第36話 世紀末

 エリスがテレビを視るのは平和維持軍支援全国集会以来、久しぶりのことだった。娘のマリアから電話があって、国営放送のニュース番組を視るように勧められたのだ。


『これは東亜大公国の国営放送が報じたユウケイ民主国南部の都市エアルポリスの現状です。ここは約1カ月間のフチン軍の大攻勢ですっかり廃墟と化しています。原形をとどめているものはほとんど何もなく、あるのは戦禍で亡くなった市民が埋葬されていると思われる墓ばかりです。生存していた約10万人の市民は、人道回廊をつかって3日間のうちに西部に避難を終えています。その避難劇は悲劇ながらも壮大なスペクタクルでした……』


 そこで画面は数日前の録画に代わった。数百台といわれるバスやトラックの車列に、どこに隠れていたものか、町中から集まった市民が乗り込む様子だった。


『……無人化したこの街、無人の廃墟が街と呼べるのならですが、そこが独立するというのは、どういったことなのでしょうか?……そして、その独立国を守ると、フチン陸軍が前線基地を設置しました。ところが翌日、基地はユウケイ軍の長距離からの砲撃を受けて後退しています。そうしていま、再びここは無人の街と化したのです……』


 フチン国営放送がかつて、海外の放送局が報じた戦争報道を引用することなどなかった。ところが今はそれをしている。ユウケイ民主国内の破壊しつくされた街々、着の身着のまま徒歩で避難する大勢の市民、地下壕で震える子供たち、路上に放置された自家用車、フチン軍の戦車の残骸、沈む航空母艦モーリェ……。それまで政府の承認を得られるレベルで報じられた内容とは、180度異なっていた。


「どういうこと?」


 エリスはリビングのテレビに釘付けになり、ニュースを視ながら何度も同じことをつぶやいていた。戦争の状況は、インターネットで確認しているマリアから時折聞いていたが、ここまで凄惨せいさんな状況になっているとは考えてもいなかった。


 喉の渇きを覚えて立ち上がったのは、テレビの前に座ってから2時間も経過したころだった。キッチンまで足を運び、冷蔵庫からミネラルウオーターのペットボトルを取り出してグラスに注ぐ。それを飲み干して喉の渇きはえても、頭がすっきりすることはなかった。脳が、過去と現在のギャップを埋める情報を欲していた。


 結局、グラスを手にしてリビングに戻り、再びテレビに目をやった。


「どういうことかしら……」


 フチン国営放送がまったく異なる放送局になってしまっている。いや、異なる国の放送局になったような気がした。


 画面にはフチンの方々の都市で戦争に抗議する若者の姿が映っていた。以前なら警察官がたちどころに逮捕しているところなのに、警察官は遠巻きにして監視しているだけだった。車や商店を壊さない限り逮捕することは無さそうだ。


 そういうことか!……変わったのは放送局ではなく、それを監視していた公安当局の姿勢だと気づいた。


 イワンが考えを改めたのかしら?……新たな疑問を覚えた。


 アナウンサーの背後に、再び破壊された街が映った。瓦礫の景色の中に、小さな教会がぽつんと立っている。その教会に見覚えがあった。


『これはBMM放送が報じたミールの街です。現在、駐屯していた平和維持軍は撤退しています。ユウケイ民主国は、平和維持軍による民間施設の破壊と民間人の虐殺が行われたとコメントしていますが、フチン国防省は、民間人の虐殺は平和維持軍撤退後にユウケイ軍の手で行われたと発表しています。当時、現地にメディアは入っておらず、真偽のほどは不明です……』


 エリスの記憶にあるミールは、絵本の中からこぼれ落ちたようなカラフルな街だった。それが灰色と黒炭色の景色に変わり、遺体までが瓦礫のようにそこここに映っている。


 そこで暮らしたのは6歳までだった。貧しさのために兄が養子に出され、その数年後にエリスも養子に出された。街は、実の両親と兄たちとの貴重な想い出のある懐かしい場所だった。いつかはそこに行ってみたいとイワンには話していたのだけれど……。廃墟と化した生まれ故郷の姿に、めまいを覚えた。


『……この街は、平和維持軍支援全国集会でステージに立ったユウケイのジャンヌダルク、アテナの生まれ故郷です。街はすっかり焼け野原と化し、原形をとどめているのは教会のみといった状況です。至るところに戦禍で亡くなった市民が埋葬されており、その確認作業が行われています……』


 穴から遺体を掘り出す映像から、エリスは眼をそむけた。その中に、上の兄やその家族がいるかもしれない。


 最後に長兄の顔を見たのは50年ほど前になる。思い出そうとするとその顔は、ユーリイのそれにしかならないが、懐かしいのは姿を思い描けなくても同じだった。家族の顔は思い出せなくても、両親や祖母の香はそこはかとなく思い出せた。


『……そのアテナですが……』


 画面は視なくても、アナウンサーの声は耳に届く。


『……BMM放送によれば、数日前に処刑されたといわれています。今のところ、フチン政府から公式の発表はありません……』


 あの女性が処刑された?……殴られたような衝撃を覚えた。


 自分とよく似たあの女性を、イワンが処刑したというのか?……ほうけたように手にしたグラスに目をやると、ユウケイのジャンヌダルクの顔がそこにあった。


 戦場、国内情勢、世界各国からの非難……。テレビニュースは、これまで報じなかった事実を次から次へと報じてエリスを混乱させた。普段は楽しく雑談する家政婦も「きっとフェイクニュースですよ」「イワン大統領が噓を言うはずがありません」と慰めてくれたが、当の本人が自分の言葉を信じていないようだった。


