陸話 一閃は金銀に輝く

「しばらく私が引き付けます! その隙に先輩は隊長を!」


 そう言うとバレッタは一気に駆け出して、怒り狂う九尾狐の足元へと突進して行った。


「了解っす……ヴィオさん、ほらこれ」


 ジェノはバレッタの言葉に頷くと、すぐさまシルヴィオへインカムと端末を半ば押し付ける様に手渡す。シルヴィオは震える手でそれを手に取り、たどたどしい手つきで自分の名が刻印されたその二つを身に付けた。


『――はん、ヴィオはん! 聞こえとるか!?』


 瞬間、けたたましい呪力低下警告音が響き渡り、同時に何度も自分を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。警告音を聞いたジェノは、静かに緊急用の回復錠を手渡した。


「……なん、で……」


 渡された回復錠を噛み締めながら、シルヴィオは思わず掠れた声を漏らした。その瞳には涙の膜が張り、心に浮かんだ様々な感情で震えていた。


『っ! やっと繋がった……! このドアホ! 何勝手に飛び出しとんねん!』


 インカムはその微かな吐息を拾ったらしい。インカムの向こう側で、泣きそうになりながらも迫真の剣幕で怒るアヤメの声が聞こえた。


『ウチら四人まとめて、もう二つも軍律違反を犯しとる! もう怖いモンはあらへんで! ぶちかましたりぃ!』


 そんな彼女の声は徐々に、力強く前向きな物に変わっていく。時折インカム越しに鋭い声や警報の音が聞こえてくる上に、「軍律違反」という単語が引っかかってシルヴィオの脳内は更なる疑問で埋め尽くされた。


「すみません……一体、何が……」


「交戦許可の無い大型との戦闘と、本部の緊急出撃要請の無視っすよ。ヴィオさんは知らないと思いますけど、エデンあっちじゃ今ヒャッキヤコウが発生してるんです」


 ジェノが淡々とシルヴィオの問いに答えれば、彼はハッと目を見開き、「何と言う事を」と小さく呟いた。それがジェノ達に向けられた物なのか、それとも自分に向けた物なのかは定かでは無い。


「今は俺達の代わりにダグさんが出撃してくれてます」


 畳み掛けるようにジェノがそう続ければ、シルヴィオは信じられない物を見るが如く目を更に見開いた。最後にジェノは、硬直してしまったシルヴィオの肩をしっかり掴んで、託されていた伝言を一語一句間違えない様口にした。


「『これで』――俺は何の事か知りませんけど、ダグさんからの伝言っす。ちゃんと伝えましたからね」


「――!」


 その告げられた言葉に、シルヴィオの心の中で長年固まっていた何かが溶け出した気がした。ダグラスに出来た借りは。溶け出した何かは瞳から溢れる温かな雫へと変わり、パタリパタリと地面を濡らしていく。


『――先輩! そろそろ援護を……っ!』


 そこにバレッタからの援護要請が入った。インカム越しの声は荒く、状況の深刻さを告げている様であった。


「っ、了解っす! ……ほら、立ってくださいよ、


 ジェノは短く返事をすると、槍を構え直して前を向いた。何よりも頼りにしている、隊長の名をしっかりと呼びながら。

 唇を噛み締めていたシルヴィオは静かに涙を拭うと、その場の全てに背中を押されたように立ち上がってそっと顔を上げる。


 もう、諦めも恐怖も迷いも無い。

 ただ真っ直ぐと、前だけを見据えていた。


「――えぇ、行きましょうジェノ君!」


 その言葉を皮切りに、ジェノとシルヴィオは駆け出した。シルヴィオはいつもの様にレーザー弾を展開する。それが足元を焼いて九尾狐の動きが制限され、狐は苛立った様にキュィィィンと耳障りな咆哮を轟かせた。


「援護感謝しますっ!」


 援護に気付いたバレッタは、空間移動とそれを応用した多段ジャンプを駆使しつつ、九尾狐へと更なる猛攻をかける。しかしバレッタの持つ二本のククリナイフでは、狐の硬い皮膚に傷を付ける事ができない。その為彼女は、既にシルヴィオが付けていた裂傷をなぞる事によって、九尾狐へとダメージを与えていたのである。


「――――!」


「――きゃあっ!?」


 いくら弱っているとはいえ、九尾狐もやられているだけでは済まさない。尾を振るっての反撃に出た。バレッタはすんでのところで直撃を回避したが、彼女の小さな体は風圧に耐えられず吹き飛ばされてしまう。


「バレッタさん!」


「っ……、平気です!」


 バレッタは何とか宙で体制を整え、まるで猫の様に着地する。そしてその身を案じたシルヴィオの呼び掛けに、すぐさま問題無いと返事をした。


「――行きますよ!」


 無理矢理後退させられた彼女と入れ替わるように、ジェノが鉄砲玉の如く飛び出した。手に握られた得物の名が指しているのは、彼の絶対的な意志が宿ったその強い瞳であった。


 一つ、雷を帯びた振り上げ。二つ、炎を纏った横薙ぎ。三つ、風を伴った乱れ突き。

 ジェノは流れる様に属性を付け替えながらコンボを決めていく。これは彼にしか出来ない特殊な芸当だ。大量の呪力で無理矢理属性を切り替えながら、相手を圧倒する――これが彼に「荒業あらわざ」という二つ名が付いた所以ゆえんであった。


