第2話 出会いの季節

「それでな……っておい、聞いてるのか?」

 無論、何も聞いてなどいない。先ほどから小一時間にもわたって繰り広げられている、水より薄い男の自慢話など、一体どれほど聞いていられようか。少なくとも私は数分も持たなかった。五分を過ぎたあたりから、ただニコニコと笑い頷くだけのゆらゆらソーラーと化している。その実、私の集中力は男の背後に座っている、或いは私の視界の隅に座っている女性へと吸い込まれていた。何故、意識がそちらに向いたのかは明白だった。彼女の座る姿勢が、牡丹の如き美しさを有していたのだ。だからこそ彼女の立つところ、歩くところを一目見ようと、目を見張っていたのだ。それが良くなかったのだろう。とうとう自慢話に花を咲かせていた男が、私の無関心さに気が付いてしまった。

「ええ、まあ、聞いてはいましたよ」

「ほんとか?じゃあ、何の話をしていたか言ってみろ」

 冗談じゃない。こいつはただ自慢をするだけに飽き足らず、聞いていたかの確認テストまでさせてくるのだ。全く、とてつもなく面倒くさい。自慢話にはユーモアが必要なのだ。その欠片のひとつでも身に付けてから話したまえ!そう言ってしまえれば、苦労はしない。しかし、私とこの男は、先輩と後輩の関係。勿論、私が後者である。要するに、私はいまこの男をおだてて木に登らせるという重大な任務の最中だった。

「ええと、先日ファミレスで女の子三人に言い寄られた、でしたっけ」

「おお、そうだ。何だ、ちゃんと聞いているじゃないか」

「はは……」

「まあ、貴君のように魅力の欠片もない男には縁遠い話かもしれんがな」

 男は大魔王のような邪悪な笑いを、店中に轟かせている。私は一秒でも早くこの歩く騒音機を止めなければと必死ではあったが、馬鹿にしている対象が私では、何を言ったところで妬みだとそう言われるに違いない。一体全体、この男のどこに魅力が詰まっているのだろうか。どこからどう見たところでスポンジのような、捉えどころのないスカスカな男ではないか。きっと顔なのだろう。この男、顔だけはそれなりにハンサムなのだ。それが余計に癪に障る。こんなスポンジに魅力という観点から物を言われるのは、何とも腹立たしいことであった。しかし、確かに。私におよそ魅力と呼べるものがないことだけは正しかった。

 故に私は腰を抜かすほどに驚いた。先ほどの牡丹は芍薬となり、遂には百合の花となると私の前にすらっと綺麗な姿勢で咲き誇ったのだ。

「ねえ、君。この後のご予定は?」

 驚く暇もなく、スポンジが答えた。

「ああ、この後かい?ちょうど暇をしていたのだよ!なんだい、君は僕に気があるのかい?全く、罪づくりな男だよ俺は」

 嗚呼、罪づくりな男だよ。この男は、いつだって大罪を犯している。

「強欲で傲慢ですものね」

 彼女は、笑顔でそう男に告げた。私が心の内で思ったことを、彼女が口にした。それだけでなんだか嬉しくなった。

「あぇ……?」

 何が何だかわからない、といった様子でたじろぐ男に追撃するかのように彼女は続けた。

「私はこの意味が理解できるユーモアのある人とお話がしてみたいと、そう言っているのです」

 そう言いながら、彼女の双眸がこちらを向いた。さながら、悪い魔王に捕らえられた姫を迎えに来た勇者の眼だ。無論、私に対しての恋心など、彼女には一切ないのは理解していた。しかし、それでも私は、出会ってまだ一言も会話をしていない、名前も知らぬこの女性に焦がれた。

 季節は秋。啓蟄はまだ先だというのに、とても暖かい気候に私は攫われた。

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