第6話 口を噤む
想像してみてほしい。AさんとBさんが会話をしている風景を。
A「昨晩は満月だったね」
B「いやいや、昨日は新月さ」
さて、この意見の割れた会話を聞いた時、あなたならどちらを信じるだろうか。勿論、月が満月になる確率と新月になる確率は同じだ。あなたはここ最近、ビルの谷間から見える鋭利な空を眺めることはあれど、月ほどの風情は感じていない。つまり、昨日の月の形状を予測できない状態だ。
この場合、AかBのどちらかの意見を信じる以外にあなたは今日の月の形をスケッチできない。いや、スケッチなどしなくていい、というのはここでは触れないでおこう。
これでは埒が明かないので、もう少しだけAさんとBさんの会話を聞いてみよう。
A「君は、本当に月を見たのかい?あれを新月というのは、無理があると思うんだけれど」
B「はあ、そんなの当たり前じゃあないか。目に写ったもの以外、僕は信じたりしないね。それに、昨日の新聞には新月だと載っていたじゃないか」
A「僕は新聞を取ってないんだ。だけれど、僕は確かにこの目で見たんだ」
AさんとBさんは、意見が対立していて拮抗状態です。このまま話をさせても、喧嘩になりかねない。意見が対立する、ということはどちらかが誤解、もしくは嘘をついているのではないか。あなたは自然にそう考えるかもしれない。しかし、どうだろうか。どちらも正しいことを言っている可能性だって捨てきれない。
例えば、Aさんの住んでいる星は火星で、Bさんの住んでいる星は木星かもしれない。私は火星や木星に衛星があるかどうか知らないし、きっとあなたも知らないだろう。だから、A星とB星とか、適当な名前だっていい。現存する名前を使うと、かえって誤解を招くかも知れない。要するに、A星の月は満月で、B星の月は新月なのかも知れない。それを地球の学校にて話しているだけかも知れない。
少し話がぶっ飛んでいるかも知れない。さて、両者の意見だけで推理するのはもう少し二人に会話をさせるか、第三者の証言を織り交ぜるべきだと私は思うんだ。私のおすすめは、第三者の意見だね。二人はこのままでは喧嘩をしてしまう。
あなたに選択権はないよ。これは私の一人語りで、あなたの入る隙なんてないんだから。では、ご精読あれ。
C「二人の話を聞いて、僕はBの意見を推すね。勿論、証拠なんて見つけられないけれどね。Aは普段から冗談で変なことを言うやつでね、信用問題になるなら、Bの方が信じられる」
Cさんからの意見は貴重なものだよ。これは、AさんのこともBさんのことも知らないあなたにとって、信頼度という新たな視点を与えてくれた。
Cさんの話を鵜呑みにするなら、Aさんは冗談を言うらしい。言い換えれば嘘と言ってもいい。私個人としては、嘘というのは人生のスパイスとして欠かせないもので、人間の面白い一面だと思うのだが。世間はそれを拒絶しているからね、全くつまらない。嘘をつくことで、我々は一時的にスーパーマンにだってなれると言うのに。
まあ、何はともあれAさんの信頼度はそんなに高くない、と言う意見を得られた。うーむ、これはどうやらBさんの言っていることの方が信憑星が増したようにも見えるね。あなたはどう思う?私がそう言うなら、裏を読んでBは嘘をついているんじゃないか、と考えているかい?正しい判断さ。BさんもCさんも、それに私だって結託してAさんを陥れているかもしれないからね。では、こんな意見を混ぜ込んでみよう。
D「AさんのこともBさんのことも知らないけれど、Cのことはよく知ってる。Cはああ言っているけれど、Cもよく嘘をつくんだ。だからね、僕個人としてはBさんが間違っていると思うね」
やれやれ、これだけ登場人物を増やしてしまうと、いよいよなんだか見慣れた思考ゲームみたいだね。嘘つきは誰?とか、そんなようなやつ。
しかしDさんの登場は、これまでの考えをフラットにさせるものさ。もし、Dさんを信じるのであればCさんは嘘つき常習犯ということになる。しかし、Dさんが嘘をついていない保証なんてない。信頼度、なんてものはなんの根拠にもならないってことかも知れないね。
なんだか、こんがらがってきたね、それに疲れた。
ああ、そうだ。実はここにはちょうど一週間前の新聞があるんだ。知っているかい?新聞には月の形を載せているものがあるんだ。ほら、ここのページさ。
あなたにはどうも見せれそうにないから、僕が形を教えてあげるよ。
えーと…。うん、半月だ
え、満月にしろ新月にしろ一週間前は半月だって?そんなこと、私は知らないよ。私は正解を出せない。そんなことわかりきっているだろう?あなたが自問自答をいくらしたって、AさんとBさん、どちらが正解かなんてわかりっこないんだ。結局、信じるほかないのさ。
信じることしかできない分際で、どちらが正しいなんて言い切る人間になっちゃダメだよ。わからないのであれば、口を閉じるべきさ。
まあ、CさんとDさんに喋らせたのは私だから、強くは言えないけどね。
でもね、これは本当に大切なことなんだ。あなたはどちらが正しいかわからない、決めろと言われればなんとなくの雰囲気で選んでしまうかも知れない。こっちじゃないかな、の思考で選んで当たれば「言ったじゃないか」と豪語して、外れれば「そんなのわからなかった」と言って片付けてしまう。本人はそれでいいかも知れないが、正しいことを言ったのに、「君は間違っている」と否定された人間はどう思うだろうか。
あなたが考えるべきは本来、そこなんじゃないか。
あなたがスケッチする昨晩の月は、あなたの判断で決めてほしい。
私かい?私は、そうだな。新月を描くかな。描きやすいだろうしね。
ああ、それと最後に。今回、実は私はAさんとBさん、どちらが正しいことを言っているのか、なんとなくわかっているんだ。勿論、100%なんてものはこの世界に存在しないけどね。
だからこそ、私はそれをあなたには教えないでおくよ。
口を噤むべきだからね。
徒然なるままに 花摘 香 @Hanatani-Kaori
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