第35話 残酷な世界

 停戦期間が終了した直後、ユウケイ軍は南部戦線で大規模な攻撃に転じた。海上を支配する機動部隊にミサイル攻撃を仕掛け、エアロポリスに設営された前線基地を砲撃して撤退させた。どちらもアントロフが立案した作戦だ。それは、西部同盟から攻撃的な大型兵器が提供されたから実現できた。戦闘区域から市民の避難がすんだのも、作戦が実行できた理由だった。


 一方、東部戦線は膠着こうちゃく状態だった。そこにはまだ多くの市民が隠れていたし、フチン軍も広く分散していて、単純な攻撃で打撃を与えるのは難しい状況だった。そこでは、アントロフはあえてフチン軍をそこに縛り付ける作戦を取った。戦闘より、住民の避難を優先した。


「ドミトリー、西部同盟からの通信があった。フチン軍の中に不審な動きがみられるそうだ」


 顔を上気させたデニスが目の前に立った。


「どういうことだ?」


 食卓テーブルでライス民主共和国へのメッセージを推敲すいこうしていたドミトリーは彼の顔を見上げた。


「南部戦線から、一個大隊が撤退したそうだ。その穴埋めに、フチン軍が忙しく配置を変えているらしい」


「好機だ」


 思わず立ち上がっていた。


「ああ、すでにアントロフに攻撃を指示している。重要なのは、フチン軍が何のために一個大隊を前線から引き抜いたのか、ということだ」


「東部戦線への移動ではないのか?」


 感情のままに立ち上がったものの、冷静を装わなければならないことを思い出し、ドミトリーは静かに腰を下ろした。考えてみれば、戦線が弱体化すると知りながら、フチン軍が〝最狂〟と呼ばれるチェルク軍を最前線から下げることはないはずだった。


「いや、ライスの国防省の衛星写真の分析では、チェルク共和国方面に向かっているらしい」


「チェルクで何かが起きているというのか?」


「それが、西部同盟やライスの情報機関には特異な情報は上がっていないそうだ……」


 ドミトリーは考え込んだ。思い当たることといえばフチン共和国国内で不協和音が生じている可能性だが、そういった兆候を各国の諜報機関が察知できなかったこともかつてなかった。


「……いずれにしても、我が国に追い風が吹いているということだ。一気にフチン軍を追いかえすぞ」


 デニスが気勢をあげた。


「そのためには、同時にやっておかなければならないことがある」


 ドミトリーは声を潜めた。彼の肩を握り、並んで椅子に掛けた。


「ん、どういうことだ?」


「フチン軍を追いかえすということは、我々が勝利するということだ」


「もちろん。それが我々の目標だ」


「我々の勝利を、イワンが受け入れられると思うか?」


「それは無理だろう……、え……、ということは……」


 デニスの目が点になっている。ドミトリーはアテナの最後のメッセージを思い出していた。――イワンは核兵器を使う。みんな、ありがとう。私は家族のもとに行く――


「そうだ。その時イワンは核を使う」


 胸がギリギリ締め付けられるように痛んだ。


「どこで?」


「わからない。それこそ私が知りたいことだ」


 ドミトリーは正直に応じた。


「まさか、都市に落とすことはないだろうな?」


「可能性は否定できない。その時は大惨事だ。何万人死ぬかわからない」


「どうするつもりだ?」


「私なりに考えた……」


「聞かせてくれ」


「我々が勝てばイワンは核兵器を使う。そうさせないためには……」


「そうさせないためには?」


「我々が負けるしかない」


「まさか……」


 デニスの口が丸い穴を作っていた。


「勝つも地獄、敗けるも地獄だ。負けたら百年前と同じ惨事に見舞われかねない」


 ドミトリーはデニスが理解しやすいように、ふたつの可能性を並べた。


「数百万人の餓死か……」


「だから敗けるわけにはいかない。世界を第3次世界大戦に巻き込もうとも……」


 彼に覚悟を求めるように言葉に力をこめた。


「おい、西部同盟の首脳たちが聞いたら腰を抜かすぞ」


 その時、人の気配を感じてドミトリーは話しを止めた。オリガだった。


「大変よ。フチンの国営放送が……」


「どうした?」


 ドミトリーとデニスは同時に立ちあがった。


 指令室に入ると、すべてのスタッフがテレビの前に集まっていた。


『……BMM放送が報じたのは、数日前に平和維持軍が撤退したミールです。平和維持軍支援全国集会でステージに立たされたユウケイのジャンヌダルク、アテナの生まれ故郷です……』