「っ、ははは! まだまだこんなもんじゃ、無いっすよねぇっ!?」


 九尾狐の反撃。噛み付きをバックステップで躱しながら、ジェノは楽しそうに九尾狐を煽った。強者との渡り合いの時間こそ、彼が心を躍らせる数少ない時間の一つと言えるのだ。


 飛びかかってきた狐の爪を、まさに流水の如く受け流す。振るわれた尾の風圧を、槍を地に突き立ててやり過ごす。そしてその一瞬の隙を突いて反撃。蒼穹そうきゅうは主の勢いに呼応する様に九尾狐の堅固な皮膚を難なく切り裂いて、その胸部へ斜めに走る裂傷を刻み付けた。


「ほら、見てなァッ!」


 ジェノは声を荒らげて叫びながら、高く跳躍する。仰け反って悲鳴を上げる、九尾狐のその顔をめがけて思い切り愛機を振り下ろした。


『グ、ギァァアアァアアァァッッ!』


 蒼穹は深々と九尾狐の片目に突き刺さった。奇しくもそれは、ダグラスが片足と引き換えに与えた傷と同じ場所だった。あの時味わった屈辱と激痛を再び味わった九尾狐は、半狂乱になりながら何度もかぶりを振るった。


「――ッ、しまっ……」


 その突発的な動きに対応しきれず、ジェノは蒼穹から手を離してしまった。彼は九尾狐の咆哮の音圧に耐えながら落下の衝撃に備える。そこへ狐の追撃が迫ったが、痛みで我を忘れている九尾狐の攻撃は見当外れな場所へと飛んだ。


『――! 今やヴィオはん! 相手は我を失っとる! 畳み掛けぇ!』


「えぇ!」


 アヤメの鋭い指示が飛ぶのと、ライフルで援護をしていたシルヴィオが動き出すのは同時であった。彼は駆け出しながら、命を刈り取る形へと得物を変形させた。ただただ真っ直ぐに、半狂乱になって暴れる九尾狐を見据え、有効打となる一撃を何処に叩き込むか冷静に分析する。


『シルバー』


 愛しき人の声が脳裏に蘇る。脳裏に焼き付いた声が、姿が、最期の言葉が、シルヴィオの足を加速させた。


「ヴィオさん!」


「シルヴィオ隊長!」


 上手く着地したらしいジェノと、投げナイフで牽制していたバレッタが叫ぶのも同時であった。その二人の視線は、まるでシルヴィオを鼓舞する様に注がれる。苦楽を共にし、ここまで共に戦ってきた二人の声は、シルヴィオの力へと変わる。


「――うぉぉおおぉおぉおおおおッッ!」


 シルヴィオは雄叫びを上げて跳躍した。


 ――その瞬間、背後から夕日が差し込んだ。


 それはかつて、妻と笑いあった幸せな時間に差し込んでいた物と同じであった。彼女と笑いあった時と同じ場所で、彼女を喪った時と同じ場所で、夕日はまるで背中を押す様にシルヴィオを照らし出した。


『シルバー』


 もう一度彼女の声が蘇る。


『――貴方なら、大丈夫』


 耳元で、懐かしい声がそう言った気がした。

 紫紺の瞳が震えて、雫が一つ風に流されていった。

 振りかぶった大鎌は、全てを包み込む夕日と全てを凍てつかせる冷気に染まって金銀に輝いた。


 取り乱している九尾狐の、残されたもう片方の目に、金銀に染む刃が映り込む。膨大な呪力が込められて、その刃は更に大きく長くなっていく。


「――これで、終わりですッッ!」


 シルヴィオは高らかに告げる。そして彼と九尾狐の影は交差して、シルヴィオは静かに地に足を付けた。瞬間、後を追うように九尾狐から鮮血が溢れて舞った。


『――――!』


 天を裂く様な断末魔。九尾狐は高く高くいなないて、やがて、地響きと共にその体を地面へと沈み込ませた。体中を走る回路は色を失い、虚ろな瞳は静かに光を無くした。


 九尾狐の体が崩壊を始める。

 シルヴィオは、崩れ行く仇の姿を静かに眺めていた。最後の一欠片が消え、完全に九尾狐の姿は無くなる。ガシャンと支えを失った蒼穹が落ちる音が聞こえた。


『――大型の反応、消滅……っ! ……やった、やったで! 大勝利やーっっ!』


 アヤメが興奮した様に叫ぶ。バレッタがそれに同調する様に歓声を上げる。ジェノは安堵した様に息をついて、疲れたと言わんばかりに空を仰いだ。


「――レイラ」


 シルヴィオはその場で静かに呟いて、黙祷する。背に当たる夕日がとても暖かく感じる。心の中に閉じ込めていた優しい記憶が次々と脳裏に蘇って、ただ静かにシルヴィオの頬を雫が伝っていった。


「やっと……やっと、終わりましたよ……」


 ここに九尾狐は討たれたのだ。

 シルヴィオは涙を流しながら、柔らかい笑みを浮かべた。復讐鬼はようやく報われて、その役目をここで終えたのである。もう、何かを憎む必要など無いのだ。


「……さぁ、帰りましょうか、皆さん。帰ったらすぐに、温かい紅茶を入れますので!」


 シルヴィオは憑き物が落ちた様な笑い顔で二人を振り返った。それは今までの様な憂いを帯びた笑みなどではなく、心の底から喜びを噛み締めているような笑顔であった。ようやく彼の時間は再び前に進み始めたのだ。

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