4.放課後

放課後、千景は久しぶりに、うさぎの飼育ケージへ立ち寄った。


ちょうど、川口先生が、職員室から出て来た。

「もう、帰るの?」

川口先生が、千景に尋ねた。

「はい」千景は、答えた。

「部活に、入ってなかったわね」

千景は頷いた。

「今朝の授業中、引っ付き虫、取ってくれたのよね」

川口先生が尋ねた。

「はい」千景は、答えた。

「どこかに、そう。筆箱に片付けてたけど、まだ持ってる?」

川口先生が、可笑しな事を尋ねる。

「はい」千景は、はい。としか云っていない。

川口先生の云う通り、筆箱に押し込んだ筈だ。

休み時間に捨てようと思っていたが、忘れてしまった。

千景は、肩掛けバッグから筆箱を取り出して開けた。

引っ付き虫は、赤鉛筆とシャープペンの先に挟まっていた。

引っ付き虫を取り出して、川口先生に渡した。

川口先生は、受け取ると「どこで、くっ付いたんやろ?」と云って首をかしげた。

「これは、オナモミという引っ付き虫なの。校庭の中庭は、石田さんが綺麗に掃除してくれてるから」


川口先生は、車で通勤している。

学校の中庭に、雑草は生えていない。

つまり、学校への通勤途中も、学校へ出勤して勤務中の校庭内でも引っ付き虫が、くっ付く筈がない。と云うのだ。

「誰かにくっ付いていたのでは、ないですか」

千景は川口先生に云った。

千景は、川口先生の国語の授業で、発表した事がない。

授業ではないが、今、初めて意見を云った。


話しが逸れてしまった。

千景には、彩乃という引っ付き虫を取る係がいる。

しかし、千景は、彩乃のスカートにくっ付いた引っ付き虫を取った事がない。

つまり、彩乃のように、帰宅するまで引っ付き虫が、くっ付いたままの生徒も居る筈だ。


誰かに、くっ付いていた引っ付き虫が、川口先生の上着にくっ付いたのかもしれない。


あるいは、教室に横たわっていたうさぎに、くっ付いていたのかもしれない。


千景は、思い切って尋ねてみた。

「先生。犯人、分かったのですか?」


誰が、うさぎの死骸を教室に放置したのか、分かったのか知りたかった。

川口先生は、首を横に振るだけだった。


千景は、今日の授業中、ずっと考えていた。

ただ、それは千景だけではないだろう。

皆、少し興奮していた。


特に、怜奈は実際に美加の様子を目の当たりにしている。

うさぎの死骸を遺棄した犯人を許せないという思いが強いようだ。

「先生。私が考えた事を聞いて頂けませんか」

千景は、川口先生に考えた事を話した。

「先生。防犯カメラは、確認したんですよね」

川口先生は、頷いた。

「けど、犯人らしい人は、分からなかった」

千景は、川口先生に確認した。

「そう」

川口先生は、落胆した表情で答えた。


学校には、防犯カメラが設置されている。

正門、運動場東側の校門、体育館と西校舎の間にある荷物の搬入口、本館の中央通路、本館南棟の出入口、東側の新館出入口、それと職員室の七ヶ所に各一台ずつだ。


斉藤先生も川口先生も、何も云わなかったが、防犯カメラの映像を確認している筈だ。

不審な人物が居れば、もし、それが生徒だったら、直接、その生徒を呼び出して、事情を聞き取り、指導するだろう。


つまり、不審な人物は、確認できなかったのだ。

だから、一時限目の授業を割いて斉藤先生の朝会に振替たのだろう。

どんな方法で、うさぎの死骸を教室へ遺棄したのか?


