第8話 司との関係

 司は小学校に入学してからも、幼稚園生の時と同じ距離間で私と接してた……かなり長い間。

 遊ぶのもおしゃべりするのもいつも一緒。

 スキンシップも多いし。まるで女子同士みたいにべたべたしてた。


 最初は私もそれでよかったのだけど、やっぱり学年が上がると周りの目が気になった。

 でも、司に他意はない訳だし、彼と距離を置きたいって思うことになんだか罪悪感も強くて、「もう、そういうのはやめて」って言えたのは、三年生になってからだった。


 もちろん、その後も私たちの仲は良かった。


 俗に「親友」、とでもいうような形で続いていた。

 学校以外の時も相変わらずよく一緒に遊んだし、他愛ないおしゃべりをして時間を潰したり、勉強を教えてもらったりしてた。


 いつしか私はすっかり、そうした関係性に慣れていた。


 ……でもいつの間にか、私の司に対する気持ちは、ちょっとだけ変わっていた。


 当然そのぐらいの年齢になると、女子は恋愛と言うものに興味を持つ訳で。


 最初は友達に勧められてだったけれど、恋愛ものの漫画とか小説にはまって、よく読むようになった。

 流行りものと言うよりは、割と現実的で、酸いも甘いも含めて生々しい恋愛模様を描く作品が好きだったと思う……アダルトな奴も含めて。

 そういうもので得た知識はひそかに、私にとって将来の道しるべになっていった。男と女の関係ってどういうものか、とか。女になっていくってどんな感じか、とか。私もいつかは――って思ってて。マセガキだった。


 それでようやく、自分の中の気持ちがはっきりした……気がした。


――私、この子のことが、好きなんだ。


 今までその距離感が当たり前になりすぎていて、まったく意識してこなかった。

 

 でも……司だって、男の子なんだって。


 ――多分、司も私のこと好き、なんだよね。


 司は確かに誰にでも優しいけれど、少なくとも女子の中では私が一番仲いいんだから。

誰かが周りで見てさえいなければ、「大好き」って言ってくれるんだから。

 小さいころ、結婚してくれるって言ってくれて、それ以来ずっと一緒なんだから。それに、三年間ずっと同じクラスだった。決して小さい学校ではなかったのに。これってまるで――まるで運命みたいじゃないか。 


 そう思うようになったら、もう今までのように司を「親友」として見るのは無理だった。

 急に彼がものすごく輝いて見えるようになって、目を合わせるのが恥ずかしくなりだした。


 ――そう、私は司が好きなんだ。……どこが好きなのかな?好きなところ……きっと、全部!


 人柄、見た目、表情、仕草、賢さ、運動神経の良さ――どれも最高だった。好きにならないところなんてなかった。当たり前すぎてそれまで意識することなんてなかったけど、司はこれ以上なく、白馬の王子様の条件は満たしていた。


 ……でも、告白するだけの勇気はなかった。

 

 そう、私は今とおんなじで臆病だった。

 

 それで結局、今まで通りの関係が続いた。


 そうしたら、その間に私もまた成長して、分別がつくようになってしまって……少し考え直したいような気もしてきた。


 ……司には、ある欠点があったから。


 

 それは、度を越した自己犠牲。



 他人のためだったら、文字通り全力を尽くして、身を粉にして「奉仕」してしまう。

 大げさに言ってるんじゃない。文字通り全力だ。

 出会ったころからそう言う癖はあった。

 もちろん私はそれが、司の優しくて素敵なところだと思ってて、そこが好きでもあった……でも。


 天愛司の「奉仕」は、だんだんエスカレートしていった。


 徹夜のお泊り会も宿題の手伝い(一日に最大三人分)もぼっちの子と仲良くするのも委員会も行事の準備も練習試合の欠員補充も両親が共働きの女の子と砂場で遊ぶのもおばあちゃんが横断歩道を渡るのも募集ポスターが目についたボランティア活動全ても近所のおじいさんの家で掃除も料理も洗濯も、毎日毎日毎日毎日……。


 おおよそ普通の子が絶対にやりたがらないようなことも全部、だ。

 他の約束と重なってもできるだけ調整しようとしていた。とにかく他人のためなら何でもやっていた。

 一日も、一時間たりとも、司が自由に過ごしたり、休んだりする時間なんてないくらいだった。

 もちろん、私とも「頼まれれば」遊んでくれたけど……それってなんだか、他の人からのお願い事と同じ扱いみたいだった。どれも同じくらい大事、みたいな。


 ――もしかして、今まで私と仲良くしてくれてたのも、ただ私にお願いされたから?


 そんな風に疑ってしまうこともあったくらい。

 

 でも、やっぱり私の扱いは特別なんだって思えた。

 少なくとも、学校では心なしか他の子よりも私と話す時間を長くとろうとしてくれてたようだったし、登下校の時も私のすぐそばからずっと離れないでいてくれた。


 別に司は、人によく見られようとしているわけじゃないし、「いい子」な自分に酔っているわけでもなかった。

 仮にそんな理由だったら、あそこまでできる訳、ない。人に見られてないところだと、多分もっといろいろやってる。

 

 もちろん最初のころ、学校の先生たちには好意的に受け取られてたけど、いつもそばで見ている私たちからしたら、度を越しすぎてた。

 私ですら……ちょっと気持ち悪かった。あんなに頑張ってたら、頭がおかしくなっちゃう。

 

