第11話 英雄 ⅰ

 その日は補給基地に戻って荷物を積み、首都の南側を迂回して東部戦線に向かった。


 フチン共和国の国境に近い東部では、侵略された当初から長く激しい戦闘が続いている。初めこそ兵器で優勢なフチン軍に押され気味だったものの、敵がユウケイ国内部に深く進軍して補給線が延びると、ユウケイ軍は彼らの背後に回り込んでしばしば補給部隊を撃破、敵の士気をくじいて敗走させていた。


 最前線の勇士たちの基地は進行するフチン軍の脇腹にあたるような場所にあって、そこに荷物を運ぶのは命懸けだった。実際、そこに荷物を運ぶことになったのが、それまで担当していた部隊に死傷者が多く、残ったメンバーも疲労で限界にあったからだ。


 アテナは運転手を買って出た。トラックのハンドルを握るのは、その日が3度目だった。運転席は正面からの銃撃にもさらされるので、死傷する確率が高い。しかし、自分の手で自分の人生が選べるようで、周囲が見えない荷台の箱の中でじっとしているよりアテナの性に合っていた。


 4台のトラックは、林の中の凍結した細道を、幼児のようにヨタヨタと、かつ全力で走った。


「運転手をしようなんてもの好きだな」


 助手席でナビゲートするカールの声にむずがゆいものを感じた。


 目の前に延びる道は小さな村と村をつなぐ脇道で、的確なナビがなければ森に迷ってしまうだろう。雪に覆われた非舗装の道には、いたるところに穴があって、ともすればハンドルを取られ、車体はあらぬ方向に滑った。


「カールだって、いつも敵の目にさらされているじゃないですか」


「俺は小隊長だからな。仕方がないさ。オッと、大事な仕事を忘れていた」


 彼は冗談めかして言うと無線機を取り出して本部と連絡を取った。


「……なるほど。障害は見当たらないのだな。……うむ、……了解」


「敵影はないということですね?」


「そうだ。このまま突っ走れ」


 彼の言葉に苦笑が漏れる。突っ走れるような平坦な道ではない。


「敵がいないって、その情報、信じてもいいのですか?」


 いつもアテナは不思議に思っていた。カールがフチン軍の隙間を縫うように、道を選択することに。運転手を買って出るようになって初めて、それが本部から提供される情報に基づくものだと知った。


「友好国から提供された衛星画像、敵の通信情報、民間人のドローンが撮影した映像情報。それらを分析して得られた結果だ。90%間違いない」


「10%は外れるということですね」


「その時は、自分の力で運命を切り開け」


「了解」


 アテナはアクセルを踏み込んだ。


 カールが腕時計に目を落とす。


「まもなく味方の攻撃が始まる。国道に車列を作って停車するのだから、フチンも呑気なものだな」


 彼が言うのは、アテナたちの輸送部隊から目をそらすための陽動作戦のことだった。


「ユウケイ軍など歯牙にもかけないというおごりです」


「そういうことだ。おかげで我々は対等に戦えている」


「対等でしょうか……」


 核兵器のことが脳裏を過った。ハンドル操作を誤り、後輪が大きな穴に落ちてトラックが大きく弾んだ。


「テッ……」


 話そうとしたカールが舌を噛んだ。


「すみません。うっかり……」


「アテナのせいじゃない。戦争のせいだ」


 彼が真顔で言った。


 ――ドーン――


 国道のはるか東で爆発音がした。味方の対戦車ミサイルが火を噴いたのだ。狙われたのが戦車か装甲車か、あるいは輸送トラックなのかはわからない。いずれにしても、車列の後方を攻撃されたことで敵の軍団は動揺するに違いなかった。攻撃を受けた場所より前方の部隊が取り残され、後方だけが撤退してしまうようなことが度々みられていた。


「予定通り始まったな……」カールが時計に目をやる。「……戦闘が終わる前に前線基地に滑り込めそうだ」


「はい」


 自分の気持ちを引き締めるために返事をした。道路の起伏に眼をこらし、泥濘ぬかるみやへこみにはまらないように慎重に、かつ早く走らせる。そうして20分ほどで前線基地に着いた。


