伍話 結ばれた絆は優しく強く
「――っ! 大型種に交戦反応有り!」
不意に、幾つものモニターと睨み合っていたアヤメが引きつった声で叫んだ。ジェノも慌ててモニターを見れば、『UNKNOWN』と表示された大きなマーカーが赤く点滅していた。そのマーカーの場所はエデンから遠く離れている旧市街地であった。
「アヤメさん、これって……」
「十中八九ヴィオはんが仕掛けとるんやろな……くっ、アカン、通信繋がらへん!」
アヤメは先程から何度も「応答しぃ!」と叫んでいるのだが、シルヴィオからの応答は無い。通常時であればモニター上に表示される筈の隊士のマーカーも無い事から、恐らく彼は通信インカムもバイタルサインと呪力を確認する端末も置いて飛び出して行ったのであろう。
「先輩っ! アヤメさんっ! 訓練所にこれが……っ!」
そこへ、泣きそうな声で二人の名を呼ぶバレッタが駆け付けて来た。その手には「
「どう、どうしよう……! 隊長が、シルヴィオ隊長がぁ……っ!」
バレッタの琥珀色の瞳には涙が溜まって、ボロボロと零れていく。彼女は相当憔悴している様だったが、懸命に気をしっかり保って叫び出すのを堪えているみたいだ。
「――アヤメさん、オペレーションをお願いします……俺は、ヴィオさんを助けに行くんで」
ジェノは一度深呼吸をして、それから覚悟を決めた様に言い放った。その言葉にアヤメはギョッとして彼を見つめる。
「ジェノ君、それは――」
軍律違反だ。アヤメの言葉は続かない。
「分かってます! ヴィオさんを助けられるなら、懲罰でも除名でも何でも受け入れます!」
その言葉に被せるように、ジェノが声を発したからだ。彼は、顔色を青白く染めたアヤメの言葉を遮りながら、感情を顕に言い切った。その瞳には揺らぐ事の無い絶対的な決意が宿っている。
「……私も行きます! 私だけ見守ってるだなんて事、絶っ対に出来ません!」
充血した目をグイグイと擦り、乱暴に涙を拭ったバレッタも、真剣な表情で賛同した。彼女も既に覚悟を決めている様だ。
「……んもぅ、しゃあないなぁ! ウチも付き合ったる――」
再びアヤメの言葉は遮られた。オペレーションルームに――否、エデン全体に緊急事態を報せる警報が鳴り響いたのだ。彼女は苛立った様に「今度は何や!」と叫んだ。
『本部よりオーミーン全隊士へ告ぐ! 緊急事態発生、エデン南東の防壁近くにオニの大量発生――ヒャッキヤコウが発生。直ちに全勢力で制圧に向かえ。繰り返す――』
その言葉を皮切りに、ビービーとオペレーションルーム中の機械達が鳴り始めた。その場に居た全員が顔を上げ、エデン周辺の様子を表す中央モニターを仰ぎ見た。
警報の言う通り南東部に沢山の反応が、まるで突如降り出した強い雨の跡の様に現れ出した。
「クソッ! 何でこんな時に……っ!」
ジェノは固く握った拳を壁に叩き付けながら、怒りの感情と共に悪態を吐き捨てた。
「――ジェノ、
ガヤガヤとオペレーションルーム中の職員が各小隊と通信を始め、騒がしくなる中、ジェノとバレッタを呼ぶ怒号がハッキリと聞こえた。
慌てて二人が声の方向へ顔を向ければ、片手にジェノの得物を持ち、更に見慣れないバスターブレードを背負ったダグラスが立っていた。
「ダ、ダグさん……!」
「ダグラスさん!?」
ダグラスは二つの武器の重量などものともしていない様子で、オペレーターの波を掻き分けやってくる。彼はそのままヒョイとジェノに得物を投げ渡すと、
「ジェノ、『蒼穹』の修理と調整は終わった! 早く行け!」
と声を荒らげ、二人に早く行く様に促した。
「ダグラスさんっ! でもシルヴィオ隊長を放っておけません……!」
「違う、テメェらは銀嶺の方に行けっつってんだ! 早く銀嶺の馬鹿を救ってこい!」
泣き出しそうなバレッタの抗議に、ダグラスは噛み付く様に反論した。ジェノは目を見張って驚くと、「まさか」と呟いてダグラスの背に鎮座しているバスターブレードを見つめた。
「ヒャッキヤコウには俺が行く! テメェら二人分の戦力ぐらい、俺一人でどうにでも出来るからな」
そう力強く言い切るダグラスの風体はまさに鬼神。現役であった頃とそう変わらないであろうオーラを纏いながら、中央モニターの点描を睨み付けた。
「……いいんすか、ダグさん。その足……」
「ハッ、テメェに心配される程落ちぶれちゃいねぇさ。分かったらテメェらはさっさと行け! 銀嶺がくたばっちまう前にな!」
