第20話 モブキャラは戦闘に参戦する

 騒ぎの方へ向かうと、時計台のある大きな広場での出来事だった。


 もうすぐ収穫祭が行われる場所である。


 ひとりの男が奇声を発しながら暴れていた。


 酔っているのだろうか。


 設営準備やら何やらで、すでに街人たちが少しずつ用意を進めているのを目にしていただけに、このタイミングで暴れられたら大変だとものの影からその様子を眺める。


 六人の兵士が両サイドから囲むように男に近づく。


 またか、とため息が出る。


 季節の変わり目は羽目を外しやすいのか、自身を開放しすぎてまわりに迷惑をかける者も少なくない。


 今回もそのたぐいの騒ぎだろう。


 いずれは魔物が襲って来て、街のみんなを恐怖のどん底に叩き落とす。


 それでもわたしたちはともに助け合って生きていかないといけないというのに、ずいぶん平和ボケしている。


 ひとりに対して六人もの兵士がいるのなら出る幕はなさそうだな、とぼんやり考える。


 そんな時、


「う、うわあああああ!」


 兵士のひとりの叫び声にびくっとする。


 男の奇声がいやらしい笑い声に変わる。


「え?」


 そして、目に見える光景に唖然とした。


 男が口を開けて、大きな牙を見せたところだった。


「ど、どうして……」


 考える間もなく、兵士のひとりが噛みつかれ、耳を劈くような悲鳴が広場一体に広がった。


 影に浮かぶ男の影にぞくっとした。


 暴れているのは男だ。


 でも、その影は男の影をしていない。


 その姿は……


「ま、魔物……」


 この雰囲気を覚えている。


 あのときの恐怖がそのまま蘇る。


 『禁断の森』へ足を踏み入れたときに遭遇してしまったあの生き物だ。


 がくがく……と心なしか体中が震えだす。


 怖いのだ。


 悲鳴はまたひとり、またひとりと増え続け、地面には無惨な血しぶきが飛ぶ。


 血を流しながらも兵士たちは戦おうとしていた。


 じりじりと距離を取りつつ相手を挟む。


 指先が自分のものでないくらい揺れている。


 だけど、怯んでちゃダメだ……


 ポケットに忍ばせていた口紅に手を伸ばす。


 毎朝わたしが使用しているローズピンクの鮮やかな発色が目に映る。


 左手に力を込めると小さく光が瞬き出す。


 大丈夫。


 落ち着けば大丈夫だから。


 魔力が少しずつ集まりだした左手に紅を持ち、ゆっくり宙に一本線を描く動作をする。


 すると、ローズピンク色の長い線上の物体が指の動くあとについてふわふわと浮かび上がり始める。


「捕らえて。あのいきものが動けなくなるくらい、しっかりと」


 震える声が音となる。


 その瞬間、ローズピンク色の線は暴れる男めがけて一気に飛び込んでいく。


 眩い光とともに光が男に巻きつく。


「えっ?」


 驚いた兵士たちがたじろいだのがわかる。


 いつもこうして陰ながらともに応戦していて、どこからともなく現れる謎の攻撃(しかも決して強力とはいえない)に混乱をさせてしまって申し訳なくは思っている。


 だけど、出ていくわけにもいかない。


「くそっ!」


 ほんの少しだけ、男の動きを封じることに成功する。


 あまり長くは持たないのだけど、兵士たちもその様子に気がついたのか、その隙を見落とさず、男に向かって一気に飛びかかる。


 そこからはあっという間だった。


 どうやら無事に捕獲できたようで安堵する。


「ふう……」


 ゆったり息を吐き、震える左手をさする。


 まだまだこれくらいのことしかできないけど、もう少し精度をあげられるように努力したい。


 勇者に頼らなくても自信を持って生きていきたいのだ。


 あの日から、自分の力で生きていきたいといろいろなことに興味を持ち、挑戦を続けた。


 仕立て屋として働いていくこと、メイクアップアーティストとして女性のきれいを応援すること、などなど、わたしにできそうなことは魔力の力を借りつつも前向きに向き合ってきたつもりだった。


 それでも元々才能自体がないのか、どれに対しても飛び抜けた能力があるわけでもなく、中途半端で未だにひとりで何かができる状態ではないことに気付かされたのは努力を始めてすぐのことだった。