 衝撃の強さにエリスは食欲をなくしていた。せめてスープだけでも、と家政婦が言うので口をつけた。彼女が作ってくれる食事はいつも美味しいのだが、その日のものには味がないような気がした。


 家政婦が帰宅してから、胸にわだかまる疑問を取り去りたくてイワンに電話を掛けた。基本的にはこちらから連絡することは禁じられている。まして彼の仕事に関わることのために電話をしたら怒ることはわかっていた。が、それでもかまわないと思った。


 ――トゥルルルル、トゥルルルル……、呼び出し音が続く。


 電話に出るつもりはないらしい。そう考えて受話器を置こうとした時、それはつながった。


『私だ』


 ひとことで彼が不機嫌なのがわかった。


「イワン、一体何があったのです?」


 詳しいことを語らなくても、彼には意図が通じたようだった。


『世紀末だ』


「えっ……」逆に、彼が何を言おうとしているのかわからない。「……21世紀は、まだ半分にもなっていませんよ」


『神の審判のくだる時が来たのだよ。ちょうど良かった。明朝、そちらに行く。今夜のうちにマリアも呼んでおいてくれ。大切なものを持参しておくよう、よく言い聞かせるのだぞ』


 イワンが話す背後から、ソフィアの笑い声が聞こえた。普段なら聞き流せるのに、その時は無性に腹が立って声が尖った。


「どういうことです? 意味がわかりません」


『明日、話す』


 そう告げると、彼が電話を切った。


 世紀末?……改めて考えると、前にイワンが顔を見せた時、それはもうひと月も前になるのだけれど、――私が勝つか、地球が滅びるか……、楽しみにしていろ――、と言ったのを思い出して背筋が凍った。


 そしてすぐに、世紀末を彼は、ソフィアとではなく、この家で本当の家族と過ごしたいのだろうと勝ち誇った気分を味わった。


「そうだ……」マリアを呼び出すように言われていたことを思い出して電話に手を伸ばした。


 マリアは街の中心部にある高層マンションに住んでいて、仕事と遊びにいつも忙しくしている。電話に出ても、今日中にやって来るかどうか……。そんなことを考えながらダイヤルした。


 3コールでマリアが出た。イワンの言葉を伝えると、『まったくパパったら、勝手なんだから……』彼女は電話の向こうでぼやきながらも、2時間後には帰ると約束してくれた。


 エリスはブランデーを舐めながら待つことにした。再びテレビの前に釘付けになった。


 住宅の玄関先でたたずむ大型犬がいる。飼い主が侵略者に殺されたことを知らず、帰宅を待っているという。最近エアロポリスから脱出した住人は、飢えのためにペットを殺して食べたと泣いていた。戦争の影響は人間ばかりかペットにまで影響を及ぼすのだ。……燃え上がる共同住宅、室内を貫通した不発のミサイル……、母親に手を引かれて隣国を目指す幼子、ひとり泣きながら国境を目指して歩く少年……。国の内外に避難するために列をなしてトボトボと歩く市民は高齢者や女性、子供ばかりで涙なしには視られない。


 この2カ月間、ユウケイ国の各地でおきた悲劇や惨劇に胸が締め付けられた。


 そして侵攻した町や村で食料や燃料、金品を略奪する兵隊の姿が映った防犯カメラの映像を視た時には吐きそうになった。彼らの一部は、隣国のヴァンベルト共和国へ戻った際に、家電のような大型の略奪品を家族や知人へ宅配便で送っているらしい。


 世界各国の首脳、知識人、一般市民がフチン共和国を非難していた。それに対して、ユウケイの大地はフチンの一部だと論じるイワンの顔は、まさに厚顔無恥という言葉がふさわしいものに見えた。あの人らしいと思う一方、昔はそうではなかった、と彼に同情した。


 ふと、ひと月前の会話を思い出した。


 ――君の望み通り、歴史を正している。すべて神の望むままだ――


 ――ミールを愛しているとは言ったけど、人を殺してほしいと言ったつもりはないわ。自分の欲望を、私の責任にしないでほしいわね。……イワン、あなた世界中からどう思われているか――


 ――全て君のためだ――


 本当に私やフチン聖教の教義に基づく戦争なのだろうか?……目的を達成するためなら手段を択ばないイワンだが、過去を振り返れば、その手段は冷徹なまでに論理的だった。が、ユウケイ戦争という手段を見ると、彼の行動はあまり合理的なものに思えなかった。


 やはりイワンは変わってしまったのかしら?……イワンがしてきたことと、今、フチン共和国が立っている場所を思うと不安が胸を焼いた。


「……ママ、大丈夫?」


 いつの間にやって来たのだろう。マリアの姿が目の前にあった。ケーキの箱を手にしている。


「あ、マリア。早かったのね」


「そんなことないわ。ちょうど2時間よ。久しぶりにパパと食べようと思って、チーズケーキを買ってきたの」


 彼女が手にしている箱を持ち上げて見せた。


「あら、そんなに経った……」


 エリスは壁掛け時計に眼をやり、テレビの前は時間の流れが速いのね、と相対性理論をジョークに使った。

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