ダグラスはジェノの心配を鼻で笑って一蹴すると、今度こそ早く行けと顎でしゃくって指示をした。いつもと変わらぬ口の悪さに、ジェノもバレッタも涙を堪えながら頷いた。
「オペレーションはウチに任せとき。懲罰を受ける時はウチも一緒や!」
それと入れ替わる様に、アヤメが先程言いかけた言葉の続きと共に二人の背中を押した。「はい!」と返事をする二人の声は少し震えていた。
「――ジェノ、銀嶺に会ったら伝えとけ。これで
駆け出す前に、ダグラスが一言呟いた。それは、いつものふてぶてしい皮肉では無い、別の意味を含んだ言葉に聞こえた。
「……了解っすよ」
ジェノはダグラスとシルヴィオに何の
◈◈◈◈
「――おぉぉおおぉおおっ!」
シルヴィオの雄叫びと共に、もう何度目か分からない一閃が舞う。しかし冷たい殺気を纏ったそれは、
「くっ、埒が明きませんね……!」
もう何度これを繰り返しただろう、シルヴィオは苛立った様に吐き捨てた。既に日は高く高く昇っているにも関わらず、一向に終わりが見えてこない。インカムも端末も持たずに飛び出して来た彼は、相手の状態はおろか自分の状態すら分からないのであった。
「――――!」
大地を揺るがす九尾狐の咆哮。それは相変わらず耳障りな機械音だったが、時折調子が悪いラジオの様にガガッと小さなノイズが混じっていた。
音の圧にシルヴィオが怯んだ瞬間、九尾狐の白い体躯が飛びかかってくる。彼は慌てて横に飛び退いたが一歩間に合わず、大狐の強靭な爪に左腕を深く切り裂かれてしまった。また気付かぬ内に、身体強化も出来ない程に呪力が低下していたらしい。
「ぁ、づ……っ!」
シルヴィオは腕に走った熱さに耐えつつ、残り僅かとなった回復錠を口へ放り込んだ。それを思い切り噛み砕けば、呪力低下による疲労がじわじわと回復していく様に感じられた。
だが疲労困憊であるのは相手も同じの様だ。九尾狐はギュルギュルと低い唸り声を上げシルヴィオを睨み付けているが、一向に飛びかかってくる様子は無い。どうやらシルヴィオの攻撃は少なからず効いていた様で、全身の回路を赤く点滅させ、フーッフーッと荒い息を吐いていた。
(今――!)
相手が疲れていると踏んだシルヴィオは、今が好機と言わんばかりに一歩を踏み出した。
「――――ぁ」
しかし、駆け出そうとしたその瞬間目の前が白く飛んで、彼はガクンと膝をついた。回復錠に血液不足までをも治す効果は無い。あまりにも血を流しすぎたのだろうか、頭の中まで真っ白になる様に感じた。
そんな白んだ世界の中で、九尾狐が動いた気配がした。相手もこれを絶好の機会だと踏んだのだろう。この一瞬の隙で、シルヴィオは狩る側から狩られる側へと落とされてしまったのだった。
(――レイラ)
そんな時でも、白く染まったシルヴィオの脳裏に浮かぶのは、最愛の妻の姿であった。
「ごめん、なさ――」
視界が戻る。目の前には、今まで幾人も葬ってきたであろう九尾狐の
死が眼前に迫る。
声が掠れた。
足は動かなかった。
距離を詰めた死の気配に、シルヴィオはもう為す術が無かったのだ。
だからそっと、諦めて目を閉じて、命の灯火が消される瞬間を、ただ静かに待って――
「――シルヴィオ隊長からっ! 離れて下さぁぁいっっ!」
けれども、突如聞こえた聞こえる筈のない少女の声と、すぐ傍に現れた気配がそれを許してくれなかった。それは数時間前まで聞いていた懐かしい声だった。何かが風を切り裂く音がして、死の気配は甲高い機械音と共に遠のいていく。
「バレッタちゃん、退いて下さいッ!」
そうして、聞こえる筈の無い声がもう一つ。シルヴィオは目を開けた。色が戻っていく世界の中、九尾狐を
「……チッ、掠っただけすか」
少年の殺気に気付いた九尾狐は、傷付いた体を引きずる様に動かして後退する。それにより少年の攻撃は鼻先にしか当たらず、彼は忌々しそうに舌打ちを残した。
「――どう、して……」
思わず零れたシルヴィオの問いに、少年も少女も答えない。ただ隊長を守る様に、彼の前に立ちはだかるのみであった。
「ほら隊長、立って下さいよ――ここからは反撃の時間なんすから」
そうして、ただの一度もシルヴィオを振り向かず、少年は――ジェノは真っ直ぐ九尾狐を見据えて言い放ったのであった。
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