津和木に複数企業で利益の乗った状態で、請求が還って来る。
津和木に伝票を提出して請求した「三橋」という中堅商社と係争になった。
だから、最終的に、津和木には、大きな損害が発生する。
背任行為、詐欺罪に該当する。
だから、捜査二課の出番だ。
しかし、臨海公園殺人事件と、どんな関わりがあるのか。
殺人事件で、関係者は、居ないと思う。
唯一、気になるのは、葛西の事務所を訪れていたと思われる、営業本部長なのだが。
不正取引を指示出来る程、権限があるのだろうか。
「津和木の営業本部長は、遠藤常務ですよ」
三好刑事が説明した。
津和木の役付役員だ。
しかも、津和木と資本提携しているコンビニ大手、グリングラスグループ出身だ。
それでは、殺害された葛西の事務所を訪れていたのは、津和木の遠藤常務という事になる。
平野が、イベントに関する打ち合わせだろうと云った。
遠藤常務が、葛西に「お前も、殺されるぞ」と云った言葉通り、葛西は殺された。
「お前も」と云うからには、誰か殺されたのだろう。
しかし、弘田が、盗み聞きした時点で、被害者は居ない。
聞き間違いだったのか。
最近なら、石木中学校の女生徒の殺人事件が発生している。
時期としては、前後するが、可能性はある。
殺害された女生徒も、平野スタジオへ通っていたようだし、何か接点があるかもしれない。
一度、遠藤常務に話しを聞いてみる必要がある。
しかし、一方で、捜査二課が、不正取引を主導していたとして、捜査対象と考えているらしい。
それ以外、捜査二課が、臨海公園殺人事件の捜査会議に、出て来る理由が無い。
そうなると、遠藤常務を捜査することが、難しくなる。
葛西の事務所に居た、十五、六歳の少女は、遠藤常務と、どのような関係なのか。
少女の方を探してみるか。
しかし、弘田が少女の顔を覚えているだろうか。
もう一度、平野スタジオへ行って、レッスンを受けている少女の写真を提供してもらおうか。
「ネットで、確認できますよ」
三好刑事が云った。
イベントの動画が、ネットにアップロードされている。
それを弘田に確認させれば、判明するかもしれない。
最近は、何でもネットで、情報が取れる。
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