第10話 「絶対僕が守るから」

 小学五年生の時、司はいじめられていた。

 原因は二つ。一つは「いい子ぶってて気持ち悪いから」。もうひとつは、いじめっ子を庇いすぎたせいだ。


 その時、私も積極的に助けようとはしなかった――自分も巻き込まれるのが怖かったし、けっこう、擁護し辛い部分もあったから。

 司がなにか言うたびにみんなで笑うとか、それくらいだったし。嫌がらせっていうより、つい正直な気持ちが出てしまったようなものだから、仕方ないことだとは思う。不自然なほど優しい性格だったから。

 それに、司は周りからの視線に全く無頓着だった。ただただ、ずっと堂々としていた。

 ――――自分は悪いことはしていない。だから困る必要なんてない、とでもいう風に、

 いじめっ子たちはそんな司に業を煮やしていたけれど、それ以上の行為(物を盗むとか)はさすがに先生の目に留まる可能性があるから、あきらめたみたいだった。


 そして結局、司へのいじめは終わった。

 ……そして、次の瞬間から私がいじめられていた。


 理由は、顔のことだった。


 いつも表情に乏しくて、何となく怒っているように見える、私の顔。あまりよくしゃべるタイプじゃないし、知り合いでない人にはあまりいい印象を持たれないことが多かった。


 最初はリーダー格の女子が、「あの子、なんか嫌な感じ」とか「なんとなく怖い」とか、誰かが思ってるけど言いづらいことを大声で代弁するところから始まった。


 それが私の性格とか人間性の問題だとか誇張されるようになった。『叶多は性格が悪い』。その「事実」の証拠として、嘘が言いふらされるようになって……そして、段々いやがらせがエスカレートしていった。暴力はなかったけど、わざと足を踏んだり、転ばされたりしてけがをすることもあった。


 友達は、司以外誰も助けてくれなかった。

 しかも男子と女子の仲が良いから、悪い意味で結束力が強かった。声の大きい人に逆らうのは、クラス全員に逆らうのと同じ。今まではそんなこと一度もなかったのに、運が悪かったとしか言いようがない。そのクラスは私にとって、いわば「はずれ」だった。


 マンモス校だったせいか、先生たちも省エネ思考で、助けてくれなかった。暴力さえ起こらなければ、興味も示さない。そういうスタイル。じゃあ、親は……親なんてもってのほかだ。あの人たちはやや独特の教育観を持っているというか。相談するなんて考えられなかった。相談したらもっと傷つくだけだとわかっていたから。


 当たり前だけど……つらかった。


 決して、私一人が特別かわいそうだなんて、思わなかったけれど。


 私だって、よく言われる「いじめられる方に原因がある」っていう奴はもっともだと思ってる。実際、私が見てきたいじめられっ子は司も含めて大体、明らかにみんなを不快にさせたり、迷惑をかけたりしている人たちだった。


 でも私の場合、原因は顔だった――ものすごく、理不尽だと思った。

 だって、努力してもどうにもできないものだから。

 いまさら表情を作るとか、もっと周りに愛想を振りまくとか、そんなことをしてもわざとらしい。

 いや、そもそもいわゆるいじめっ子達にとって、理由なんてどうでもいいのかもしれない……そうわかってはいても、このときから私は表情に気を付けずにはいられなくなった。


 今でも、人と長く目を合わせるのは、少し怖い。


 司は当然のように私を庇った。

 つい最近まで自分がその立場だったときは、ほとんど気にしていないみたいだったのに。司はやっぱりぶれない。


 でも私は――――庇われたくなんてなかった。


 司の「誰であろうと絶対に傷つけちゃいけない」みたいな考え方は嫌いだった。

 それなのに今の私は、今まで見てきた低レベルないじめられっ子たちと同じ、司に守ってもらう立場だった――要するに、屈辱だった。

 しかもそのやり方が目立ちすぎた。堂々と先生にも言いつけた。無視されたけど。いじめっ子たちも、大ごとを起こさない線引きをわきまえている。あの先生にはそれが分かってた(私も今でこそ時々話のタネにして、はっきり「クズ教師」とかなんとか言えるんだけど。今の常識で考えると、結構ヤバイ奴だった)。


