第14話 勘違い

 その次の日。

 いつもの公園のベンチで。


『別れようって……なんで?』


 私は十年以上経って今さら、天愛司の本質を垣間見ることになる。


『ううん、はるかさんは僕の恋人じゃなくて、友達だよ。恋人は叶多がいるじゃん。』

『はるかさんはね、誰にも愛してもらえないんだって。お父さんにも、お母さんにも。友達も一人もいなくて、みんないじめる人ばっかりだって――』


 司は自分のことみたいに、悲しそうに言った。


『だからはるかさん――死のうとしてた。それを僕が止めたんだ。』

『仲良くって――キスするくらい?』

『……え?ああ、どっかで見たの?』


 なんでもないことのようにそう言ってから、司は一瞬、「あれ、なんかこれまずい?」みたいな顔はした。でも、その顔から罪悪感はみじんも感じられなかった。


『あ、もしかして誤解してる?別に僕たち、付き合ってはないよ。』


司は笑いながら言った。

 

 あまりにも間違いすぎていて、もはや指摘のしようがないようなズレた答えだった。誤解も何もない、堂々と『付き合って』なければいい訳じゃない、『僕たち』ってなんでそんな言い方するの、分かってるはずでしょ、分かんないはずない……。


 でも、司はわかってなかった。


 私は当然の権利として、司を責めた。


 司はそれでようやく、私の言っていることを理解した。

 それで、キスは向こうから急にされたって弁明したけど、私はまだ信じられなかった。

 

 私は怒りと恐怖に突き動かされていた。司にもっと、動揺して欲しかった。いっそ突きはなしてくれてもいい。なんでもいいから、手ごたえが欲しかった。私の激情がちゃんと司にのしかかって、同じように苦しんでもらえたっていう効能感が――


 ……でも、無駄だった。


 司はあくまで冷徹に私を説得しようとした。しかもそれは、文脈を無視して言葉面だけ見ると、ものすごくまともなことを言っているみたいだった。


『まぎらわしいことをして、嫌な気持ちにさせて悪かった』

『配慮が足りなかった』

『これからは気を付ける』

『でもどうしても嫌なら、許してもらおうなんて思わない』

『僕のことが嫌いになったなら、それでもいい』

『叶多が決めることだから、僕は何も主張しない』


 違う、違う、違う違う違う違う――!!!


 言っている事には到底納得できなかった。理不尽だと思った。許せなかった。でも――司の顔を見ていると、その反省と誠実さだけは、本物だと認めざるを得なかった。


 私は――司のことを嫌いになんか、なれなかった。でもそれが、どうしようもなく弱みを握られたような感じがして、嫌だった。


 私は、司の気持ちを支配できないのに――私は、一方的に振り回されている。


 馬鹿みたいだった。


 だから私は、せめて何かを彼に課して優位に立とうとした。


 散々泣いて怒って、ようやく落ち着き始めたころ。


 私は『お互いの信頼のために、もうあの人にはもう近づかないで』と言った。『さもないと、別れてやる』って。


 きっとその時の私はまだ、司だって、私に恋をしてるんだと、そう思い込みたがっていた。

 

 少しでもいいから、彼にそう言う熱情を、苦しみを見出したかった。

 

 司が私を失いそうになって焦っているところが、見たかった。


 でも――その瞬間、司の表情が消えて、


『――それはできないよ。』


そう、不意打ちのように言い放った。


『はるかさんが死んじゃうから。』


 はるかさんを助けられるのは、僕しかいないんだから。


 私は絶句した。


 その瞬間、私は怒りすら覚えなかった。


 ただただ、驚いて、困惑した。


 …………意味が、分からなかった。


 そして、私は――なんだろう。無知で無垢な司を、教育してあげよう、とでも思ったんだろうか。


『何、その……言い訳。』


 言い訳じゃないってことは、頭のどこかで分かっていた。


 でも、それを認める方が、よっぽど恐かった。


 恐かった――この目の前の、訳の分からない異常な存在が。


『言い訳じゃない、本当なんだ。あの人はもう知らない人に助けを求めることを拒絶してる。僕にしかできないんだ……もうすぐ、あの家から連れ出して保護しようと思ってる。』

『保護って、何よ……そんなの、司がしなきゃいけない事じゃないでしょ!?』

『しなきゃいけないんだよ。』

『無理でしょ!好きな人じゃ無いなら、そんなに面倒見てあげる必要ないじゃない!』

『無理じゃない。アテはある。ひとまずは僕の家に住んでもらって、その後――』

『――――っ!!!ふざけないでっ!!!』

『ふざけてない。叶多――叶多には、ちゃんと伝わってないのかな?本当に人の命がかかってるんだ。これは恋愛の問題とかとは関係ない。申し訳ないけどそれどころ――』

『関係ない訳ないじゃない……!恋って、そんな風に切り捨てるものじゃないでしょ!?なんでそれくらいわかんないの!子供じゃないのに!』


 私は必死だった。ここでつなぎとめなきゃ、司は私の手の届かないところに行っちゃう。


 司は純真すぎるからだまされちゃうんだ。私が分からせてあげないと――そう思って。


『分かってよ……わかんないなんて、おかしいよ……!人の命は大事だからってさ……そんな、そんな機械みたいに、なんでも考えないでよ……。司にとっては、優先順位低いって、簡単に切り捨てられるのかもしれないけど……私にとっては、大事な、ことなんだよ……?』


