<幕間>~神谷永介の捜査日記②~

 2017年9月3日。水瀬市某所にある家屋が全焼する火事が起きた。


 家主と思われる人物が、黒こげの遺体で発見。


 緒方重治おがたしげはる――元社会活動家で、現在は無職。

 七・八年くらい前にはかなり名の知れた人物だった。テレビにも何度も出演しており、彼の活動は高く評価されていた。

 だが、彼の活動はかなり無鉄砲なところがあった。やがて活動資金が不足して借金まみれになり、彼の経営する児童養護施設「ハーメルン」も、経営悪化で閉鎖に追い込まれた。その間に、支援者や協賛者はどんどん離れていき、やがて世間も彼の存在を忘れ去った。


 ……そして、今回の火災である。


 警察は今のところ火事の原因は不明と発表している。

 しかし巷の噂では、これは一連の「雨宮連続不審火災事件」の一つと位置付けられていた。

突如建物が炎上し、必ず誰かが火だるまになって死亡すると言う共通点があるため、同一犯によるものと噂されている。

 そして、いずれも火災の原因はいまだ特定できていない――あまりにも不気味だった。


 そしてこの男――神谷永介も恐らく、それらの犯人は同一人物だろうと睨んでいる。


 決して、噂を軽々しく信じたわけではない。


 神谷は個人的に、こうした不可解な事件については、警察の捜査の軌跡を粘着質と言えるほど徹底的に追いかけまわし、検証する性癖があった。

 それは彼自身の信念からの行動だったが、当然警察にはよく思われていない。

 それでもなお顔なじみの刑事などは、こっそり彼に事件の情報を与えている……当然、規則上グレーな行為だが。

 警察組織の一部からは、過去の功績その他から、一介の私立探偵が捜査の進展に寄与しうるとして信用されてもいるのだ。

 他県であればあり得ない話である――まさに藁にも縋る、とでも言おうか。


 しかし、彼に捜査情報を知られて困ることなどあり得ない――なぜなら、この手の事件については、重大な手がかりなど得られることは全く無いからだ。

 むしろ、神谷の独自捜査の方がより事件の真相に近づきやすいのかもしれない。

 彼は雨宮県で近年こうした怪事件が連発しているのは、全て何か共通の原因があると確信している。もちろん、証拠はない。しかし、彼は今までその圧倒的直感力をもって、いくつかの難事件を解決へと導いている――それが、神谷永介と言う男の天性の才能だった。


 そして、彼はこの連続火災「事件」に関しては――ある種の「粛清」なのではないか、と睨んでいる。


 これまで起きた三件の火災に関して、警察は関連性を未だに見いだせていないらしい。

 だが神谷は知っている――被害者は全員、過去あるいは現在に、何らかの形で「裏」の犯罪組織に関与しているということを。二件目の調査の時点で、おそらく裏社会の抗争と関係しているのだろう、と言う想像は簡単にできた。


 ……だが、問題は三件目。すなわち今回の緒方重治邸の事件だった。


 今回初めて現場から救助者が出た。そして、これが捜査に予想しなかった展開をもたらす。


 彼らはなんと、あのウサギ男に誘拐された子供たちだったのだ。


 全身にひどい外傷を負っていたと言うが、それは当然のこと――ではなかった。

それらに火傷は一切含まれていない。

 代わりに裂傷や打撲傷、蚯蚓腫れなど――数々の人為的な拷問の後だったのだ。

 そして焼け跡の地下室には、金属製の拘束具や拷問器具が発見されている。


 ――緒方重治がウサギ男だった。そして、自宅で誘拐した子供たちを監禁し虐げていた。


 警察もすぐに、それくらいは想像できただろう。

 それに、全身を焼いた方法はどうとでも考えられる。恐らくガソリンでも撒かれたのだろう。頭からかぶせられて。


 だが、疑問点が二つ。


 一つは事件のいきさつだ。


 ――誘拐犯が、「裏」の犯罪組織との間に、いったいどんなつながりがあると言うのか?


 というかそもそも、緒方の犯行の動機自体がわからない。

 

 彼は何よりも子供たちの人権を守るため、あれほど熱心に活動したのではなかったか。

 神谷自身、全盛期の彼をバラエティ番組で目にしたことがある。

 前後の文脈はあまり覚えていないが、そこで彼は、政治家と議論する中で激高し、こう叫んでいた――『貧困や虐待に苦しんでいる子供一人救えないで、何が『社会の進歩』だ!あんたたちみたいな偽善者が現状を美化するから、世間の問題意識も低いままなんだよ!』


 あの議論はかなり物議を醸したと記憶している。だが少なくとも、彼の熱意自体は確かに本物だった。もちろん、そんなものはただの表に出ている人物の印象に過ぎない。それだけでは、推理の材料になるほどのものではない。


 だが、それにしても豹変しすぎではないか、と思ってしまう。

 

 身代金を求めるでもなく、ただ痛めつけるためだけに子供を誘拐するなどと。


 ――ウサギ男になってからの彼は、正気ではなかった可能性がある。


 少なくとも、何らか利益のために理性的に行われた犯行には見えない。ならばなおさら、犯罪組織とのかかわりは想像しにくい。問題はそこである。


 ――これまでの二件の火災とは無関係?