 人垣の向こう側からアナウンサーの声がした。


「すまない、見せてくれ」


 ドミトリーが声をかけると人垣が左右に分かれて画面が見えた。


 映っているのはライス民主共和国の民間放送のひとつ、BMM放送のユウケイ戦争の報道内容を解説するアナウンサーの姿だった。彼女の背後のモニターには、建物は破壊しつくされ、民間人の遺体が散乱するミールの惨状があった。


 北部戦線からフチン軍が撤退した後に残された街や村は皆、同じようなありさまだった。特にミールは、フチン軍の侵攻開始時からミサイル攻撃を受け、アテナがミール出身だと公表してからは徹底的に破壊された。同時に、アテナの近親者であり、残虐行為の目撃者である住人も虐殺されたのに違いなかった。


「フチン国営放送が事実を報じているのか……」


 ドミトリーは夢を見ているような気分だった。


『こちらが東亜大公国の国営放送が報じた、航空母艦モーリェ沈没の瞬間です。今のところ国防省はモーリェの沈没を公表していません』


 アナウンサーの背後の映像が替わっていた。黒煙を上げて大きく傾いた航空母艦が風も波も穏やかな海上にあって、脱出する兵隊たちが皿からこぼれる豆粒のように海へ飛び込んでいる。


『平和維持軍の活動は、私たちが平和維持活動と考えていた以上に大規模な戦闘行動だったように思われます……』


「報道規制が解かれたようです」


 ハンナは満面の笑みを浮かべていた。眼がしらに涙さえ浮いている。


「いったい、何が起こっている?」


 ドミトリーは、視ているものが信じられなかった。これもまた、イワンの策略ではないのか?


「私にはさっぱりわかりません」


 ハンナが首を左右に振る。


「オリガ、ライスに問い合わせてくれ」


 人垣の中に彼女の姿を見つけて頼んだ。


「わかった」


 彼女が手を挙げて応じ、自分の席に向かった。


「クーデターか?」


 ドミトリーはハンナに尋ねた。彼女が何も知らないのを忘れていた。


「それはないと思うわ。ずっと視ているけど、フチン国内で政権が倒れたといった報道はないもの。戦争を止めるという話もね」


 彼女は、残念だというような表情を作った。


『……フチン共和国は、これまでフチン軍が行ってきた数々の国際法違反によって、世界から孤立しています。こうして改めて戦況を振り返れば、軍事面、経済面において国家存亡の危機にあるというべきでしょう。大統領は日頃から核抑止力を有効に活用すると明言していました。もしかしたら今が、その時なのかもしれません。国民の皆さんもそれに備えて……』


 ドミトリーの中で、スピーカーから流れる声が薄れていく。核兵器使用の環境づくりが行われている、と思った。


「おい……」デニスの声。彼の瞳が、予想があたったな、と語っていた。


「みんな、イワンが核兵器を使う可能性がある。その前提で避難勧告、ヨウ素剤の配布など、できることはすべて行うよう、関係部署に通知してくれ」


 ドミトリーはスタッフに命じると自分の席に走り、西部同盟本部へ回線をつないだ。核攻撃が行われたら、西部同盟軍が参戦すると約束ができていた。それで第三次世界大戦がはじまる。場合によっては、人類が滅びる大規模な核戦争になる。それがわかるから、受話器を持つ手も震えていた。


 翌日、オリガのもとにフチン共和国の外務大臣からメッセージが届いた。アンドレの後任のレオニードからだ。


 ――これは偉大なるイワン大統領命による親切なメッセージである。フチン共和国は、勝利に及ばずとも、負けることもない。大統領は核兵器の使用を決意された。3日以内にユウケイ民主国が降伏しないなら、セントバーグを地獄に変えるとおっしゃっておられる。私も焼けただれたセントバーグを見たくない。速やかに降伏せよ。イワン大統領の前に膝を折れ――


 メッセージを読んだ閣僚の顔から血の気が失せた。ドミトリーは、閣僚だけでなく、スタッフのひとりでさえも、恐怖のあまりに理性を失うのを恐れた。


「君たちも知っての通り、外務大臣のアンドレと財務大臣のコンスタンチンが解任された。これは外交と経済面でフチン共和国が危機に直面しているという証だ。世界中の経済制裁の効果が表れているのだろう……」