『……何を言っているんだ。』


ぼそっと、司がひとりごとのようにつぶやいた。


『……!?』


 それは、初めて聞く声色だった。


 いつもみたいに、思いやりに満ちた声じゃなかった。


 ただただ、初めて見る難しい数学の問題に対して、『本当にこれを解かなきゃいけないのか』って言うような、けだるげな声。


『……ねえ、その大事なもの、ってさ……人の命より、大事なの?』

『…………は?』


 そんな馬鹿な質問、真に受ける必要なんてなかった。


 恋と命の価値なんて比べられるものじゃないし、そもそもそういう問題じゃない。

 それにはるかって人は聞いた限りだと、死ぬ死ぬって言い続けているのに一向に死なないじゃないか。司の気を引こうとしてるだけに決まってた。

 なのに――私は、答え方を間違えた。


『司はっ、どうなのっ!私とはるかさん、どっちが大事なの!』


 それを聞いて、司は今までで初めて、私に対して怒った。


『――どっちも大事に決まってるだろ!?何を言ってるんださっきから!大事じゃない人なんて、この世に一人だって存在しない!』

『!!?』


 この流れで私が怒られるなんて、絶対におかしかった。

 でも――それをおかしいと言わせない何か強いものが、彼の目には宿っていた。


『…………叶多は……叶多も、何かが怖いの?自分が……僕に、愛されないと思ってるの?どうして……どうして信じられないの?』


 なぜか、私が非難されているみたいだった。

 司は、私が見ているのとは全く違う世界を見ていた。なんだか戦っているみたいだった。私の戦いとは、まったく関わりのない、高尚な聖戦を。


『……無理に、決まってるじゃん。』

『……そうなんだ。』


 司は下を向いた。


『……僕には、わかんないよ。僕だって、わかりたいよ……!何?その不安は――人の命のことを考えられなくなるくらい、大きいモノなの……?』

『…………何よ、その言い方。命は、みんな大事だからって……私は、何、司にとって、はるかさんと同じってこと!?』

『同じって……。』

『違うよね?』


私は司に話す間を与えずに畳みかけた。

 

『司は私のこと大好きなんでしょ。私のこと、特別な存在だと思ってくれてるんでしょ。結婚してくれるんでしょ。――だったらなんで!なんではるかさんにキスするの!?なんで特別扱いするの!?なんで一緒に住もうとしてるの!?』

『…………叶多。それはもう説明したよ。それでも納得できないなら、別に無理に受け入れろなんて、言わないから――』

『……私と別れたいの?』

『違うよ。そんなこと望むわけないじゃん!叶多を傷つけるようなこと。僕だって、そんな……約束、したんだし。』


その一言で、私の淡い期待は完全に打ち砕かれた……そう、司が私と付き合うのは、徹頭徹尾、『私のため』だったのだ。


 私が望んだから。


 私が司に約束させたから。


 私が司にすがったから――


 司が、私を欲しがったんじゃない。


 司には、私なんて必要じゃなかったんだ。


 その瞬間、私の中で何かが壊れる音がした。


 十年以上も続いた、都合のいい幻想、勘違いが。


 終わった。


 本当の意味で、終わった。


『……じゃあさ。もし私が、死ぬって言ったらどうするの?』

『……え?』


 私はそれでも、まだあがいていた。


『私が、『司とはるかさんが一緒に住むなら、死んじゃう』って言ったら?』

『……………………え。』


 司は、明らかにおびえていた。どうすればいいかわからなくて、追い詰められている顔だった。


『それ……本当、なの……?』


 私は答えなかった。泣きはらした真っ赤な顔に、いつもの能面を乗せた。


 ――本当な訳ないでしょ。


 でも、司は真剣に悩んでいた――苦しんでいた。

 

 俯いて目を閉じ、両手を組んで額に当てて――


 それを見て私は、少し安心しそうになった。


 でも、


 司は、


 ヒーローは――


 ――私なんかに、屈服してくれなかった。


『――もし、叶多が死のうとしたら。』


司は決意を固めるように言った。



『力づくでも止めるよ――一生守るって、誓ったから。』



           …………それは実に、感動的な台詞だった。


 でも私はもう、何も感じなかった。


 喜びも悲しみも怒りも――何も。


 きっと私の脳みそが、目の前の存在を、人間として見ることをあきらめたんだと思う。


 その時からようやく、私は司の姿を正しく見れるようになった。



 

 司は、あの頃よりはだいぶ成長したとは思う。


 司もあの時、私のことを傷つけたことは、反省してるんだと思う。実際そう言ってたし。


 でも――その実、何も変わっていない。


 ただ、言動に気を付けるようになっただけ。常識的なふりをしているだけ。そうすることで、司が「いい人」であることに支障が出ないようにしてるだけだった。


 ただ唯一、私が爪痕を残せたことがあるとすれば。


 天愛司の道徳の成績を、5段階評定で表すとして――一学期だけ、3をつけてやったってくらいだ……彼の「正義」にとっては、その程度の出来事だった。

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