 ぐっと力を込めると手のひらの中で紅のケースがきゅっと音を立てた。


 さすがに今日は力を使いすぎたのか、左手が赤くなっていた。


 帰って薬草でも塗って眠ろう。


 そう思い、振り返ったわたしの目の前に、だらんと開いた大きな口がだらりとよだれを垂らしながら待ち構えていた。


「……っ」


 しまった!と思ったのと同時に悲鳴にならない声が漏れる。


 左手に力を入れたものの、間に合わない。


 大きな口が迫ってきて、飲み込まれる!ととっさに目を閉じた。そんなとき、


「!」


 突然宙に浮く感覚に、思わず目を開く。


 宙に浮くというより、抱き抱えられていて、いつの間にか場所を移動させられていた。


「え……」


 ザクッという生々しい音がして、その大きな口の生き物が動きを止めたのが目に入った。


「やったか」


 わたしを抱えた人間が生き物の前に立つもうひとりの人間に声をかける。


「ああ」


 ひどく汚いものを触るのように、生き物に刺さった剣を引っこ抜き、嫌な顔を見せた赤毛にそばかす顔の青年に見覚えがあった。


「なんだったんだ、一体……」


 そして、わたしを抱えるこの声の主も。


「大丈夫ですか?」


 お怪我は?と軽々しくわたしを抱き上げ、その人は笑う。


 ああ、また……と、胸が痛くなる。


 未来の勇者は、わたしに向かって優しい瞳を向けていた。


「おい、女! こんな時間にちょろちょろうろつくんじゃねぇ!」


 わたしの存在を思い出したのか、赤毛がすごい剣幕で怒鳴りつけてくる。


 この人は……たしか……オルガー……


 テオとよくいる青年のひとりだった。


 物語ではたしか、魔物と戦ったあとに王家から引き抜かれて専属で護衛についたはず……


「おい! 聞いているのか、女ぁ!」


 不愉快極まりない呼び方で捲し立てるように怒鳴り続けられる。


「まぁ、オルガー、落ち着いて。彼女も被害者のひとりなんだから……」


 うるさいやつですみません、とテオは苦笑する。


 いつの間にこんなにもしっかりした体つきになったのだろうか。


 わたしを抱えてもびくともしないその逞しい体に胸が熱くなる。


 なにより最近、こんなに彼に近づいたことがなくてドギマギさせられる。


 夜の闇でも失われない輝き。


 やっぱりきれいな顔をしているなぁとぼんやり思う。


 どれだけしっかりした体つきになってもそれは変わらない。


「どこか痛いところでも?」


「あっ……いえ、大丈夫です」


 不思議そうに見つめられた青い瞳にとても美しい少女が写っている。


 愛理だ。


 気の強そうな瞳は変わりなく、守られているような印象ではなかったものの、傍から見たらずいぶん絵になる光景ではないだろうか。


 自分の姿で並んでいるわけでもなく、鼻高々にそう思うのはいささか情けないものであるけど、素敵だなと本心から思った。


「甘すぎなんだよ、テオルド! この女が横から変な技でちょっかいさえかけなきゃこいつは狙われることがなかったんだぞ」


「なっ……」


 変な技でちょっかいをかけた。


 その表現は胸にやりが突き刺さったような気分にさせられた。


「ったく、一体何なんだよ、あれは……」


「オルガー!」


 テオの静止にしぶしぶながらもようやくオルガーは口を閉じる。


「何もなくてよかったです」


 いつも、みんなに囲まれて余裕の笑みを浮かべている姿やわたしに接してくれているときのテオの顔しか知らなかったけど、この人は誰に対しても親切なのだな、と思った。


「ですが、彼の言うことも一理ありますよ。無茶なことはしてはいけませんよ」


 何もなくてよかったです、と彼の瞳は憂いを帯びていて真剣そのものだ。


 か、完璧だ。


 ただ怒鳴るだけではだめだ。


 こう言われると感謝の気持ちや申し訳ないと思える気持ちが改めて生まれる。


 隣の赤毛も見習ってほしいものだ。


「た、助けてくださって、ありがとうございました」


 頭を下げる。


 勇者には頼らなくても大丈夫だとさきほどまでえらそうにしていた自分が恥ずかしくなる。


 結局わたしは何もできなくて、守られたことが悔しい。


 彼らが来てくれなかったら、わたしは今頃あの生き物のお腹の中にいたはずだ。


 それも見ると無惨な姿で。


 そう思うとぞっとする。


「おくりますよ」


「だ、大丈夫です! ち、近くなので」


 改めてテオのたくましい胸板に寄り添っていることに気が付き、飛び上がる。


 いそいそとおろしてもらって、また丁重に頭を下げ、回れ右をする。


 自慢の黒髪ストレートのロングヘアが美しく風に靡いたけど、このときばかりは気にしてはいられなかった。


 わたしがアイリーンだとばれるわけにはいかないし、一刻も早くここから去らねばいけないと本心で悟る。


「あ……お、お名前だけでも……」


「え?」


 去ろうとするわたしの手をとって問うてくるテオ。


 この瞬間に周りの背景が薔薇色と化された気がしたのは、漫画という書物の読み過ぎなのだろう。


 心なしか花びらが舞った……気がした。


 わたしのせいではない。


 愛理の好みのせいだ。


「お、お気になさらず……」


 というか、こんなところでそんな盛大な描写は必要ない。


「名乗るほどのものではございません」


 物語に残らない程度のほんの些細なある一夜の出来事なのだから。


 全身全霊でそう続けると、そうですか、と思ったよりとあっさりテオは身を引く。そして、


「あなたに助けられたのは本当です。ありがとうございます」


 改めて身を正し、頭を下げてくる。


「い、いえ、わたしは何も……」


「あなたのおかげで、兵士たちはあの不審者を捉えることができたのは間違いありません」


「そんな……」


 改まって言われると困ってしまう。


「ただ、忘れないでください」


「え?」


 テオの真剣な瞳にどきりとする。


 そっと頬に触れられた手のぬくもりがじんわりと体に広がり、目が離せなくなる。


「あなたを心配する者もいます。くれぐれも無茶なことはなさらないように」


 お願いだから……最後の方は風の音にかき消されてよく聞こえがなかったが、彼の唇がそんな風に動いたように見えた。


 それからわたしはなんと答えたのか覚えていない。


 ゆっくり我が家へ戻る夜道で、彼のその言葉を何度も思い出しながら帰路へついた。




 

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