第14話 ジャンヌダルク
アテナの活躍もあって、大統領府に侵入したフチン兵は制圧された。大統領殺害のために派遣された特殊部隊員32名の内、無事に地上におり立ったのは8名だけだった。結果、大統領府に侵入したものの作戦は失敗し。3名が死亡し、5名が負傷。ユウケイ軍は大統領府の防衛には成功した。とはいえ、ユウケイ軍の死傷者も少なくなかった。
「君も具合が悪そうだな。名前は?」
アテナは夢の中で声を聞いた。その声に聞き覚えがある。頼れる優しい声だ。
「輸送部隊の……」そこまで言って息が続かなくなった。痛みで目もかすんだ。床のタイルの模様がにじんでいる。
「外傷はないようだが。どれ……」
声の主が脇腹に触れる。
「タッ……」
激痛が走り、身体が強張った。
「外傷は見られないが、肋骨が折れていそうだ。それにしても防弾チョッキなしで前線にいるとは、無茶をするな……」
あの時だ。……アテナは、非常階段で転倒したことを思い出した。その時、骨折したのだろう。夢中で戦い続けてきて、その痛みに気づかなかったものらしい。
「衛生兵!」
呼ばれた衛生兵が肋骨の骨折を確認し、「他に痛むところはないか?」と訊いた。
「全身が……」それ以上、痛みで話せなかった。
衛生兵の手がアテナの全身をまさぐる。それが右足首に触れた時、激痛が走った。
「折れてはいない。捻挫です」と、衛生兵が誰かに話した。
「そうか。担架を!」
優しい声のトーンが変わった。
アテナは病院に収容された。爆風によるガラスの飛散を防止するために、窓をふさいだ薄暗い病室だった。ベッドが隙間なく並んでいるのが、戦争による被害の甚大さを象徴していた。
「お嬢ちゃん。どこをやられたんだね?」
アテナの隣にいるのは、左目を包帯で覆った高齢者だった。彼のツバキが頰についた。それを拭いながら答えた。
「肋骨と足首を……」
痛み止めが効いていて、楽に話すことができた。
「可愛い顔をして軍人さんとは、勇ましいな。勝てそうかね?」
彼は、軍服姿のアテナの身体に、ひとつしかない目線を不躾に走らせた。
「勝ちますとも……」
「そんな小さな身体で?」
彼が顔をゆがめる。不安と嘲笑が混在しているように見えた。
「身体の大きさは関係ありません……」
「元気が良くて何よりだが、結局その身体ではなぁ。何ができるというのやら……」
彼がコホコホと咳込んだ。
「そんな……」
アテナは言葉をのんだ。高齢者に憤りをぶつけても仕方ない。
「彼女は英雄ですよ。戦闘ヘリを撃ち落とし、一時は敵に奪われた機関銃陣地も奪取した」
出入り口の辺りから、あの優しい声がした。患者の視線が声の主に集まる。
「大統領!」
方々から声が上がった。隣の老人の声はひっくり返っていた。
「部下から聞いたよ……」枕元に立ったドミトリーが患者たちにアテナの活躍を説明し、彼女に向かって見舞いを言った。「……アテナのお陰で今、私はこうしていられる。礼を言うよ」
彼の声に、アテナの胸が熱くなった。
「彼女はユウケイの勝利の女神、ジャンヌダルクかもしれないよ」
ドミトリーが室内の患者たちに述べると、彼らの期待と羨望の眼差しがアテナに集まった。
――ウーン、ウーン……、空襲警報が鳴る。
「大統領……」
廊下で待っていた首相が呼んだ。
「フチンの奴ら……。せめて制空権が確保できたなら……」
ドミトリーが空を見るように天井を見上げると、患者たちも同じようにした。
「……諸君、仕事ができた。早く傷を治してくれ。そのために私は戦う」
彼が拳をつくって見せると、くるりと背中をむけた。
「ユウケイに栄光あれ」
片目の老人が声を上げる。
「ユウケイに栄光あれ!」
続く患者たちの声はそろった。
国民の希望を背に、彼は去った。
戦死者たちの英雄葬が行われるその日、アテナは強引に退院して参列した。いつ敵の攻撃があるかわからないため葬列は簡素なものだが、首都に残っていた多くの国民が戦士の死を悼み、戦争が早く終わることを願っていた。
国家が流れる中、葬列は英雄墓地広場を墓地に向かって進む。正装したカールたちが棺を担いでいた。その列はとても長い。延々と死者の名前が読み上げられ、彼らの名前は奪われて〝英雄〟になる。
アテナはウラジミールが横たわる棺を厳粛な思いで見送った。思い出すのは、ミールの教会に預けてきた娘と義父母の棺のことだった。埋葬してから志願すればよかったのではないか……。後悔がチクチクと胸を突いた。
狭い墓地に林立する墓標の多くは、百数十年前、大フチン帝国に併合されるのを拒んで戦った英雄たちのものだ。その時、彼らの夢は実らなかった。そうして国土や資源、資産、文化を奪われた。
フチン人に支配されたユウケイ国民は、フチン語の使用を強制され、伝統行事を禁じられた。2等国民と
大フチン帝国が自滅し、独立を手に入れたのは30年ほど前にすぎない。それは奇跡だった。もうユウケイ国民のだれもが、フチン人の支配下にはいることなど望まない。
古い墓標の隣に、新しい墓標が増えている。深い墓穴が掘られ、棺は遺体が立った形で縦に埋められる。
「彼らは祖国の独立を、国民の自由と名誉を守るために戦い、そしてここに、祖国の土に帰る。……国内には、まだ遺体のみつからない英雄や、敵の砲弾で亡くなった市民の遺体が多く放置されている。彼らを一刻も早く、我々の手で慰めなければならない。そのために我々はここにいる。そのために我々は、侵略者フチン軍を我々の大地から追いやらねばならない。英雄たちの魂が安らかな時を迎えるのは、その後だろう。ユウケイ民主国に栄光あれ」
スピーカーから流れるドミトリー大統領の声に反応する参列者たち。
――ユウケイ民主国に栄光あれ――
声が砲声のように木霊した。
儀式を終えたアテナは、カールを探した。
彼は、英雄墓地の駐車場に仲間とともにいた。彼らは、片腕を吊り、右足をかばって歩くアテナの姿に目を瞬かせた。
「アテナ、その恰好はどうした?」
驚くミハイルの目の前に、クリスがスマホを突き出した。
「知らないの? 彼女はジャンヌダルクなのよ」
「ジャンヌダルク?」
「アテナは大統領を救ったのよ。それでジャンヌダルクだって」
彼女が差し出すスマホには、アテナの独立記念公園での活躍が紹介され、大統領が彼女をジャンヌダルクだと語った、と紹介されていた。
「すごいな、ジャンヌダルク」
ブロスがアテナの肩をたたいた。鎖骨を激痛が走った。
「……止めてください。ジャンヌダルクは、最終的には火あぶりになったのよ……」
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