第4話 「あいつ、友達?」

 私たちの学校では今、文化祭の準備中だ。

 

 私はうちのクラスの実行委員なのでまあまあ忙しい。

 今年のテーマは「夢と魔法の国」になった――発案者達が目指してるのはディズニーのパロディみたいな感じらしい。

 先生たちは知らないのに、生徒の間では公式見解になっているので、かなり大胆にキャラクターの絵とかを使ってる。著作権とかよくわからないけど、大丈夫なはず。


 うちのクラスでは「ピーターパン」をモチーフにした脱出ゲーム?みたいなのをやることになった。ただの客寄せと言う口実だけど、「仮装は絶対やらないとダメ!」みたいなノリがあって、ピーターパンとティンカーベル役が選出された。

 ティンカーベル役の早苗ちゃんは、委員会本部の男子を説得というか口説いて、露出度の限界に挑戦した。ほとんどお尻が見えちゃってるけど……問題ない、はず。

 ピーターパン役は、司か晴翔かでクラスが大きく二つに割れたけど、私として心底どうでもよかった。

 結局、「ピーターパンは子供っぽさだけじゃなくてかっこよさも必要」みたいな理由で司が選ばれた。彩音たちはあいつを「イケメン」と呼んでいる……だいぶ違う気がする。

 暗にかっこよくないって言われてる晴翔がちょっとかわいそうだったかもしれない。

 司はまあ、当然と言うか女子には人気がある。


 男子の方は、本心だとウザいって思ってるんだろうけど、悪ノリで『似合う似合うっ!』とか言ってた。


 仕方ない。司の悪口言える奴なんて、いる訳ない。


 でも男子は大体、そういう特定の人のイジリみたいなことには熱を上げる癖に、肝心の準備(段ボールで看板作るとか)にはほとんど参加しない。ムカつく。

 今日は女子の都合が合わないから、実行委員四人だけでやることになった。……しかも、委員の一人は晴翔だった。

 私はまだ昼間のことで怒ってるから、しばらく晴翔をシカトすることにしてた。

 一日中怒ってるオーラを全身で放った甲斐あって、晴翔は作業中もちらちらと様子をうかがってはいたけど、話しかけるのを躊躇してた。


 ――そう。それでよろしい!


 晴翔はすぐ素直に謝るから、それじゃ意味ない。

 謝っても許したら駄目だ。いつ許すのか、とかそんなこと気にしない。いつまでも許さない。


 そうは言っても、コミュニケーションを極力減らして共同作業をするなんて非効率に決まっていた。しかも他の二人はやる気がないし、私と晴翔のせいで遅れてるのは明らかだったから「後は私がやっとく」って言って帰らせてしまった。


*********************************


……結局、ものすごく時間がかかってしまった。私のせいなのはわかってるけど、晴翔のせいだと思うことにしておいた。


 もう日が沈んであたりは真っ暗だった。


 しかも昇降口に立った正にその時、狙いすましたかのように、突然大雨が降り始めた。

 てっきり夜だから空が暗いのかって思ってたのに、その正体は雨雲だったらしい。


「うわ、最悪……。」


 当分、止みそうにない。


 霧岡県はここ最近、月に一度くらいのペースで必ず大雨が降る。

 原因は不明だけれど、海流の変化と天原山(あまのはらやま)がどうとか言うことが関係しているのではないか、とか言われてるらしい。天気予報も最近、『とつぜん大雨になるかもしれないので気を付けましょう』なんて適当な定型文を言うようになっている。


 ――親……は今日はいないし。友達、誰か残ってないかなぁ。


 ちなみに晴翔は他の二人がさっさと帰ったのを見て、私と二人だけになるのが気まずかったのか、少し遅れて帰っていった。私の知り合いはもう誰もいない。いたとしても傘持ってるわけない。

 天気予報では何も言ってなかった。知り合いどころかもう、人っ子一人一人いない。相当遅い時間だった。

 昇降口で、誰もいないとわかりながら、何となくあたりを見渡す。


「…………あ。」

「――あ、叶多。準備お疲れ様~!」


 ――なんでこんなに間が悪いの!


