第10話 勝敗を分けるもの
フチン軍は東と北、西の3方向から首都を取り囲むように展開していたが、その動きは5日前から亀の歩みのようだった。止っているといってもいい。ユウケイ軍が押し留めているともいえるが、敵の補給が追い付いていない可能性もあった。
とはいえ、その距離は街の中心部から15キロほどしか離れていない。うかうかしていたら、一気になだれ込んでくるだろう。あるいは完全に包囲されて籠城戦のような展開にもなりかねない。それに備えて弾薬や食料の備蓄が必要だった。
その日アテナの部隊は、郊外の補給基地から首都セントバーグ中心部の地下倉庫へ弾薬を運び込み、そこで夜を迎えた。
――ウーン、ウーン……、深夜、空襲警報が鳴った。
「まただね」
目覚めたクリスが天井を見上げる。
「爆撃に慣れるなんて、困ったものね」
アテナが答えた時だ。――ドドーン……、爆裂音がして部屋が揺れた。
「ミサイルだ。近い……」
2人は手袋をはめ、懐中電灯とヘルメットを手にして地上へでた。
「あそこ。マンションがやられたわ」
クリスに教えられるまでもなく、15階建ての建物の中ほどから真っ赤な炎が噴き出しているのが見えた。軍用車両が燃え上がる炎は見慣れたが、マンションが燃えるのには胸が痛んだ。
「まだ下にいろ。消火や救助のために人が集まったところに撃ち込んでくるのが奴らの戦術だ」
注意を促すミハイルに、クリスが抗議する。
「それはわかるけど、目の前で燃えているのよ」
――ドドーン……、2発目は大統領府の向こう側、数キロ先に落ちた。今回は同じ場所を狙わなかったようだ。
「ヨシ、救護に行くぞ」
背後からカールの声がした。
アテナたちは、民間人の救助のために燃えるマンションに向かって走った。彼らを消防車が追い越していく。
3発目は市民ホール辺りに落ちたのだろう。アテナは音だけを聞いた。
マンションの前には火を消そうとする消防隊員が多数いて、離れた場所には逃げ出した民間人がいた。首都に住む多くの人は国外や地方に脱出したか、あるいは地下壕に避難しているのだが、自分の家を離れられない人がいるのも現実だった。
逃げ遅れている住人がいるかもしれない。アテナたちはマンションに入った。懐中電灯の明かりを頼りに手分けして捜索に走る。
アテナは、カールと組んで15階まで上った。上りきった頃には膝ががくがくした。
「誰かいませんか!」
声をかけながら暗闇を歩き、鍵の開いている部屋は中をのぞき、鍵がかかっているドアは叩いて中の反応を確認した。
『9階で生存者1、死者1。連れて降りる』
インカムにデニスの声がした。
『3階で老人を救助』
クリスの声だった。
『了解、15,14階は無人だ』
カールが応じた。
ミサイルが命中した7階と8階は、炎と瓦礫で入り込めるような状態ではなかった。
可能な範囲を確認し終えてマンションを出ると、避難者は倍ほどに増えていた。地下壕から出てきた者もいるようだ。医師と看護師もいて、怪我人の手当てを行っていた。
「あれは……」
カールが怪我人に話しかけている軍人を見て目を細めた。「あなたたちは英雄ですよ」そんな声が聞こえる。アテナと同じ志願兵なのか、華奢な体格の軍人だった。その周囲に3人、盾のような体格の良い軍人がいるが、彼らはただ立っているだけだ。
「知っている人ですか?」
「アテナだって知っているだろう」
「え?」
改めて華奢な軍人を見直す。薄暗いために顔はわからなかった。彼はさっきと別な怪我人と話している。治療はしていないから、軍医ではない。気づいたのは軍服に階級章がないことだった。彼を囲む軍人のものも同じだった。
「まさか……」
「ああ、大統領だと思うぞ」
「危なくないですか? スナイパーが潜入していたら……」
戦いが始まる前に、首都セントバークにフチン軍のスナイパーが潜入した、という憶測があった。アテナは周囲のビルを見回した。どの窓も真っ暗だが、そこからスナイパーが狙っているかもしれない。
「大丈夫さ。君だって彼が大統領だと気づかなかったんだ。スナイパーも気づかないだろう」
「そんな……」
恥ずかしいというか、後ろめたい気持ちだ。以前は信頼していなかった大統領が、いつの間にか身近な大切な人になっていた。改めて市民を励ます彼に眼をやる。顔が見えた、そんな気がした。胸が熱くなった。