 それでも司はあきらめなかった。

 私のために、できる限りのことは何でもやってくれた……でもそれは、私にとっては最悪だった。


だってあいつは、みんなの前で私が泣きそうになるのを唇をかんで我慢しているとき、慰めようとしてくる!司が慰めるから、私はつい気を緩めて泣いてしまうのだ。そのたびに司は余計に慰めて、周りの子たちを諫めようとする。それで先生が仕方なそうに割って入って、形式的に私の話を聞く。それで、原因が大したことが無いとわかると、私の目を見ながら心底呆れた感じで嘆息する。皆にもますます疎まれる――――違う!違うのに!私はわざと泣いてる訳じゃない!私だって波風立てないようにしてるのに!あいつが!司が勝手に!


 ……そう言うことが、何度もあった。


 いっそいちいちわざと泣いて騒いで、大ごとにしてしまえばいいんじゃないか。

 そう思っても、そうなった時の私の扱われ方も、結局みじめなものになるに違いなかった。

学校ではただの腫物になっちゃう。身内にとっては、恥さらしに決まっている。

 やっぱりこれも、今考えると大したことじゃないけれど、司がいるせいで、私のプライドはますます頑なになっていった。


 そのとき何もせず見ていた友達も、私のことが嫌いだったわけじゃないってわかってるし、そう思いたかった。

 学校の外でも私を避けるようになったのは、ただ後ろめたさがあったからだと思う。


 でもそんな友達の態度を見て、私は正直絶望していた。


 お母さんが児童書の受け売りで言うには、子供はそういう時期に、その後の価値観とかの大部分が作られるものらしい(ただ、お母さんはそういうことをやたら言っていた割には、私の気持ちは全くわかってなかったけど)――――多分、それは間違ってない。


 長い目で見れば大したことないというか、時間が解決するような悩みも、当時の私は必要以上に重く受け止めてしまった。


 はっきり言って大分病んでた。


 未来が全部閉ざされたような、どこか諦めたような感じだった……もう二度と、友達と元の関係に戻れないんじゃないか。このままずっと、孤立したままなんじゃないか。

 

 中学校に入っても、また似た理由でうまくいかないんじゃないか。


 そもそも自分は人と仲良くできない運命なんじゃないか。ていうか、顔だけじゃなくて性格も実は悪いんじゃないか。確かにそうだ。考えてみれば。人の影口ばっかり言うし、すぐ人のこと妬むし、友達のこと死んでほしいって時々思うし、司が私のことをいい子だと思い込んでるのを良いことに、ずっと猫かぶってるし――――


 何だったんだろう、あれは。


 もともと私は、いじめ程度でそこまで思いつめる性格じゃない、筈だった。


 でもその時だけは、例外だった。

 

 多分、司の存在が――完璧な聖人がダメな私をかばうというその状況が、ますます自分のことをみじめに感じさせたせいだろう。


 ……それに、私の悩みは、いじめだけじゃなかった。

 なんなら、それよりもっと深刻ないろんな問題を、考えなくちゃいけない時期でもあった訳で。

 考えてもどうしようもないけど、考えずにはいられないようなことが。そういうことが積み重なって、私を追い詰めていた。


 お父さんなんて嫌いなのに、お母さんのこともどうでもいいのに、二人の間の問題からは抜け出せない。

 

 死んじゃったいとこの恵理お姉ちゃん。花嫁姿であんなに幸せそうだったのに、なんで、なんで。


 大人の体になっていくことは「幸せなことだ」って言うけど、私に幸せな未来なんてないかもしれないのに。ただ苦しいだけじゃないか。


 例えば、この前よりもっと大きな地震が来て、みんな死んじャったら――


 …………要するに、小学生の心は、脆かった。雑魚だった。


 結局、だんだん親離れして、社会のことがいろいろわかるようになっても、結局根本はどこか、やっぱり子供のままなのかもしれない。だから、それなりに追い詰められれば、誰かに甘えたくなる習性が残ってる。きっと大人になれば、そんなこともなくなっていくはず、そう思いたいけれど。


