第5話 社長のデート

 次の日、職員会議の結果として、恋愛相談所を続行してよし、と告げられた。


「あいつは転職マニアなのよ」

 保池が会社を移った理由を、皆にそう伝えた。その後も活動は順調で、登録者はますます増え、どうやら実習終了までデートコースの作成で忙しい日々が続きそうである。今日も社員五人が下見に出かけ、パソコン室にいるのは佐代子と響子だけだ。

「サヨ、元気ないね。デートでもしてみたら?」

 響子が登録者をパソコンに入力する手を休めて、いたずらっぽく言った。

「まっさか」

 いなしかけて、頭にふいと保池の顔が浮かぶと、申込書をひっつかんだ。

「私も一度は体験しとかなくちゃね!」

「そうこなくっちゃ。生年月日20XX年、七月二十日、血液型O型っと」

 響子は佐代子が書く側から入力している。

「出た出た。相性点数が最高なのは……八十五点、工業科一年の子だわ」

「うわ、年下?」

「何よ。年なんか考慮してたら商売成り立たないって豪語したのは、サヨでしょ」

 そうだった。全て自業自得な気がして、佐代子はおとなしくデートをすることにした。


「玉野センパイ、おはようございます…」

 土曜日。待ち合わせの公園にやってきたのは、すらりと背が高く肌のきれいな一年生だ。秋の風が彼の大きなプルオーバーの裾をはためかせている。

「まさか恋愛相談所の社長さんに当たるとは。運がいいのか悪いのか。まさか他に相手が見つからなくて駆り出されたんじゃないっすよね」

 少し気後れしているようだ。

「違います。私がデートしたくて…占ったら、山野君が一番相性が良かったの。今日はよろしくお願いします」

「ああっ、はいっ、よろしくです!」

 相性占いも馬鹿にしたものではない。地図に描かれたパンの絵や、鳥居、電信柱の広告の文字、それらを頼りに、あっちですよ、違うわこっちよ、と言い合いながら進むのは普通に楽しかった。


 ゴールの「額縁とコーヒーカップの絵」は、美術館に付属した喫茶店のことだった。客層が落ち着いた大人ばかりだ。

「うわー、俺、こんな洒落た喫茶店、初めて入る。それも女の子と二人で!緊張するう」

「私も」

 ぎくしゃくと飲み物をオーダーして、ふたりで縮こまってすすった。

「ちょっと、高校生には場違いってかんじっすけど、こんなことでもないと一生入らなかったろうな。とにかく今日は、楽しかったです」

「ほんと。今日はありがとう!」

 次のデートを約束する雰囲気ではなかったが、それで良かった。皆こんな気楽で新鮮な体験にわくわくしてくれたのだろうと思うと、自慢したいくらいだ。

 ひとりじゃできなかったけど…… またしてもあのおやじ顔が頭に浮かび、胸がずきりとする。

 駅で別れて、彼の背中を見送った。保池の背中を見送った時のようなさみしさは感じなかった。変よね。わざと不思議がってみる。


「相性ぴったりのお相手は、どうだった?」

 はっと振り向いた佐代子は、頭の中にいた男の実体を見て、とっさに背を向けた。

「どうしてここにいるの」

「昔の同僚からの情報で」

「まさか、つけてたの?」

 沈黙。しかたなく振り向いた。変装のつもりか、似合わないパンクなジャンパーを着た保池は口をへの字に結んでいる。そういえばこの蛍光緑、一日中視界の隅にちらついていたような気もする。


「実地調査だか、市場調査だか知らないけどさ、もうデートなんかするなよ」彼の頬に血の気がさし、「他の奴と」ぼそっと付け足した。

 佐代子は口がきけなかった。憎らしいのに、ずっと頭から離れなかった。好きになってしまったのだとわかっていた。だから許せなかった。ただつっ立っている佐代子に、保池が右手を差し出す。また握手かと思いきや、手首を捕まれて引き寄せられ、頬に乱暴にキスされた。

「あの時もこうしたかったんだ」

 耳の上で声が響き、保池の体は熱が感じられるほど近くにあった。頬に当たったつんととがった鼻先と、柔らかい唇の感触が、さざなみのように押し寄せてきた。

「う……うきゃあ」

 無様な叫びを上げて手を振り払い、二、三歩飛びのく。頭が沸騰して口の中で意味の無い言葉を唱えるだけだ。

 しまいには不憫に思ったらしい保池が、落ち着けといったしぐさで肩に手を置いてきた。

「タマちゃんは本当、かわいいな。頼むから、デートは俺だけとって約束してくれないかな」

 佐代子はうらめしく保池の落ち着いた顔を睨んだ。だが、よく見れば彼の口元は緊張し、無理に余裕の微笑みを作っているのがばればれなのである。それで、小さく深呼吸し、ゆっくり、頭を縦に振ったのだった。



 ゴールデンビジネス賞は「恋愛相談所」でも、保池の「投資会社」でもなく、期末テストのヤマを売りまくり、そこに広告を載せて広告費も稼いだ「広告会社」にさらわれた。最後に保池がてこいれした会社だった。


 今日は表彰式である。体育館に設営された表彰台のまわりを商業科のみならず他の科の生徒も三三五五取り囲んでいる。 佐代子と保池は人垣の後ろで肩を並べていた。

「少なくとも、そっちの会社じゃなくてよかったわ」

「ああー残念無念。ちょっとてこいれしすぎた。タマちゃんの所を出てから調子が狂っちまって。俺、テストのヤマまで作ったんだ」

 バカね、とささやくと、保池は、顔に「絶望の縦線」を入れて、佐代子を笑わせた。

「はあ。これで社長も終わりね。次に社長って呼ばれるのはいつだろう」

「ま、のんびりやるさ。なによりタマちゃんの会社がプロデュースしたデートの思い出は、みんなの記憶に残ると思うよ」

 保池が実感をこめた声で言い、胸がじんとした。


 記憶に残る……か。それも悪くないかな。大きくて暖かな手が佐代子の手を上から包み、佐代子は保池の手をぎゅっと握り返した。

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宝石は地上に落ちている 古都瀬しゅう @shuko_seto

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