二章
林刑事は、日の出町のフェリー乗り場の防潮堤を隔てた臨海公園に居た。
臨海公園と云っても、防潮堤に沿って、闇雲に木々を植えただけの遊歩道だけだ。
その一角に、規制線が張られている。
何台ものパトカーや、警察車両が停まっている。
辺りは、騒然としている。
何人もの警察官が、規制線の前で立っている。
鑑識課員が、地面から何か拾い集めては、ビニール袋に入れている。
臨海公園の南は、広場になっていて、休日には、イベントが開かれて屋台が軒を並べる。
広場の東は、フェリー乗り場に続いていて、西側には、お洒落なマンションが立ち並んでいる。
広場の南はフェリー乗り場に続く道路がある。
その一本南には、東に市街地、西に高速道路に続く県道がある。
その県道沿いに栗林北署がある。
日の出町は、栗林北署の管轄になっている。
遊歩道の中程で、男性の絞殺死体が発見された。
こんな辺鄙な地方で、殺人事件は滅多に起こらない。
林刑事と三好刑事は、絞殺体で見つかった葛西を追っていた。
大失態だ。
葛西は、事務所を転々としている。
なかなか所在さえ、掴めない事が多い。
だから、張り込みも容易ではない。
暫く、葛西の居どころが、分からなかった。
やっと、葛西が事務所に現れた。
事務所の入る、ビルの前を林刑事が通った。
林刑事が、二階の窓に目を遣った瞬間、葛西と目があった。
不味い。と思ったが、葛西は窓際から離れなかった。
気付かれなかったのか。
そう思った。
しかし、その夜、事務所から居なくなり、行方が分からなくなった。
葛西は、事務所の照明を点けたまま、ビルの裏側の非常階段から外へ逃げたそうだ。
夜遅く、事務所から出て来た事務員が、林刑事に教えてくれた。
最近では、こんな地方でも、アイドルになりたい。と思っている少女が、少なからず居る。
都会ならともかく、レッスンを受けるスタジオが無い。
練習の成果を発表するイベントも限られている。
葛西は、ご当地アイドル発掘と称して、多額のレッスン料を徴収したりしている。
ただし、確かに、名の通ったレッスン指導者を置いていたりする。
レッスンを受持っていたのが、平野幸治という元中学教師だ。
平野は、中学教師時代、何度も全国音楽コンクールで生徒を入賞に導いている。
平野という、この地方では有名な指導者も居る。
ピアノと歌唱のレッスンは出来る。
一概に、ぼったくり。とも云えない。
それなりのイベント会場で、発表会を開催したりもしている。
暴力団との繋がりもなく、単純に地方から中央への進出を目指していたようだ。
当初は、真面目に、アイドルの発掘や養成をしていた。
ところが、最近では、歌唱力よりも、強烈な、ダンスパフォーマンスの方が、求められているようだ。
葛西の事務所で、ダンスのレッスンは、出来ない。
ダンスの指導者を探していたようだが、見付からなかった。
それで、行き詰まっていたようだ。
チケット代は、一枚三千円で、販売者に千円の報酬を支払っている。
殆どの場合、出演者が、チケットを大量に、一枚千円で購入し、出演者自身で販売している。
そのトラブルが絶えない。
いつ頃から狂ったのか、最近では、レッスン料やチケット代のトラブルの相談が相次いでいた。
葛西は、地方のアイドル事務所やアイドル養成所と称して、詐欺や恐喝まがいの行為を繰り返している。
しかも、トラブルは、それだけでは無かった。
児童買春の斡旋や場所を提供しているとの噂があった。
もっと、金になる事を始めたのだろうか。
何度も、事情聴取するのだが、容易に尻尾を掴ませない。
中学生や高校生を相手に、まとまった金銭を巻き上げる事は、出来ない筈だ。
レッスンの指導者を雇ったり、貸事務所を転々とする事が出来るからには、何か、金銭を得る手段を握っている筈だ。