 あれだけ固かったプライドの防衛線も、壊れてしまう時がある。


 まさにそんな私の隙に入ってきたのが、司だった。


 私は頑張って。頑張って。頑張って……一人でも、耐えられるふりをしていたのに。

友達も、気づかないふりをしようとしてくれていた。


 でも司にとっては、私の尊厳なんて関係なかった。


 二人だけでいるときは、我慢しきれなくて泣きついたことも何度もあった。


 そんな時、司はいつもいつも、私の愚痴を聞いて、ハグまでして、慰めて。


 そのうち結局、私は洗いざらい話してしまった。


 自分が悩んでいること、全部。心の悩み、家族の悩み、体の悩みまで、全部。


 あれは――――あれは、完っ全に黒歴史。


 今思い出すと、あれは恥ずかしいとかじゃない――もはや、ぞっとする。


 あんな、あんな深いところの核心まで、自分の底を他人に全部さらしてしまっただなんて。

 今でも向こうがそのことを覚えているんだと思うと、頭の中がぐちゃぐちゃになって叫びたくなる。

 しかもよりによって天愛司だ。


 他の……女子の友達ならまだいい。若気の至り?ってことで話は済む。

 気まずい感じになって、それで時間がたってからは、お互いに触れないって感じだろう。


 でも司は、私のアレを恥ずかしいこととも思ってない。


 だから今でも、私がどれだけ避ける態度をとっても、普通になれなれしくしてくる。


 忘れようがない、忘れさせてくれない。


 そう、あの頃は良かった。運命の相手だって思ってたから。


 でも今、天愛司は――悪い意味で、私の一生の弱みで、重みになってしまった。

 

 その時はただただ、嬉しかった。


『何があっても絶対、僕が叶多のこと守るから――――約束する。』


そんなことを恥ずかしげもなく宣言されて。


 何度も、何度も。折れそうになるたびに結局泣きついて。


 肩を寄せて背中をさすられて。


 もう、どうでもよくなって。人として最低限の距離感とか、プライドとかも全部放棄してしまった。心の壁なんて概念すらなくなっていた。


 それで、いつのまにか。

 司に対する自分の気持ちを、勘違いしてしまった。


 その日、いつも通りに重い足を運んで学校に来ると、友達が向こうから「おはよう」って言ってくれた。


 数か月前みたいに。たったそれだけ。それが、もう長い苦痛の時間が終わった合図だった。


 私が知らない間に、司がみんなを説得していじめを終わらせたのだった。


 あまりにも、あっけなかった。


 説得でいじめが終わる? ……なんだそれ。

 友達は謝ってきたりはしなかったけれど。

 むしろ、なかったことにしてるみたいだった。私もあえて蒸し返そうとはしなかったし。

 嬉しいとも思わなくて、何だかキツネにつままれたみたいだった。


『僕が絶対、守るから。』


 本当に、司は私のことを守り切ってくれた――――そして、私の人生最大の危機は、終わった。

 

 考えてみれば、お父さんやお母さんと仲良くしたりとか、助けてもらうとか、必要なかったのかも知れない。

 将来のことだって、あれこれ心配しても仕方ないことだった。

 あとのいろんな悩みも、普通に向き合うだけの余裕ができて、何事もなかったみたいになった。

 でも今でも――――少しだけだけど、あのとき私は危ない橋を渡っていたんじゃないか、って気もする。


 ――――命を救われるのは、これで二回目。


 少なくともその時は、本気でそう思っていた。

 そんな、普通の精神状態じゃないときに司に近づき過ぎたせいで、私は完全におかしくなっていた。

 だから、変な勘違いをしてしまったんだと思う。


 小さい頃、思い描いていた空想。

 憧れが生んだ幻想。


 ――――司はこの世でたった一人、私のためだけに存在する、「天使」だってこと。


 頭がおかしいのは、私の方だったのかも知れない。

 

 でも言い訳させてもらうと、誰だって私と同じ立場だったら、司に染められちゃうと思う。

 毒されて、というか……いいや。毒ではない。決して毒ではないのだ。司を好きでいること自体は、苦しいわけじゃない。むしろ、苦しいことを全部忘れそうになってしまう。考えたくなくなってしまう。


 毒されるっていうか――――薬漬け、だ。


 ……だから、離れた後こそ、ものすごく、苦しくなる。





               だからあの苦しみはもう、二度と味わいたくない。

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