カールは大統領の邪魔をしないように離れた場所に移動して部下を招集した。
「今日は3発で終わりか?」
やって来たブロスがマンションを見上げる。鎮火していたが、まだ煙が立ち上っていた。
「軍事国家フチンのミサイルにも、在庫に限りがあるだろう」
ミハイルが笑った。
「弾薬不足はお互い様だ。フチンは我々を眠らせないつもりだろう。そうやって精神的に追い詰めるつもりなのだ」
カールが大統領の周囲で座り込んでいる市民を
疲れているのは市民だけではなかった。兵隊も消防隊員も、医師や看護師も同じだ。それでも大統領の言葉に励まされ、祖国を守るという決意を支えに明日を見ているのだ。
「まあ、疲れているのはフチン軍も一緒だ。勝敗を分けるのは、人間の意志とそれから……」
カールは言葉をのみこんだ。そして犬でも追うように、パンパンと手を打った。
「……さあ、撤収だ。しばらくしたら、また爆撃されるだろう。それまで帰って寝るぞ。体力の回復も重要な任務だ」
彼は先頭になって歩き始めた。
「それから、何?」
アテナはカールの横に並んで訊いた。すると背後からミハイルの声がした。
「核兵器を使うかどうか、というところだろう」
「ミハイル、イワンは使うと思う?」
振り返って尋ねた。……何万人、何十万人もの人を自分の意思で殺すなんて、自分ならできない。
「核兵器は、使えない兵器だ。そう言われている」
彼の意見にホッとする。するとカールが口を開いた。
「フチン軍がセントバーグを囲んで前進しないのが、作戦だったらどうだ?」
「進まないのが作戦?」
「真中に核を打ち込むと考えているのか?」
ミハイルが驚きの声を上げた。
「核とは限らない。化学兵器、生物兵器……、一気に戦況を変えられる兵器は様々だ。それらを打ち込み、こちらの戦力が落ちた後に、陸上部隊が進んでくる可能性もある。もちろん、常人なら、そんなことはしないだろう。そうした兵器の使用は明らかな戦争犯罪だ」
カールのもの言いは教師のようだった。
「核兵器以外にも、厄介な物もあるのね」
アテナは全身から力が抜けてしまう思いがした。
「防毒マスクは煙の中を歩くためだけにあるんじゃないぞ。生き残りたいなら、よく勉強しておくんだな。戦いが始まる前、フチンは侵略戦争には踏み切らないだろう、と世界中の多くの政治家やメディア、学者が予想していた。しかし、イワンは始めた。これからだって、何があるかわからない」
「生き残りたいなら、志願しなかったわ。死んでも守りたいものがあるからここにいるのよ」
「なるほど。その気持ちは大切だ。みんな同じだろう。ただ無駄死にはするな」
カールは足を止め、部下の顔を見まわした。
「彼は常人?」
クリスが訊いた。
「わかるはずがないだろう。会ったことも話したこともない相手だ。しかし、彼が核のボタンを押したとしても、別の誰かは押さない。そう願うね」
カールが言うのは、核兵器のセキュリティーのことだった。昔から、核の発射ボタンを狂人が押してしまう可能性について論じられていた。そのために、複数の責任者が承認して初めて、核兵器は使われることになっている。
「でも、独裁国家なのよ。彼に従わなければ、自分が殺される。そう思ったら、その誰かだってボタンを押してしまうんじゃない?」
クリスが粘った。
「人間は弱いものだからな。それを責めるわけにはいかないだろう」
カールが苦笑した。
「たとえイワンが狂人だって使うはずがないさ。核戦争になったら、自分だって死ぬかもしれないんだ。いや、確実に死ぬ。人類が死滅する可能性だってある。そんな決断を、出来ると思うか? 俺にはできないなぁ」
ブロスが呆れたような声を上げた。
「そうさ。たとえイワンが老人で、自分は死ぬ覚悟があったとしても、愛する家族は巻き込めないものさ」
カールの声は沈んでいた。
「家族がなかったら? たとえあったとしても、愛していなかったら? あるいは、とても孤独で愛を信じられない人間だったら……」
話しながらアテナは、それは自分のことかもしれないと思った。
返事がほしかったが、カールは何も答えてくれなかった。少し顔を歪めただけで歩き始めた。
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