 勇気をかき立てるような気持で、スタッフの顔をゆっくり見まわした。


「……核攻撃は恐るべきことだが想定内だ。目標を明言してくれたのは不幸中の幸いといえる」


「狙われているのがセントバーグなのだぞ。……どうするつもりだ、ドミトリー?」


 灰色の顔をしたデニスが口をはさんだ。それにハンナが続く。


「ここにはまだ百万の市民がいます。シェルターも第二次世界大戦規模の核攻撃には耐えられるけれど、それ以上のものとなると安全は保証できない……」


「みんなの言う通りだ。だからといって降伏することも、全てを諦めることもできない。私は、諦めの悪い男だ。とにかく、出来る限りの多くの市民を西部に避難させる。それからセントバーグ近郊のミサイル迎撃システムの強化を」


「それはまかせておけ……。とうとう第三次世界大戦だな」


 デニスが唇の端をひきつらせた。覚悟を決めた軍人の顔だ。


「デニス、どういうこと?」


 ハンナが首をかしげた。


「フチン軍が撃退されたら、イワンは核を使うだろう。その時は西部同盟やライスも重い腰を上げる。第三次世界大戦が始まると、昨日、話していたところだ」


 彼の説明に大臣たちが顔を見合わせた。


「ところが、それがそうでもないようだ……」


 ドミトリーの口は重かった。


「ん?」


 デニスが目を細めた。


「昨日、同盟本部議長と話した。前に話した時は、核攻撃があった場合、西部同盟は即座に反撃するということだったが、核兵器の種類によって対応が変わるだろうということだった」


「核兵器の種類?」


 オリガが首をかしげた。


「戦略核なら即座に反撃するが、戦術核なら使われた場所によって適宜判断するということだ」


「それってどういうこと?」


「たとえば海上や山岳地帯など、被害を最小限に抑える威嚇いかく的使用なら、西部同盟軍が前面に出ることはないということだ」


「いざとなったら怖気づいたということか……」


 デニスが悔しそうに拳を作った。


「当初から、イワンが演説で核兵器のことに触れたのは脅かしに過ぎないと、各国の首脳たちは決めつけていたのかもしれないわね。だから、私たちにも安直な約束をした……」


「ハンナ、さすがにそれはないだろう。決断すべき時が近づいて、ハードルが明確になったというべきだ。自国の安全のハードルは、よくよく考えてみれば非常に高かった、ということだ。逆の立場なら、私だってそうした対応をとるかもしれない」


「ドミトリー、ここにきて無視を決め込む連中の肩を持つことはないだろう」


 デニスが言った。


「もちろん、気持ちがわかるからといって、彼らの行動を認めるつもりはない。我々にも事情がある。核兵器が相手では、我々には戦う術がないのだからな」


「で、どうする?」


「今まで通りだ。何度でも説得を繰り返す。政治家が恐れる世論、それを動かしたい。……核兵器の使用に至っては、我々ユウケイではなく、人類そのものが試されている。そのことを訴えてみるつもりだ。多くのがそれに気づいて政府を動かす。そうしてイワンが行動を変えるのか、それでも人類滅亡覚悟で核兵器を使うのか……」


「世界が第三次世界大戦に突き進むのか、あるいは彼らが私たちを見捨てるのか……。とんでもない博打ね」


 ドミトリーの話をハンナが引き取った。


「正義感だけで、政治家は動かないぞ」


 デニスが不服そうにいう。


「もちろん経済的利益にも訴える。西部同盟やライスが提供してくれた兵器、避難民を養うために要した費用は莫大だ。我々と共に勝利してイワンにつぐなわせよう、とな。フチンにはそれに見合う資源がある」


「なるほど。ドミトリーも抜け目がないな。この際、九つの共和国の分離独立を要求したらどうだ。そうでもしなければ、今後枕を高くして眠れないぞ」


「面白いアイディアだ。次の会談で取り上げてみるか」


「ドミトリーもデニスも、地方共和国の分離独立云々なんて、私たちが言うべきことではないと思うわ。第一今は、勝つどころか、核攻撃の対応に困っているのに……。真剣に考えてほしいわ」


 珍しく、ハンナが目を三角にした。


「ハンナ、俺もドミトリーも怖いのだ。だから夢のようなことを言っている。許してくれ」


 デニスが肩をすぼめた。

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