第13話 独断暴走
それは、ドミトリーの遺体が英雄墓地に葬られる二日前の夕方のことだった。警戒警報が鳴り、飛んできた5発のミサイルがセントバーグ郊外の防空ミサイル陣地を壊滅させた。
カールの配慮で任務から外されていたアテナは、その情報をセントバーグ中心部の地下倉庫で、在庫を確認している役人から聞いた。
「大丈夫よ。中心部は攻撃されないから」
「今までは、ですよね?」
「今までも、これからも、よ。大統領府周辺の警戒は厳重だもの」
彼女の言うことを、アテナは信じられなかった。
防空ミサイルが破壊されたのなら、敵は空からやって来る。そう予感し、在庫の携帯式対空ミサイルを背負い、自動小銃を手にした。
「ミサイルを勝手に持ち出さないで。高価なのよ」
「使わなかったら返します」
彼女の抗議をアテナは無視した。
「どこにいくんだ?」
地上に出ると、知らない兵隊に声をかけられた。
「戦争」とだけ答え、そのまま非常階段を屋上まで駆け上がった。息が切れた。
空は群青色をしていた。北の水平線に宝石のようにキラキラ輝く小さな物がいくつか浮かんでいる。側面から夕日を浴びたヘリコプターの一部だった。郊外の国際空港辺りだ。
まるで打ち上げ花火が開いたようだった。誘導ミサイルを回避するためのフレアという偽装弾だ。熱を感知して追いかける誘導ミサイルは、フレアの熱を追いかけて誤爆することが多い。案の定、地上から上がるミサイルの航跡が多数あったが、命中したのは一部だ。
ヘリコプターが2機、火を噴いて落ちていく。
フチンの悪魔め、地獄に落ちろ。……アテナは呪った。脳裏に浮かぶのは、見慣れたイワン大統領と亡くなったばかりの夫の顔だった。
フレアの効果で生き残ったヘリコプターは、Ⅴ字型の編隊を組んで市の中心部に向かってきた。
やはり来た。……予想が当たったことに喜んだが、同時に恐怖を覚えた。
とにかく、戦わなければ、と覚悟を決めた。
正面から狙えば、フレアは効果がないのではないか?……アテナは考えた。出入り口のある壁に身体をよせ、ミサイルの照準器を立てて電源を入れた。操作を習ったのは1度だけだったが、ミハイルたちが使う様子を何度も見ていたので戸惑うことはなかった。
肩に担ぎ上げ、照準器を通して向かってくるヘリコプター群を覗く。小さな戦闘ヘリが前にいて、おそらく特殊部隊を乗せている大型の戦闘ヘリが後方にいた。
ミサイルは1発、落とせるのは1機のみ。そう考えて、大きい戦闘ヘリに照準を合わせた。
機影があっという間に巨大化する。
――ドドドドド……、戦闘ヘリの機関砲が火を噴く。それはフレアさながらに、闇に沈みゆく世界を赤く照らした。爆音と同時にビルの外壁と床のタイルが砕け散る。破片が頰を叩いたが、アテナは逃げなかった。
発見されたか。……頭の隅で考えながら、大型の戦闘ヘリを照準機内に収めてトリガーを引いた。
――ドゥシュ――
ミサイルが飛び出した衝撃を感じる。想像していたほど激しいものではなかった。それよりも、敵の機関砲弾が作る圧がすごい。
ミサイルの発射装置を捨てて非常階段に向かった。刹那、ドンと足元が跳ね上がり、身体が浮いた。両脚が空を蹴り、前のめりに転んだ。
大型の戦闘ヘリが発射したミサイルがビルに直撃していた。壁面と床に亀裂が走る。
アテナは立ち上がり、全力で走った。彼女を追うように、裂け目が広がっていく。非常階段にたどり着いたころ、亀裂は彼女を追い越していて、非常階段も崩れ始めていた。
アテナは転倒し、転がり、立ち上がる。崩れ落ちる階段を駆け下り、再び転倒した。
――ヅオン……、爆音がして床が揺れる。アテナが落とした戦闘ヘリが大地に激突した衝撃だった。
頭上を無事だった戦闘ヘリが飛びすぎていく。
「クソッ!」
言葉を吐き捨てる。それは呪いではなく、自分への叱咤だ。
立ち上がると斜めになった手すりにつかまり、よろよろと歩いた。転倒した時に打ち付けたのだろう。全身がヒリヒリ痛む。
――ドドドドド――
戦闘ヘリの機関砲の乱射音ばかりが鼓膜を打った。
――ドドドドド――
それは、ビルふたつほど離れた独立記念公園辺りから聞こえた。ユウケイ民主国が大フチン帝国から独立した際、首長庁舎が大統領府に変わり、首長庁舎前広場が独立記念公園に変わっていた。