普通に、校門か荷物の搬入口から、校庭に入ったのなら、防犯カメラに捉えられている筈だ。


可能性としては、運動場の南側のフェンスを乗り越えた。

と考えられる。

運動場を囲っている長いフェンスに、防犯カメラは、設置されていない。

フェンスは、コンクリートの基礎土台を合わせると、高さ三メートル以上ある。

しかし、乗り越えられない高さではない。

以前、男子生徒が、理由は分からないが、外からフェンスを登っているのを見た事がある。

金網に指先と爪先を突っ込んで、てっぺんまで登った。

てっぺんで、フェンスに跨がって乗り越え、途中まで降りると、飛び降りた。

だから、フェンスの金網を乗り越えれば、防犯カメラに捉えられず校庭に入る事ができる。


本館東側の階段から二階へ上がり、教室へ行けば、防犯カメラに捉えられない。

午前七時過ぎに、登校した怜奈が、南棟の出入口から、二階の教室へ入った。

その時、運動場のフェンスを乗り越えた犯人は、一階に居た。


ただ、怜奈が本館東側の階段を利用するか、中央階段から職員室へ向かうのか、犯人には分からない。

この段階で、学校内部の人間なのか、学外の者なのか特定は、出来ない。

「それなら分かるわ。中央階段よ」

川口先生は云った。

「あっ!」千景も気付いた。


怜奈は、放送部だから教室の鍵を開けた後、中央階段のすぐ隣にある放送室の鍵を開けたのだ。

鍵を預かった時は、職員室の前で靴を脱いでいる筈だ。

だから、また、靴を履く。

そして、中央通路から渡り廊下を通って本館南棟の出入口へ向かったのだ。

だから、二階の放送室の鍵を開けるのは、教室の鍵を開けた後になる。


それを知らなければ、本館東側の階段か中央階段で出会って、目撃される可能性がある。


それは、つまり、学校関係者。

それも生徒である可能性が高い。

怜奈の行動パターンを把握している人物だろう。

「先生。今日、生徒全員が、どの校門から、いや、校門と搬入口から学校へ登校したか確認しましたか?」

勿論、そんな事をする時間の余裕は、無いだろう。

「調べてみるわ」

川口先生の瞳に、何か力を感じた。


千景は、ちょっと大胆になっていた。

「先生。以前。二学期が始まってすぐの頃、美加、西田さんが、うさぎが居なくなったと言って、大騒ぎになったのをご存知ですか」


それは、政木柚葉との一件だ。

柚葉は、怜奈と同じ石木葛原の保育園、石木葛原小学校から石木中学校へ入学している。


二学期が始まってすぐの頃だ。

千景と彩乃が五時限目の授業に遅れた時の事だ。

千景と彩乃が給食の食器類を給食室へ運び終えた後、美加を見つけた。

うさぎの飼育ケージの前に居た美加に声を掛けた。

美加が慌てて千景と彩乃に走り寄り「ラブが居ない」と云って、ラブを探して中央通路へ走り去った。

千景も彩乃もラブを探した。


そして、五時限目の授業に遅れてしまった。

それで、授業に遅れた理由を「うさぎが居なくなったと聞いて、探していた」と説明した。

すると、大西利信君が、朝、登校した時、「逃げるのを見た」と云った。

クラスの皆から、「何故、美加に伝えなかったのか」と非難された。

しかし、うさぎを探していた後に、続きがある。

五時限目の開始のチャイムが鳴ったので、千景と彩乃は、一旦、うさぎの飼育ケージに戻った。

すると、二つのうさぎの飼育ケージには、ちゃんと一羽ずつ、二羽とも居たのだった。


そして、美加が「うさぎが逃げたと言ったのは、嘘でした」と云って、謝った。


給食後の昼休み。

学年主任の川口先生が、柚葉を連れて、指導室へ入って行くのが見えた。

美加は、気になって、指導室の前で立ち聞きをしていた。


美加と柚葉は、家が近所で、元々、仲が良かった。


美加が、柚葉に酷い事を云って、仲違いしてしまったようだ。


そこへ、千景と彩乃が突然、美加に声を掛けたので、咄嗟に、うさぎが居なくなったと嘘を吐いた。

指導室での川口先生と柚葉の会話を立ち聞きしていたのを隠すためだった。


小さな出来事だったが、クラス中、大騒ぎになった。


給食後の授業は、皆、睡魔に襲われるので、授業に身が入らない。

うさぎが居なくなったという事件は、目を覚ます格好の出来事だったのかもしれない。


その日、下校の時、千景は、うさぎの飼育ケージに立ち寄った。

すると、うさぎがケージの蓋に飛び付いた。

蓋が上に跳ね上がり、うさぎが逃亡した。


千景は、慌てて、うさぎを追い掛けた。

突然、後ろから男子が、千景を追い抜いて、うさぎを捕まえた。

「今朝、うさぎが逃げるのを見た」と云った、大西君だった。


うさぎの飼育ケージの蓋の止め金は、壊れていた。


「ええ。覚えてるわ」

「あの時、先生が柚葉。政木さんと指導室で話しをしていたと聞いたんですけど、どんな話しだったんですか?」

「ちょっと。ここでは言えないわ。こっちで話しましょ」

川口先生は、千景を指導室へ入るように云った。

以前、柚葉が美加から苛められているという相談だった。


夏休み。

柚葉はアイドルになるための一環として、すぐ近くの会場でイベントに参加していた。


美加は、柚葉と仲が良かったので、バレーボール部員に柚葉を応援するようにお願いしていた。


柚葉は、美加をイベントに招待したが、夏休みは、バレーボールの大会があるからと断られた。

二学期の初めにバレーボール部の三年生が退いた。

三年生は、受験勉強に集中する事になる。

その後、次のキャプテンを美加が務める事になった。

二年のバレーボール部員は、当然だと思っていたようだ。


ただ、夏休みに、二年、三年生は、試合に出場する。

三年生にとっては中学生最後の大会になる。

当然、三年生主体の選手メンバーになる。

一年生は、試合に出場する機会がない。

それでも、美加は一年生も応援やサポートのため、練習や試合に集まるように依頼した。


ところが、一年生の多くは、柚葉の出演するイベントに行くつもりだったのだが、行けなかった。


実は、イベントへ行くために、何人もが、チケットを購入までしていたようだ。

実際に部活を休んで、男子生徒と一緒に、イベントを見に行った部員もいたようだ。


美加は、柚葉にチケット代を返金するように、お願いした。

それが原因で、二人は、仲違いした。


千景は、それを聞いて、疑問に思った。

それは美加が柚葉を苛めている事になるのだろうか。


川口先生も、柚葉から相談を受けた時に、疑問に思ったそうだ。


バレーボール部員の一年生に、練習へ参加や試合を観戦して応援するように依頼する事は、当然のように思う。

上級生としての立場で、強制したのなら問題になるかもしれないが、依頼をしただけだ。


もうひとつ、あの時、川口先生は、彩乃に何か尋ねていた。

あの昼休み。

うさぎが居なくなったと云った時、川口先生は、彩乃にも話しを聞いていた。


「先生。給食の準備時間。彩乃と、辻倉彩乃さんと何か話してましたよね。どんな話しだったのですか」

千景は、尋ねた。

「ああ、あれね。でも良く覚えているわね」

川口先生も覚えていた。

「はい。辻倉さんと二人で、給食の食器運搬係でした。一人で教室まで運びました。私は、執念深いのです」

千景は、笑って答えた。

今もそうだが、あの時も、千景は、彩乃と一緒に給食の食器運搬係だった。

しかし、彩乃は、川口先生に呼び止められて、結局、千景が一人で食器を運んだ。

「そう。それは、失礼しました」

川口先生は、笑って謝った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る