『到着、作業にかかれ』


 カールが命じるのと、塹壕ざんごうの中から守備要員が飛び出してくるのが同時だった。守備要員は5人いて、弾薬を歓迎して笑った。遠くで砲声が轟いていた。


 アテナたちは彼らと協力して弾薬と食料を降ろした。


 荷物を降ろしていると、銃声が徐々に近づいてくる。


『荷卸しを急げ、敵が接近している』


 インカムからカールの声がした。守備要員は荷下ろしをやめ、武器を取って林の中に走った。


『ここがばれたのか?』


『そうならミサイルか砲弾が飛んでくる。発見された自軍が押されているのだろう。とにかく仕事を終わらせろ』


 ミハイルにカールが答えていた。


 アテナはいつものように荷台の荷物を後部まで運んだ。


 林の中から轟く交戦音に、背中を押されているような心持だ。仕事が終わったら、ここから離脱するのか、戦闘に加わるのか、そんなことを考えていた。


 ――ガンガン……、流れ弾が車体にあたり、ドラム缶を叩くような音がした。アテナは身をすくめ、クリスは「ヒッ」と不思議な声をもらして座り込んだ。


『急げ』


『こっちは終わった』


『ヨッシ、応戦用意。味方を撃つなよ。相手を確認しろ』


『任せろ』


 インカムを声が飛び交った。そうした声を聞いているうちに、アテナの作業も終わった。


 自動小銃を取るとカールに従い、クリスと共に戦場へ向かう。心臓のバグバグ鳴る音が、銃声より大きく聞こえた。


 それは100メートルと離れていなかった。雪と木立がつくる縞模様しまもようの世界が戦場だった。林のあちらこちらで自動小銃の音がして、樹木や地面に弾丸があたるのだが、どこに敵がいるのかわからない。


 大樹の陰に敵を窺うブロスの背中があって、3人は隣に伏せた。落ち着いて見ると、右側の立木の陰に仲間が展開しているのがわかった。


「ブロス、戦況は?」


「よくわかりません」


 彼は正直だった。


「2人を頼む」


 カールが対戦車ロケット砲を背負い直して左翼に移動した。アテナはカールについて行きたかった。ブロスより信頼できるからだ。が、カールの命令なのでそこに残った。


「俺の指示があるまで撃つなよ」


 ブロスの声に、うなずいて応じた。


 しばらくすると左翼の前方で激しい爆発音がした。わずかに油の焼ける臭いが漂ってくる。すると敵の発砲音が止んだ。


 頭を上げて見たが、敵が撃ってくる気配はなかった。


『撤退したようだな』


 ミハイルの声がした。


 トラックに戻るようにカールの命令があったのは、10分も過ぎてからのことだった。それまでに東部戦線の兵隊がぞろぞろと戻ってきた。皆疲れた顔をしていて、怪我人や戦死者を運ぶ者もいた。


 アテナたちがトラックに戻ると、基地内で指揮にあたっていた中佐が姿を見せた。彼はミハイルやブロスに握手を求めた。


「お宅の中尉さんはすごいな。我が部隊に欲しいところだ」


 彼の言うことがわからずミハイルが説明を求めると、カールが国道付近まで進み、敵の給油車両を破壊したということだった。それで敵の歩兵が引き返したらしい。


 ほどなくカールが戻ってくると、中佐は「英雄」と讃えて彼にウイスキーを振る舞った。もちろん、他の輸送隊員にもだ。


 アテナは運転手なので酒は断った。代わりに熱いコーヒーをもらい、それを飲みながら運ばれてくる戦死者を見ていた。それが帰りの積荷だ。遺体は4体あった。


「ウラジミール?」


 遺体の中に夫の顔を見つけてコーヒーカップを落とした。近づいて確認すると、彼の身体には弾痕が5個あった。


「知り合いなのか?」


「夫です」


 アテナはミールの教会で見た、怒りで紅潮した彼の顔を思い出した。それが今は土色をしている。


「そうか。ウラジミールは祖国に命を捧げた。英雄だよ」


 夫の遺体を運んできた兵隊がふたり、同情に満ちた表情を作った。


「英雄ですか……」


 その言葉に喜んでいいのか、悲しむべきなのか、心の置き場がなかった。


 アテナの伴侶が戦死した話はすぐにカールに伝わった。ほどなく輸送部隊の仲間が集まってきて彼女を慰めた。


「私なら大丈夫です」


 ウラジミールの遺体をトラックに運んで見せようと、遺体の肩に手を掛けた。


「ここは、みんなに任せろ」


 カールに肩を抑えられた。


 アテナは遺体をその場に下ろし、今度は運転席に乗り込んでエンジンをかけた。


「止めろ」


 カールが腕を伸ばしてエンジンを止めた。


「じっとしていられません。何かしていた方が……」


「ここは戦場だ。皆の命がかかっている。俺は小隊長として、判断力が鈍ったアテナに運転を任せるわけにはいかない。運転はミハイルがする」


 はっきり言われると抗しようがなかった。仕方なくハンドルから離れた。

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