第16話 取り巻きたち ⅰ

 グリム宮殿、大統領専用会議室……。イワンが座る20メートルのテーブルの向こう端に、首相ピエール、国防大臣ミカエル、内務大臣ビクトリア、外務大臣アンドレ、法務大臣エフゲニー、運輸大臣アレクセイ、財務大臣コンスタンチン、保健大臣アーロン、公安局長ドルニトリー、中央銀行総裁エリーナといったいつものメンバーがそろっていた。イワンを恐れて伏し目がちなのもいつものことだ。


 普段と異なるのは、イワンと大臣たちの間にある広い空席に、男性がふたり座っていたことだった。ひとりは石油採掘企業の会長で石油王と呼ばれるボリス、もうひとりは鉄鋼王と呼ばれるアリシェフだ。2人ともイワンの有力な資金援助者で、ラコニアの邸宅を提供したのがボリスだ。アリシェフはイージス艦並みの性能を持つ巨大なクルーザー、〝大フチン号〟を提供していた。その船もまた、イワンの隠れ家のひとつだ。


「大臣諸君、今日は、経済界から意見があるということだ。石油王ボリスと鉄鋼王アリシェフが代表として参加している。話を聞いてくれるかな」


 イワンは、身体を逸らすように背もたれに身体を預け、腹の前で両手を軽く握っていた。そんな他人を見下した態度に、……実際、見下しているのだが、イワンに話があると申し出てやってきたふたりの王の額には脂汗が浮いていた。一方、彼らがいることで、いつもなら蛇ににらまれた蛙のような大臣たちには、わずかながら余裕が見えた。


 静寂があった。


 ボリスとアリシェフは、お前が話せ、いや、お前が、とでもいうように、視線を交えていた。


「どうした? 話があると言ってきたのは、君たちだ。時間がもったいない。話したまえ」


 イワンはいら立っていた。ボリスたちが口を開かないことにではない。ユウケイ民主国に侵攻してからすでに2週間、未だに彼の国が降伏していないことに……。軍事、外交、内政と、自分の目論見が、ことごとく外れていることに……。


 ユウケイ政府という明確な敵を示し、我々が正義だと主張を展開したことで内閣支持率だけは期待通りに動いた。しかし、そんなものは水ものだ。いつ何時、流れが変わらないともかぎらない。流れを変えないためには、明らかな実利が必要だ。ユウケイの国土が……。それがたとえ、猫の額のような面積であれ。


 誰も何も語らない。しかたなく、イワンは口を開いた。「ボリス……」


「は、ハイ……」


 ボリスが額の汗を拭い、イワンの顔をちらりと見た。


 イワンは顎で話すように促すと、経済人と閣僚たちがどんな話をするのか、黙って耳を傾けることにして目を閉じた。


 ボリスがその瞳に失望の色を浮かべ、大臣たちの方に顔を向けた。


「……ここ2週間で、我が国の輸出入が半減しています。国内で売る商品がなく、製品を組み立てるための部品も届きません。海外の企業の多くが撤退、あるいは撤退を表明して活動を停止し、商店街もオフィス街も空き室ばかりです。失業者が増え、物は売れなくなりました。おまけに……」


 彼はそこまで一気に話し、大きく息を吸った。


「……おまけに、我が国の貨幣価値は30%……、ダウンしたのではありません。30%の価値しかなくなりました。おかげで、輸入品の高騰でインフレが加速、外貨だての債券を発行していた企業の多く、いや、ほとんどは支払いが行い難く、倒産の危機にひんしています。もはや各企業、経済界の力では何とも致し方なく、政府に動いていただきたいのです」


 ボリスの視線が首相を中心に、大臣たちの中を彷徨さまよった。


「そんなことは言われるまでもなく……」


 コンスタンチンがそこまで答え、シマッタ、とでもいうようにエリーナに眼をやる。彼女が言葉を引き取った。


「我が国は、10日も前から世界の決済システムから除外されているのです。貨幣価値が下がるのは当然でしょう。高騰した商品は輸入品が主です。流通商品が国内生産のものにシフトすれば落ち着くでしょう。ボリスさんには、それを前提に商売をしてもらわなければ困ります」


 エリーナが突き放すように言うと、アリシェフが腰を浮かせた。怒ったのだろう。顔が赤い。


「総裁は簡単に言うが、輸入に頼る電子部品も多い。企業努力にも限界があるのです。だからこうして、大統領にお願いにやって来たのです。軍事行動の件です。それが転換しない限り、フチンの企業は世界から締め出されてしまう」


「簡単? 誰が簡単だと言いました。企業が世界経済から締め出されているように、フチン共和国自体が世界から排除されているのです。その舵取りに、我々も苦慮している。自分ばかりが苦労しているなどと思わないでいただきたい。ましてや、富裕層には国外に逃げ出している者も多い。そんな連中が出ないよう、おふた方は努めなければならないのではないか!」


 彼女が殴りかかりそうな勢いで言い返すと、ピエールが仲裁するように口を開いた。


「今は特殊な事態なのです。国も企業も、国民だって苦労している。一丸とならずにどうします。……心配いりませんよ。我が国の地下資源……、石油に天然ガス、ボーキサイト、レアメタルなどがなければ現代社会は衰退します。今は制裁などと言ってつっぱっている国々も、早晩、態度を変えてくる。それまでの辛抱です」


 ピエールの楽観的な意見に対し、ボリスとアリシェフは、諦め気味に首を振った。それから「それならば……」と、軍事作戦が終了し、フチン経済が持ち直すまでの間、政府が国内消費の拡大策とインフレ抑制策を実施すべきだ、と要求をした。


「経済界の重鎮が……」コンスタンチンがため息をこぼし、イワンをちらりと見やった。「……消費拡大とインフレは表裏一体。現在のインフレは為替だけが原因ではない。国民が我先にと輸入品を買いあさっているからでもある。引力に逆らって飛ぶような難しい要求をしていると理解しているのでしょうな?」


「もちろんです……」ボリスが鼻息を荒げていた。「……近い将来、いや、すぐに反動がやって来るでしょう。国民は物を買わなくなる。いや、買えなくなる。そんなことにならないように……」


 経済人と閣僚のやり取りは、イワンにはとても腹立たしいものだった。……もとはと言えば、とイワンは思う。戦いが長引いていることが問題なのだ。このまま春を迎えれば大地はぬかるみ、補給が難しくなる自軍が圧倒的に不利な状況に置かれることになる。


 瞼を持ち上げたイワンは、掌で机をたたいた。


 ――バン――


 音が大きければ大きいほど、怒りをストレートにぶつければぶつけるほど、当然、掌が痛む。そうしてしまってから、いつもイワンは後悔する。


 中断する議論。蒼ざめた顔、顔、顔……。その場のすべての視線がイワンに集まった。


 彼は、自分を見つめる怯えた人間を睥睨へいげいする。


「愚かだ……」


 ため息がこぼれた。


「なんとも愚かだ。責任を擦り付け合い、他者に打開策を求めるなど……」


 会議室の面々の背筋は曲り、顔がうなだれていく。そんな彼らに、イワンは同情を覚える。それから、愚かな彼らを、導いてやらなければなるまい。そう決心した。


「身内で争うものではない。すべてはユウケイの若造、ドミトリーの責任だ」


 そう述べると、会議室の空気がみるみる軽くなる。そのことに、イワンは得意になり、少しだけいら立ちをおさめた。

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