第5話 恋愛小説みたいに
…………………………………………。
………………………………………あ。
――いけない。めっちゃ、ぼーっとしてた。
いや、無理もないだろう――人生初、相合傘だ。
できるだけつつましく、自分からは距離を詰めないようにしよう……なんて思っていた。でも傘が小さかったから、二人は最初からいい感じに密着してしまったのだった。
天にも昇る気持ち、ってよく言うけれど、緊張と胸の高鳴りで、文字通り死ぬかとさえ思った。
全く心の準備なんてできてなかった。
思い出してみるとなんだかぼんやりしてて、夢の中であった出来事みたいだ。しかも五感が雨に包まれていてほわん、としていたから、なおさら現実離れした感じがあった。
けっこう長い間、二人とも無言だったと思う。私は、自分から話しかける勇気がなかった。視線も向けられない……だって、距離が近すぎたから。
腕と腕が、ぎこちなく触れたり、離れたりを繰り返した。私がつい、触れ続けるのを避けてしまうせいだ。
何を話そうかと考えていたけど――何も思いつかなかった。
私も先輩も、その微妙な距離感のせいで、傘からはみ出して濡れていた。なんだか申し訳なかった。やっぱり司の傘は小さい。そもそも、自分で傘を持ってくればよかったんだけど。
――司ってそういえば、私とほとんど体格同じなんだよな。
なんて、関係ないことを思ったりして。
――そんなことよりも。
結人先輩が、すぐ隣にいる。今はそれが問題だ。
自分の心臓の音が、雨の音より大きい。うるさすぎて、何も考えられない。ただ、歩幅の大きい先輩に追いついて歩くだけで精いっぱい。
――結人先輩の体温、匂い、息遣い……。
ますますぼんやりしてきた。
だけど、なんとかしてこの気まずい沈黙を終わらせなくてはいけない。
――何かこう、気の利いたことを言わないと……。
「……あ、歩くペース、もうちょっと落とそうか。」
私がちょうど口を開こうとした時、先輩が先に声をかけてくれた。気を使ってくれたのはうれしかったけど、私は何を言おうとしていたのか忘れてしまった。
「あ……すいません。」
「いいよ、ゆっくり行こ。さっきから肩ぶつかってるし。」
「そ、そうですね……。」
「ていうか……もっとくっつこうよ。」
「え?」
先輩がいたずらっぽく笑う。
「叶多、肩はみ出てるし。――もっと、こっち来て。」
「……っ。」
私は口を開けて、すぐ閉じてしまった。素直にはい、って言うこともできなかった。
――ああ、無言じゃダメじゃん。『嫌だ』って意味かと思われるかも。
そんな風に思っていると不意に先輩が、右手の傘を左手に持ち替えた。
そして空いた方の手で、私の肩を抱き寄せる。
「…………え!?ちょっ——」
心の準備ができていなかった。
「風邪ひくだろ。」
私はもう、十分傘の下には入れていた。
ただ、その後いくら歩みを進めても、先輩は肩を離してくれない。私の不器用に崩れる足取りを、先輩が強い力で先へと促す。
――あ、これ……わざと、か。
「~~~~!」
私はパニックになりかける。
――ああ、結局何も言えないんですけど……!
やっぱり、結人先輩は恋愛には慣れてるんだろうな。イメージ通り、すごくぐいぐい来る―― 今更、そんな風に思う。
歩きながら、恐る恐る先輩の顔を見上げる……そうしたら、先輩と目が合った。
心臓が、止まる。
高鳴る、じゃなくて、本当に止まった感じだった。
「ようやくこっち見てくれた。」
「あ、う……。」
――ずっと、私の横顔見てたってこと?