葛西は、地元の食品会社の「津和木」に勤めていた。
葛西の営業成績は、優秀だったそうだ。
今でも、営業部長とは、交流があるそうだ。
「津和木」は、レトルト食品や冷凍食品、清涼飲料水等、手広く食品製造販売事業を展開している。
また、それ以外にも、レストランやホテル、病院まで経営している。
平野が、学校を退職したのと同時期に、葛西も「津和木」を退職した。
葛西は、平野と中学校の同級生だった。
もしかすると、「津和木」に、スポンサーの話しを持ち込んでいるのかもしれない。
金蔓は、ここら辺りだろう。
同じ、中学校の後輩で、弘田が居る。
弘田は、葛西の事務所を手伝っていた。
その弘田が、派手な演出で、警察に保護を求めて来たのだった。
弘田は、臆病なのに、大胆な事を仕出かしたりする。
いや。臆病者だから逆上して、無茶苦茶な事をするのだ。
典型的な小心者だと、舌打ちしたくなる。
弘田の父親が、貴金属店の損害については弁済した。
弁護士が、示談の交渉をしている最中だ。
弘田が、馬鹿な事件を起こした理由は、葛西を恐れての事だった。
弘田が、葛西に呼び出されて、事務所へ行った。
いつものように、所長室のドアを開けた。
挨拶しようとすると、葛西に「入るな!」と怒鳴られた。
葛西がドアまで来て、「外で待っとれ」と云った。
弘田は、慌て所長室のドア脇にある待合ソファーへ腰掛けて待った。
所長室を開けた時。一瞬、見えた。
身形の整った、六十代くらいの紳士?が、訪ねて来ていた。
十五、六歳くらいの孫娘だろうか、少女を伴っていた。
イベント会社だから、よく、歌やダンスのレッスンの相談で、訪問する人は居る。
「殺したんか?!」
所長室から、男の声が、大きな声が聞こえた。
葛西の声ではない。と、すると、あの紳士だ。
「絶対。誰にも喋るな」
やはり、あの紳士だ。
「お前も、殺されるぞ」
物騒な話しだ。
弘田は、驚いて、ドアに近付いた。
途端。
大きな物音がした。
事務所の受付カウンターに置いている、鉛筆削り器が、床に落ちた。
弘田は、慌てて、事務所の出入口へ走った。
すぐに、所長室のドアが開いた。
弘田は、階段を駆け降り、ビルの外へ出た。
一度、二階を見上げたが、すぐ、商店街へ向かって走った。
その夜、事件を起こして、警察に捕まった。
林刑事と三好刑事は、葛西をマークしていた。
最初は、弘田が、何か、勘違いしたのではないかと考えていた。
まず、紳士の「殺したのか」との問いに対する返答は、聞こえていない。
つまり、誰かが、誰かを殺したのか、殺していないのか、分からない。
もし、誰かが誰かを殺していたとしたら、殺人事件だ。
だが、被害者の遺体は、発見されていない。
弘田の情報に、半信半疑ながらも、万一に備えていたのだが、こんな結果になってしまった。
これは、殺人事件だ。
紳士が、「お前も殺されるぞ」と云った事は、現実になった。
お前というのは、葛西だったのか。
「偶然ですかね。偶然、物取りで殺されたんですかね」
若い三好刑事が、林刑事に云った。
確かに、一見、物取りのようにも見える。
しかし、林刑事は、物取りとは思っていなかった。
本当に、偶発的なのか、殺意があったのか分からないが、これで手掛かりが無くなった。
捜査は、振り出しに戻った。
葛西の事務所に居た紳士と、少女を探すしかない。
現場では、遺体の搬送が始まった。
葛西のスラックスの膝辺りに、沢山の引っ付き虫が付いている。
どこにでもある、引っ付き虫だ。
長さ一センチくらいの、黒く細長い引っ付き虫が、何本も、くっ付いている。
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