第19話 飢餓の街 ⅰ

 アテナが臨時に配属された広報部は、大統領府の隣のビルの地下壕にあった。広報部だけではない。内閣の中核機能がそこにあった。壁には投資会社のディーリングルームのようにたくさんのモニターが並んでいて、ユウケイ軍の兵員数や戦闘車両の残存数、弾薬量、都市ごとの避難者数、国外避難者数、食料の備蓄量、発電所の稼働状況など、ありとあらゆるデータがひとめでわかるようになっていた。そこに表示される地図を見る限り、故郷ミールはフチン軍の勢力下に入っている。


 機械が多いためか、外は氷点下だというのに地下壕は半そでで過ごせるほど暖かかった。


 その指令本部の地下壕とは別に、首都の郊外にも巨大な地下施設があって、バックアップ本部と呼ばれていた。政府のスタッフのほとんどが、それらのどちらかの地下壕で寝泊まりし、仕事もそこで行っていた。万が一、大統領と首相がいる本部が壊滅した場合も、政府の機能が止まらないための措置だ。バックアップ本部には副大統領や副首相などがいて、本部の動きを常時トレースし、コミュニケーションも欠かさなかった。


 アテナが見る限り、ドミトリー大統領は精力的に働いていた。情報の収集と分析、諸外国首脳との交渉、議会演説、メディア対応など、猛然と寝る間も惜しみ……。食事も本部内で済ませており、時には電子レンジで温めたピザを立ったまま食べて済ませるほどだ。そうしたリーダーを有能なスタッフが支えていた。


 広報の任務に就いたアテナの最初の仕事は、カメラの前で自分のことを語ることだった。1本目の動画では、独立記念公園での活躍を控えめに語り、2本目の動画ではミールの町で爆撃を受け、愛娘と両親を失って軍に志願したことを話した。


 広報の責任者はリディアという元経営コンサルタントの女性で、怪我人のアテナに親切だった。年齢もアテナと近く、すぐに親しくなった。彼女は、家族を失ったアテナにとても同情的だった。


「アテナの話は、全軍に勇気をもたらすわよ。エアルポリスにも声が届いていたら良いのだけれど……」


 録画を確認しながらリディアが言うのは、ドミトリーが飢餓に瀕している街がある、と話していた都市のことだった。フチン軍に包囲された人口40万人のエアルポリスは電気や水道といったインフラ設備も破壊され、市民は地下壕に退避したままだった。すでに25万人は避難しているが、15万人は地下壕で飢餓と戦っているという。


「……一部のソーラー発電は生きているのだけど、発電量には限りがあるの。それで、せっかくの衛星通信も断続的にしかつながらないのよ」


 リディアが苦しそうに顔をしかめた。


 2人の話を聞いていたドミトリーが口を開く。


「国際赤十字もエアルポリスには入れていない。そこの解放が、喫緊きっきんの課題だよ……」


 彼は、ゴーレム部隊と呼ばれる最強の部隊を送り込んだが、フチン軍が制空権を握っているために屈強な彼らでも包囲を突破できなかった、と話した。


 翌日もアテナは、ドミトリーが「せめて飛行停止区域が設定されたら……」と、壁に貼られた地図を見ながらつぶやく姿を目にした。地図にはあるべき姿が描かれていて、エアルポリスにもミールにも、フチン共和国の陰はない。


「カールの部隊がベイランドの対空ミサイルを無事に送り届けたら、大統領の悩みは解決されるのではないですか?」


 アテナは、英雄墓地から隣国ベイランドに向かった仲間たちのことを話した。彼らは今、西の国境で受け取ったミサイルシステムを、ゴーレム部隊に届ける作戦に従事している。それが無事に届けば、エアルポリスの空に平和が戻ることが期待された。


 話しながら、そのとてつもない長距離を走る作戦の成功を神に祈った。エアルポリスに近づくほど、その図体の大きなミサイルシステムは敵に発見されやすく、設置前に集中砲火を浴びないとも限らない。とても危険な任務だ。


「ゴーレム部隊からの報告では……」ドミトリーが苦しそうに話した。「……50発程度の対空ミサイルがあったところで、制空権は奪取できないだろう、ということだ。ミサイルの効果は限定的だ。とはいえ、一時でも補給路が開ければ、市民の餓死だけは避けられるかもしれない」


 彼が地図を拳で叩いた。


「……クソッ、せっかくベイランドが戦闘機を供与すると言っているのに……」


「戦闘機がもらえるのですか?」


「ああ。ベイランドがフチン製の戦闘機を20機、提供すると申し出てくれた。今、ユウケイ空軍が運用しているのと同じ型で即実践配置可能なものだ。それなのに、西部同盟とライス民主共和国が、供与に反対している」


「何故です? 理由がわかりません」


「ベイランドの戦闘機提供は、ベイランドが参戦したと解釈されかねないというのだ。ベイランドが戦争に巻き込まれれば、西部同盟の条項によって、西部同盟の全ての国々が自動的に参戦しなければならなくなる。それは第三次世界大戦に発展する可能性がたかいということらしい」


「やはり、私たちは生贄なのですね」


 いつも胸の内に渦巻いているものが唇からこぼれた。


「生贄?」


「第三次世界大戦を回避するための、です」


 亡くなった家族や銃弾に倒れていった兵士の姿が脳裏を占めて、呼吸が苦しくなった。


「そうではないよ……」


 ドミトリーの言葉にアテナは驚いた。彼の瞳に、怒りや諦念といった色はなかった。


「……生贄はただ葬られるだけだが、我々は抗っている。現に、北部戦線ではフチン軍を押し返している。生贄には、こんなことはできないはずだ」


「ドミトリーの言う通りよ。こんな時だから、ポジティブにならないといけないわ」


 リディアが顔をほころばせた。


「そうですね。私も見習って、ポジティブになろうと思います」


 ドミトリーを信じると決めると、気持ちが楽になる。すると、アイディアが閃いた。


「戦闘機の提供を受けるのがまずいなら、盗んでしまえばどうでしょう? 少なくとも、ベイランドが戦争に加担したということにはならないのではないでしょうか?」


 我ながら名案だと思う。が、ドミトリーの反応は違った。


「我々が窃盗団のようなことをするのかい?」


 彼の顔は曇っていた。アテナのアイディアは、彼の正義感にはなじまないやり方らしい。


「ドミトリー、東洋には、嘘も方便、という格言があります。場合によっては、嘘も許されるということです……」


 リディアは、彼と違っていた。


「……アテナの考えた嘘は、国土を盗みに来ているフチンに対抗するためのものです。戦闘機の10機や20機、国土に比べればわずかなものです。盗むのではなく、無断拝借と考えたらどうでしょう」


「多少強引ですが、法的には緊急避難措置と解釈できます……」首相のハンナが話に加わった。「……もちろんベイランド政府には裏で話を通し、噓に加担してもらうのです。現状では、そのくらいのことをしても良いのではないでしょうか? ベイランドへの感謝も世界への情報公開も、戦争が終結してからすればいいことだと思います」


「ふむ……、わが国には有能なペテン師が多いようだ」


 それまで難しい表情で女性たちの話に耳を傾けていたドミトリーの顔が、悪戯を企む少年のようなものに変わった。


「その線で、ベイランドと交渉してみよう。デニス! オリガ!」


 彼は防衛大臣と外務大臣を呼び、ひそひそと策を伝えた。

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