ビルも中ほどから下は無事で、アテナは再び駆け降りた。
2機の小型戦闘ヘリが、独立記念公園上空を旋回しながら周囲のビルにミサイルを放ち、物陰に潜むユウケイ軍の兵士に向かって機関砲を乱射していた。公園は砕けたコンクリートと立ち上る油煙にもうもうと包まれ、夕闇を濃くした。その中心部に大型の戦闘ヘリが1機下りて、8名の特殊部隊員を降ろした。
陸上に下りた隊員は、姿を潜めて公園に隣接する大統領府に向かった。戦闘ヘリは少し高度を下げ、機関砲を乱射。移動する隊員からユウケイ兵の意識を逸らした。
大通りから発射されたユウケイ軍のミサイルが、戦闘ヘリを1機、撃ち落とした。
残ったフチン軍の戦闘ヘリが急上昇する。
通りを独立記念公園に向かっていたアテナは、自分の目の前で急上昇する戦闘ヘリに向けて自動小銃を乱射した。命中したと思うのだが、それが落ちることはなく、頭上を飛び去った。
アテナは弾倉を取り換え、通りを渡って大統領府の正面に向かった。
広場の中央で戦闘ヘリの残骸が燃えていた。ヘリコプターが巻き上げた砂塵と火災の油煙が周囲を覆っている。
アテナは大統領府の8本ある石柱の左端に移動した。2本隣の柱の横に重機関銃陣地があって、公園の敵に向かって激しい攻撃を加えていた。黒煙の向こう側に敵の銃が発する火花が見える。敵の攻撃も、重機関銃に集中しているように見えた。陣地の土嚢が砂煙をあげ、大統領府の石柱が火花を発していた。
アテナは黒煙の向こう側の敵に銃口を向けた。が、引き金を引くのを躊躇った。――味方を撃つなよ。相手を確認しろ。――カールの声が脳裏を過っていた。
重機関銃陣地に眼をやる。陽が落ちていて射撃手の顔はわからない。土嚢の外側に遺体がひとつ転がっていた。腕に巻いた黄色い腕章はユウケイ軍のものだった。もう一度、重機関銃の射撃手に眼をやった。重機関銃が放つ閃光の元、赤い腕章が目に飛び込んだ。
「敵だ」
思わず息をのんだ。眼と鼻の先に敵がいるのが意外過ぎた。心臓がドキドキ鳴った。
落ち着け、自分。……自分に言い聞かせて深呼吸する。
闇の中の乱戦に乗じて大統領府に侵入するのが敵の作戦だったのだろう。戦闘ヘリに攻撃を集中している間に、味方の重機関銃陣地を奪われたのに違いない。……そう状況を分析すると気持ちが落ち着いた。
自動小銃の銃口を重機関銃の射撃手に向ける。ヘリコプターや装甲車を撃つのとはわけが違った。標的は生身の人間なのだ。殺すという覚悟が要った。
トリガーに当てた人差指に力を込める。
――タタタタタ……、音と火花が踊って、それまで火を噴いていた重機関銃が沈黙した。
闇の向こうから重機関銃に向けられていた攻撃が止む。それでも、どこか遠くで銃声はしていた。
人を殺した。今更何よ。戦闘ヘリを落としたでしょ。あれには10人は乗っていたはず。これまでだって、自分が撃った銃弾がどこかで人を殺していたかもしれないのよ。……頭の中で複数の自分が、人を殺した罪から逃れようと言い訳をしていた。
闇の中からユウケイの兵隊が現れる。大半が大統領府の中に駆け込んでいき、少数がアテナを取り囲んだ。
「よくやった。陣を奪われて苦戦していたところだった」
その声で、言い訳を言う自分の声が消えた。
「衛生兵!」
重機関銃陣地を確認した兵隊が声を上げた。駆けつける衛生兵。その後ろからアテナは自分が撃った現場を覗き込んだ。
ユウケイの守備兵は死んでいたが、彼を殺し、機関銃陣地を奪ったフチン兵は生きていた。懐中電灯の明かりの下で血の気のない顔をしていた。その灰色の眼がアテナを認め「女か……」と唇が動いた。
アテナは、彼が生きていたことにホッとしていた。
「女に撃たれたのが恥ずかしいの?」
話したその時、全身に痛みを覚えた。
彼は答えず、ただ顔をゆがめた。アテナと同じように。
衛生兵が彼の腕と脇腹の止血処理をした。
アテナは元いた柱の場所に移動し、崩れるように腰を落とした。経験したことのない痛みが全身を駆け巡る。息をするのも苦しく、目を閉じて痛みがおさまるのを待った。痛むのに、何故か意識が遠のいていく。
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