だとしたら、ずっとほっぺたが赤かったこともバレてるってことだ。
私はそう気づいて、ますます真っ赤になる。
「――可愛い。」
「えっ——」
考える暇もなく、先輩に唇を重ねられる。
「――んっ。」
私は思わず目をぎゅっとつむった。
前のキスより、少し短いキスだった。
顔を離した先輩は、まだちょっと物足りなさそうだったけど、私の顔を見てまた挑発的に笑った。
「そう、その顔――やっぱ可愛いよ。大好き。」
先輩の唇が、今度は私の耳元を通り過ぎながら、吐息交じりの愛の言葉を置き去って行く。
「――——っ!」
私の唇はまだ痺れて力が入らず、半開きのままふにゃふにゃしていた。思わず口元を抑えて、顔を伏せてしまう。
「そんなに恥ずかしい?」
「……はい。」
私の声は震えていた。
「叶多って、誰かと付き合うの初めてだよね?」
「……はい。」
――やっぱり、わかるんだ。
「キスとかも、全然したことないんだよね?」
「…………は、はい。……あ、あの、だからその、どうすればいいか、いろいろ、わかんなくて……ごめんなさい。」
私は慌てて言葉をつなげる。
「いいって。そこが可愛いんだし。どうすればいいかわかんない時はぁ……俺の言うとおりにしてくれればいいから。」
「……はい。」
「それに、俺が初めてでよかった。……俺、こう見えて繊細だからさ…………好きな人がもう他の男に触られたりしてたら、けっこう傷ついちゃうっていうか。」
「……そう、ですか。」
――意外と、傷つきやすいんだ。
私は罪悪感を覚える。
……でも、今更言えなかった。
「…………あの、嫌だったら答えなくて、良いんですけど。」
「何?」
私は迷いながらも、ちゃんと回っていない頭で聞いてしまう。
「先輩は、その……今まで、失恋したこととか、ありますか?」
何かの穴埋めをするかのような質問だった。分かり合えている気になりたかったのかもしれない。
――でも、先輩のことだから、告白される側ってことの方が多いような気もする。
「…………。」
「あ、ごめんなさい……!やっぱり嫌、ですよね。無理に答えなくて、良いです……。」
「……ある。何度も。」
――何度も!?
「……それって、その……付き合ってたけど、相手から別れよう、って言われたとかですか?」
そもそも結人先輩のことが嫌、なんて思う人がいる訳ない。別れるにしても、時期が来て自然解消って言う感じだったと思っていた。どうしてだろう。
「…………………………。」
先輩は顔をこわばらせて、沈黙してしまった。
――あ、まずい。
私も、なんて言えばいいかわからなかった。自分で聞いておいて、気まずい雰囲気を作ってしまった。動揺すると一言余計なことを行ってしまうのは、私のよくない癖だ。
「……いや、そもそもって言うか……今まで恋人なんていなかった。」
――え、嘘……!?でもきっと、結人先輩にもいろいろあったのかな。
それ以上は、聞かないでおいた。
私はなんとなく、ちゃんと話を終わらせたい気がして、言葉を探した。
「…………じゃあ、その。」
「ん?」
「――私も、先輩の初めて、ってこと、ですよね?」
私はそう言って先輩に笑いかける。
「だったらすごく、嬉しいな——ていうか、えへっ。」
先輩はちょっと驚いた顔をして立ち止まった。私も止まる。
そうして一秒弱、私たちは顔を見合わせた。
「……叶多。」
「な、なんですか?」
今の私の言い方が、あざとくてウザかったんじゃないか、と一瞬不安になった。けれど――
「――やっぱお前、最高。」
先輩はものすごくご機嫌な調子で言い、私の肩を抱き寄せる。
「…………うぇっ!?」
私は思考停止した挙句、ダサい声を上げてしまった。
「俺たち、絶対二人で幸せになれるよ!」
先輩が高らかに叫ぶ。
――え、ええぇぇぇ!?
「……あ、ごめん。テンション上がっちゃって。……嫌だった?」
先輩は我に返ったように私を離す。
「いいえ全然……!」
――ああ、翻弄されっぱなしだ、私……!
その後もしばらく、私は先輩に言葉で弄ばれながら歩き続けた。
そして、とうとう駅についてしまった。
「送ってくれてありがと。楽しかったよ。」
「こ、こちらこそ……。」
本当に貴重な時間だった。見送りのお礼としては有り余るものをもらってしまった気がする。
――ああ、もうこの時間が終わっちゃうんだな。
そう思ったとき、先輩が言った。
「そうだ、叶多。」
「はい?」
「――来週の日曜日ってヒマ?」
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――ああ、改めて思い出すと悶絶しそう。ていうかしてる……。
とりあえず要約すると——私たちは、デートに行くことになった。
先輩のさらっとして強引なペースに呑まれて、あっという間に決まってしまった。まるで、催眠術にかけられていたみたいに。
「え~、やったーうれしー!」とか、ちゃんと反応できた気がしない。でも、スマホを取り出して予定確認と連絡先交換までしたんだから、まだ理性はあったはず。
一連の流れを頭の中で再演すると、また、感情の余波が戻ってくる。
――う、ううぅ~~~。
私は意識を呼び戻し、今、この家には誰もいないことを再確認する。
……そして、深く息を吸って、
「やったぁ~~!やったやった嘘じゃない夢じゃない……!本当っ!?ほんっっとに最高!
あああぁぁあ~~……!」
ベッドの上で一人レスリングをしながら発狂する女子高校生――人様には、見せられない。
両想いの人と成立して?
相合傘して?
雨の中でキスして……?
来週にはデート!?
……もうおなか一杯だ。あこがれてた漫画や小説の恋愛の世界そのものだった。
……さてと。
「――もう寝ないと。」
――ぜんぜん寝られなかった。
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