<幕間>~神谷永介の捜査日記③:前編~

 一週間ほど前――9月18日未明。雨宮県霧岡市で、住宅街のはずれにある廃工場が全焼した。


 いや、廃工場ではないことは、周辺住民がよく知っていた。工場長らしき人物も何度か見かけられているうえ。週に何回か、中で機械類が稼働している音がしていたらしいのだ。

 だが、行政文書上は、「工場」ではなかった。小さな廃工場を一人の男が買い取ったきり、何に使われているかは不明だった。元々は個人の醸造所だったらしい。


 そしてその男、田辺芳次たなべよしつぐは、今回の火災で、死亡したとみられる。だがDNA鑑定が終わっていないから、まだはっきりとは言えない――なにせ火だるまだ。

 なお、「前回」の被害者が緒方重治かどうかはわからなかったらしい――全身が炭化していたのだ。それ以前の二件の火災についても、同様である。

 

 もしかするとこのまま、一人も被害者が特定できない可能性もある。


 ――一体、火元は何だって言うんだ。…………まさか、本当にあの子が言う通り……。


 本日の神谷永介は、夜のファミレスで人と会っていた。


 ほとんど客がいないがらんどうの店内、中年男が二人、向かい合って沈黙している。

 テーブルの上には、コーヒーが二人分。


 何はともあれ、神谷は今回の被害者は田辺本人であろうと予想している。前回の緒方氏と異なり、こいつは明らかに裏の世界とつながっていた――元暴力団員。

 五年前、水瀬市において麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたが、証拠不十分で釈放……釈放の理由は不明。

 その時の一斉検挙により、彼の所属先の暴力団は解散した。

 よって釈放後の彼の動向は、警察も気にかけていなかった。


 ――あの頃までは、雨宮県警は本当にいい働きをしていた。


 麻薬売買の一斉検挙に至る一連の戦いはあまりに苛烈だったため、県名にちなんで「暴風雨戦争」と呼ばれた。


 だがそれ以降は――


「相変わらず凶悪犯罪の防止策は講じられていない、と。」

「講じようが無い、だ。努力の問題じゃない……まあ、あきらめムードが広がってるのは事実だが。」

「ああわかってるよ。警察が甘くなったんじゃなくて、『犯罪の方が勝手に増えた』、だろう?」


「嫌味か。」


 神谷の目の前の男は、特に嫌悪感も示さずにそう言う。

 冴島孝太郎――神谷の昔なじみの、捜査一課の警部補である。


「いいや。お前から何十回も聞いた現状を要約すると、そう言うことになるってだけだ……今はもう俺も、現状の背景に途方もないヤバいものがあるってことはもうわかってる。なんとなくだけどな。」

「……お前はその現状に対して、探偵ごっこで活路が開けると思っているのか?」

「ああ、思ってるね。……少なくとも、依頼人たちからの信頼は警察よりも厚い。」

「…………お前、まさか。」


 事件関係者と接触しているのか、と言いたいのだろうが、冴島は口には出さない。

 そして神谷も言葉ではなく、微笑で答える。


「……またかよ。お前って奴は……。で、どの事件だ。」

「火災と誘拐。一部の聞き取り先は期せずして重なったが。」

「なるほど…………。」


 冴島は俯きながら、何か確認するように数回うなずき、再び顔を上げる。


「よければその情報……俺にもおすそ分けしてもらえないか?」

「いいだろう。ただしそちらの情報と交換だ。」

神谷はここぞとばかりに、不敵に笑いながら答える。


「……言っとくが、俺は別に、交換じゃなくても教えるつもりだったぞ。いつも通りな。」

「それだとお前の顔が立たないだろ。」

「はっ、親切なこった。こっちは『神谷と仲良し』って誤解のせいで既に風評被害だよ。」

「『誤解』、か。残念だよ。君のことは友達だと思っていたんだが。」


冴島は、内心「このもったいぶった口調のキャラはいつまでやってるんだ」と思いあきれている。探偵業というのはエンタメ産業でもあるらしい。


「……あーわかったわかった。で、具体的に知りたい情報は?」


冗談を言い合う時間は終わり、二人とも真顔になる。神谷も「名探偵」としてのキャラを崩した。


「田辺芳次が釈放後に関わっていた可能性のある犯罪。それからあの工場で製造されていたものについて。……もし捜査班が見当もついてないって言うなら、お前の想像でもいい。教えてくれ。」

「おい、それはさすがに舐めてるだろ。見当はついてる。ただ」

「『証拠が出ていない』。尻尾がつかめないまま本人が死んでしまった、だろう?」

「……ああ。」

冴島は苦々しげに答える。


「……ああ、あと、ひとつ。『てんあいきょうだん』って、聞いたことあるか?」

「……なんだ、関係ない別件まで聞こうってのか……いや、関係あるのか?」

「さあ、どうだろうね。」

「…………。」


 答えるべきか、否か。


 冴島は神谷に対して、敵対心など毛頭持っていない。

ただ、どこまで話したら警部から怒られるか、と気にしているだけだ。


 結局、これは特に問題ないと思って正直に答える。

「知らん。聞いたこともない。……新興宗教か?何か怪しいのか。」

「いいや、詳細はわからない。ただ、捜査中に耳にしただけだ。」

「……わかった。まず捜査の経緯から聞きたい。……まずは火災の方からだ。一件目から順番に。」

「わかった。」


 二人の間には信頼がある。だから、神谷は先に情報を開示することをいとわない……それに、本件に関しては、情報と言うよりは、「感想」の共有の方が必要かもしれないと思ったからだ。

 この突拍子もない情報を受けて、冴島が何を語るのか――神谷は、そうすることで初めて聞ける刑事の本音があると睨んでいた。


 神谷はこれまでの捜査で分かったことを説明した。火災の方に関しては二件目まで、大体の情報は冴島の捜査情報と裏付け合うものだった。


「……お前はヤクザに貸しでもあるのか?」

「まあ、昔の事件で一度ね。言っとくが、犯罪には加担してないぞ。名探偵として推理をしただけだ。後はまあ、コミュニケーション能力だな。」


 ――相変わらず食えない奴だ。冴島は心の中でつぶやく。


 そして、問題の三件目の火災、そして誘拐事件について話が及んだのだが――


「…………俺に、それを信じろと?」

「信じろという訳にはいかない。俺もあまり自信がないしな。だが、見聞きしたことを伝えただけだ。」

「……………………。」

「すまないな。こんな情報で。……まさか、怪事件の犯人の正体が妖怪変化だなんて言いだしたら、もう話にならないよな、まったく。」

神谷がそう言うと、冴島は天井を仰ぎ見て、嘆息した。


 そして、十数秒間、そのまま沈黙していたが、


「……あながち否定できない。」と、意外な答えを返したのだった。

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