第12話 英雄 ⅱ
帰路、アテナは荷台にいた。長時間ウラジミールの遺体を前にしていても泣けなかった。それが後ろめたくて泣きたくなった。普段、軽口をたたくブロスが黙っているのもつらかった。
クリスに頼んで大統領の演説を聞かせてもらった。それを聞けば、泣けるような気がした。
――我々の13日間について話したい……。そう始まったのは、ドミトリー大統領がライス民主共和国に支援を求めるためにオンラインで行った、最も新しい演説だった。
――われわれが始めたわけでも望んだわけでもないのに、いまも続いている13日間の激しい戦争についてです。なぜなら私は、我々のユウケイ民主国を失いたくないのです。第二次世界大戦時、あなた方が国を失いたくなかったのと同じように……。
1日目の午前4時、ミサイルが飛んで来ました。子どもも老人も、ユウケイのすべての者が目を覚ましました。それ以来、私たちは本当の眠りを手に入れていません。
私たちは皆、武器を取り、そして大きな軍隊になりました。
2日目、私たちは空、陸、海での攻撃を撃退していました。
3日目、フチン軍は堂々と一般の人々や住居、商業施設にたいする攻撃を始めました。砲兵を使って。爆弾を使って。
今や、私たちに対するテロは大胆に行われています。都市に対して、小さな町に対して。……爆撃、爆撃、爆撃。……家、学校、病院。彼らの行為はジェノサイドといえるでしょう。
しかし、彼らが我々を
誰が人間で、誰が獣なのか。
国連の会合がありました。しかしそれは、我々にとって望ましい結果ではありませんでした。常任理事国の拒否権、あるいは中立、不干渉……。勇気がない。我々はそう感じました。
占領された南部の街で、武器を持たないユウケイの市民が抗議しました。フチン軍の装甲車を素手で止めながら。……封鎖された街で子どもが亡くなりました。脱水症状で……。彼らは市民に食料や水を与えません。市民は閉じ込められ、地下室に隠れています。聞こえていますよね、あそこで隠れている市民は水すら持っていないのです。これは恐ろしいことです。心が空っぽになりました。
我々は次のことに気付きました。ユウケイ国民は英雄になりました。何十万人もの人々が。全ての都市の子ども、大人、全員が……。
ライス民主共和国の皆さん。……生きるべきか、死ぬべきか?……あなた方はこのシェイクスピアの言葉をよく知っていると思います。13日前は、まだこの質問がユウケイに提起される可能性がありました。しかし今は違います。正解は、生きるべき、それひとつです。
人々は生存し、自由であるべきです。
フチン共和国は、我々の国土の都市や施設を無慈悲に攻撃しただけでなく、我々の価値観に対して、残忍な攻撃を仕掛けているのです。……人間の基本的な価値観に対して。我々の自由に対して、戦車とミサイルを投げつけてきました。
私たちが自分の国で自由に生き、私たち自身の将来を選択する権利に対して……。あなた方や世界中の普通の人々と同じように、私たちの幸福を望む気持ちに対して……。
我々はあきらめません。あなた方の助けを借りて、偉大な国家の文明の助けを借りて……。
私はここに、皆様のご支援を
偉大なユウケイに栄光あれ。
ライス民主共和国に栄光あれ――
アテナはウラジミールの入った遺体袋を前に、必死に思い出そうとしていた。彼と恋に落ち、家庭を作ったその日を。子供を授かり、笑いが増えたその日を。そこには豊かな愛があって、不安や貧乏さえ、生を紡ぐエネルギーだった。幸福の形だった、と思う。
そんな弱々しいエネルギーの固まりは、庶民の生活は、たった1発のミサイルで吹き飛んでしまった。娘や義父母の肉体と命だけでなく、未来や愛までもこの世から消え去ってしまった。
今度は、夫の命の灯が消えた。
――ユウケイに栄光あれ……、そんな言葉が何を生み出すのだろう。
演説に真剣に耳を傾けても、繰り返し3度聞いても、結局、アテナの目から涙がこぼれることはなかった。身体の中が空っぽだからだ、と思った。
セントバーグに着くまで、魂を失った遺体と、空っぽになった自分が向き合っていた。
彼の遺体は数日後、セントバーグの〝英雄墓地〟に葬られた。その時も、涙がこぼれることはなかった。
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