 ……司は、一度も疲れた様子なんて見せなかった。風邪をひいたり、体調を崩したりしたこともない。一度も、だ。

 誰だって、風邪は引かなくても体調が悪い時期とか、人生に一回くらいはあるはずだけど、私が知り合ってからずっと、そう言うのも一度もなかった。体調管理が良いとか、そういう話じゃなくて。

 校内持久走とかでも、息が上がってるのさえ、見た人はいない。余裕をかましている。中学校でも結構毎年順位は高かったけど、きっと、あれでも手加減してる気がする。小学校で三年連続で優勝して以降、明らかに不自然に走りが遅くなったから。きっと、他の子に気を遣ったんだと思う。

 体力だけじゃない。前にも言った通り。勉強も、性格も――何もかも、「完璧」すぎた。当然、そんな子を疎ましく思う同級生も少なからずいた。

 でも、誰も口にしない。「お前、完璧すぎるから嫌い」、なんて……素直に言える訳ないし。他に言いがかりをつけられるような欠点なんて、司にはなかったし。


 小学校高学年になると、もう周囲の誰も、司の「奉仕」を好意的に見ることはできなくなっていった。

 褒めてくれる友達も、逆に煙たがる子もいない。

 ほほえましく見守る先生もいない。

 ……みんな、はっきり言ってドン引きしていた。


 カツアゲを止める。交通事故を防ぐ。ひったくりを「確保」する。飛び降り自殺しようとした人を止める――どうやってやったのかとか、詳しい話は私も知らない。


 もう、「優しさ」とかいう次元では、無かった。


 美談、美談、美談――眩暈がするほど、たくさんの「功績」。市長や警察署長、偉い大人たちの、どこかぎこちない、困惑したような称賛の声――


 二回目か――三回目くらいに、彼らも怖くなったんじゃないだろうか。

 触れない方が良いと、そう思ったんじゃないだろうか。

 

 司の活躍が公式な場で表彰されたり報道されることは、すぐに無くなった。


 そして、すぐに忘れ去られた。


 ちょうどそのころ県内のニュースと言えば、警察とヤクザの抗争とか連続殺人事件とかの方がメディアを賑わせていたってこともあると思うけど。

 

 でもその後も司は、人知れず似たようなことを続けていたと思う。


 彼のことを知らない今の同級生たちにそんなエピソードを教えても、多分信じてもらえない。

だから、私も晴翔もわざわざ言わない。

 ここまでくるとさすがに……言葉を失うしかない。なんといえば、いいのだろうか。常軌を、逸してる。


 人間業じゃ、ない――人間じゃ、ない?


 おかしかった。絶対におかしかった――でも、何が悪い、って訳でもない。だって、「完璧すぎる」ってこと以外は、どこも変なことなんてないし――非難されるようなことなんて、無かったんだから。


 ……いや、ある。


 何と言うか――感性が、おかしいのだ。


 もちろん、司は優しいし思いやりがある子だ。確かに、司は常識がない所とか鈍いところはあるけど、そういうことではなくて。誰かが泣いてたら(少し出過ぎている感じはするけど)慰めようとするし。


 でも――時々、そもそも誰かが泣いている理由が、わからないことがある。私たちがどう説明したって、わからない。そんなとき彼は、慰め方がわからなくて困惑していた。


 例えば、誰かに負けて悔しい、とか、人を羨ましがる気持ち、とか。普通の子の悩みが、まったくわからなかった。劣等感、憎しみ、嫉妬、自分でもどうしようもない、意地悪な気持ち、とか――そういうもの。


 なんというか、


 そんなこと、私だって最初は思いつかなかった。だって、そういうものはあるかないかなんて考えるまでもないんだから。どんな善人にだって、そういう醜い面があるのは当たり前だ。


 普通、子供はみんな、大人から道徳とかルールを押し付けられて生きてる。みんな、表面的なルールを守るよう強制される。

 だけど、心の中にそういう、人に見せられない「よくない」気持ちが誰にでもあって、時にはそれに従うことは許されてる――そいう、「裏のルール」もあるのも、知っている。大人だって、そうしてるんだから。

 

 でも司には、それがわからなかった。

 

 当たり前の蹴落とし合い、当たり前の上下関係、当たり前の差別――そういうことは司には、誰かが言わないとわからないままだった。


 そんなこと、わざわざ教えてやる人も少ないし。私か晴翔くらい。


 それにはっきり言っても、通じないことも多かったし。


 ――そんなお花畑な子が、普通の人間関係に耐えられる訳ない。


 高校生だったら、みんなそう思うだろう。


 でも、司は違った。


 無自覚なのか、絶妙にうまく立ち回って、孤立することも嫌われることもほとんどなく、凡人の世界に適応した。


 誰も蹴落とさず、誰も利用せず、誰も切り捨てずに――さながら聖人君子の様に、完全無欠の善人のように。


 ……そして、そのまま現在に至るのだ。


 つまり、天愛司は――圧倒的に優れていた。


 ……私が恋焦がれることなんて、許されないくらいに。


 体は強い。見た目も美しい。心も澄み切っている。運悪くつまずくような経験もない。完全無欠、聖人君子――私たちみたいな普通の子は、絶対に分かり合えっこない。


 そんな彼はきっと、今でもお花畑に生き続けている。


 誰もが自分と同じように、お互いに思いやり合って、喧嘩も悩みも全部友情の力で解決できて、誰かと好きな人を奪い合うことなんて誰もしなくてよくて――みんな、自分と同じように強くなれるんだって決めつけて。性善説を押し付けて。



     何も知らず。

     

       何の迷いもなく。

        

         何にも絶望せずに。



           そんな奴のこと…………どう思う?









…………嫌いになるに、決まってるでしょ。


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