 更にもう一つ、もっと不可解な点があった――どうやら子供たちは救助が来る前からすでに、路上で気を失って倒れていたらしいのである。

 即ち、自力で緒方邸から脱出していたと推測される。拘束されていたはずの子供たちがその枷を解き、しかも放火犯の目をかいくぐり、火に巻き込まれることもなく脱出できたというのか。


 ――それは、まるで。


 神谷は思い浮かんだ言葉に動揺する。


 ――瞬間、移動。


 ……確かに神谷は、そのような現象が起きる所をこの目で見た。だが、そんなことを言い始めたらなんでもありになってしまう。とりあえず、超常現象の実在の是非は置いておこう、と思い直す。


推理においてはあくまで、理解できる事柄を順番に積み重ねるべきだ。


――もちろん、私が直接見たあの出来事は、否定しようがないが。


こうして、目の前に証人もいるのだから。


「……それでは、ハナちゃんのお話を伺ってもよろしいですか?」


神谷の目の前に座る女性は、神妙な顔でうなずく。


ここは彼女の自宅のリビングだった。先月のあの怪奇現象に共に立ち会って以降、娘の行方の捜査を頼まれていた。

ただし、依頼料の支払いは神谷が断った。ある日とつぜん、さっきまで傍にいた娘が忽然と姿を消してしまった。しかも警察は当てにならない――そんな彼女があまりに不憫だと思ったからだ。

 ……それに、あんな怪奇現象が起きた以上、まともな捜査結果は出してやれそうにない。


 そして今、二人のつながりは思わぬ縁となった。


 先日、火災現場から救助された際、唯一外傷もなく意識を保っていた子供が、まさに彼女の娘だったのである。


 今、一番必要な証人――だが、警察はロクに証言も取らず、すぐに彼女を自宅に送り返した。

鑑定医は、「彼女は火災当時錯乱状態にあり、記憶が混乱している。しばらく精神を回復させる時間が必要」と判断したと言う。


 だが、母親の恵子はそうは思わなかった。


『娘は混乱してなんかいません。なのに、証言をちゃんと聞いてくれないなんて……やっぱり、警察は信用できないんです。』


 その点で神谷と意見は一致していた。彼女の心は完全に警察に対しては閉じられ、神谷の方を全面的に信頼していた――この上なく理想的な協力者だった。

『どうか少しでも、事件の解決のお役に立ててください。……何が起こったのかすらわからないなんて、怖くて耐えられなくて……。』


 彼女は席を立って娘を呼びに二階に上がっていく。


 自分で出した紅茶には、まったく口をつけていなかった。


 一方の客人である神谷は、事件について思いを巡らせながら、ゆっくりと味と香りを楽しんでいた。

 ある意味では客人として当然の振る舞いなのだが、人によっては「この状況でよくもそんな」と苛立ちを覚えるような、やけに余裕めいた振る舞いだった。

 だが彼は決して緊張感がない訳ではない。

 意図的にはったりと「キャラ」の強さを演出しているのだ。相手を自分のペースに巻き込みやすくするための、彼独自の手法である……それに、推理においてカフェインは重要だ。


 しかし神谷もさすがに、心的外傷を負っているかもしれない小さな被害者の前では、演技を解いた。警戒心を解す話し方に切り替える。


「――初めまして、ハナちゃん。おじさんは神谷さんって言います。よろしくね。」


 席についた少女は両肩を母に支えられながら、緊張した顔でこくりとうなずく。そうして神谷は小さな証人の口から、少しずつ言葉を引き出していった。


 ――二時間後。


「……………………。」


 幼い子供の話はとうぜん時間がかかるし、要領を得にくい所も多い。だが、神谷は慎重に、忍耐強く聞き続けた。そうしてなんとか、話の全貌を正確に把握することができたと自負している……だが。


「……どう、思われますか。」


既に彼女の話を聞いたであろう母親が、恐る恐る神谷にコメントを求めた。


「…………んん。そう、ですね……。」


 神谷は内心冷や汗をかいた。


 ――これは、確かに錯乱していたと思われても、仕方がないな……。


「……まあ、我々としては、何があってもおかしくないことはもうわかっていますからね。」


 ――しかし、そうなってくるともはや一体、何が『真相』だよって話になるよな……。


 確かに「謎」はある。いや、謎と言うか、もはや「神秘」というべきか。神谷が求めているような、出すべき答えのある「謎」ではないことは確かだ。


 ――これはもう、手に負えないかもしれない。


 そう思いかけて、神谷は頭を振った。


 ――いや待て。確かに、大事な情報の一つは少なくとも明かされたじゃないか。


 神谷はびっしりと書き込まれたメモ帳を眺める。そこにはハナちゃんの口から語られた、断片的なキーワードが書かれていた。

 いくつかは『ウサギのおじさん』の発言である――要約すると、『瞳が美しい子供たちは、悲鳴も美しい』、『子供の体には美味しい“ジュース”が流れている』、『一緒にきれいな虹を見よう』、などなど――支離滅裂、である。


 結局、読み取れることの大半は「こいつは頭がおかしかった」と言うことだった。


 一方、とつぜん地下に押し入ってきたという放火犯の発言。

 

 ハナちゃん曰く、そいつは若い男だったらしい。『ヒーローのレッド』を自称していたとか……その情報だけでは、何もわからないに等しい。ただ、『こいつも狂人なんじゃないか?』と思わせられただけだ。


 ――それはともかく。大事なのは、この一言だろう。


 神谷はペンでメモ帳をトントンと叩く。その中心には、何重にも線で囲まれたキーワードが書かれていた――――『てんあいきょうだん』、と 。

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