 そこに立っていたのは天愛司。


 ――そういえばこいつ、よく遅くまで残って自習してるんだった。


「今から帰るの?」

「うん……。」

「お疲れ様。……手伝ってほしかったら、言ってね。」

「……大丈夫だし。」


 司は遠慮がちに言う。

 司だけは「今日暇だから手伝う」って言ったんだけど、晴翔に止められた。

 私が怒ってることは、晴翔に言われてようやく気付いたらしい……無神経すぎてイライラさせられる。

 でも純粋な善意に対して文句は言えない。だから私はただ沈黙するしかない。


 司はカバンから真っ白な折り畳み傘を取り出した。私もそれくらい持ち歩いてればよかったのに、と後悔した。司はとにかく物の用意が良い。

 

 そういう意味では女子力が高い。傘、ティッシュ、予備のハンカチ、絆創膏――「司くんのカバンは四次元ポケット」とか言われてる。

 中学生の時なんか、私に「生理用品も入れた方がいいかな?」とか聞いてきたこともあった。もちろんやめておくよう全力で言いつけた。…………「女子力」、か。


「――もしかして、傘持ってない?」

「……うん。」


 思わず答えてしまった……次に何を言われるかは、簡単に予想がついた。


「僕の傘、貸そうか?」


 ――ほらやっぱり。


 そして私はこう答えるしかない。


「そしたら、司が帰れないじゃん。」


 でも、そんなことを言っても意味がないことは、わかってる。


「迎えに来てもらうよ。」

「……もう夜中じゃん。学校閉まっちゃうかもよ。」

「ああ、えっとじゃあ……。」


 私は焦っていた。

 次にどうなるかはわかる。間違いない、司だったら絶対そうする。

 傘を借りるくらいならまだ妥協できるけれど、「それ」だけは、私の中の色々なものが許さない。到底許されない……でも、たぶん断れない。そんな気がしていた。

 司の親切な提案は誰だって断れない、変な魔力みたいなものがあるから。


「――うーわ、最悪……。」


 そんな声が聞こえてきたので、思わず振り返る。この後のやり取りは、あんまり人に聞かれたくない、と思いながら。……その人は、一番聞かれちゃいけない人だった。


 声の主は結人先輩だった。スマホを触っていたからこっちには気づいて無かった。


 ――ダメダメダメ!司にはそういう配慮とかわからないしかといって言う通りにしたら先輩に誤解されるし最悪運悪すぎもう終わった……!


 ちなみにここまでの思考に要した時間は、わずか〇・五秒。

 そんなに頭が高速回転したにもかかわらず、解決策はないというのが結論だった。所詮私は低IQだ。

 初めて司を見た人に、彼の性格をわかるように説明することなんてできないし、相手が相手だから絶対言い訳がましくなってしまう。どうしようもなかった。


「……あー、園安先輩も傘ないんだ。じゃあやっぱり――」


そう言って司は私に傘を差し出す。


「これ使って、先輩と一緒に帰って。家の方向同じでしょ?」

「……え?で、でも、司が帰れなくなっちゃうって。」


 ――ていうか、なんで先輩の家知ってるの?


 私だってまだ知らないのに。


「途ヶ吉先生と一緒に帰るよ。」

「途ヶ吉先生……?えっと、その先生、車持ってるの。」

「持ってないけど、多分傘は持ってきてると思う。」

「折り畳み傘?」


 ――二人で入るには小さいんじゃない?


「ううん、普通のやつ。大丈夫、途ヶ吉先生の天気予想は外さないから!」

「いや、でも……。」


 いや、でもさすがに人から傘借りて、その本人が帰れなくなるなんて人としてあり得ない。しかもそれで、間接的に知らない人に迷惑かけるなんてなおさらだ。


「あ……叶多?」


 先輩が私に気づいてしまった。その瞬間、思わず目を合わせてしまった私の顔のぎこちなさを見て、先輩の顔も強張る。


「いいからさ、はい。」


 私が反応に迷ってる間に、司が傘を手渡してきたので何となく受け取ってしまう。


「え、あ……。」


 司は私に「じゃあね!」と呼びかける。

 その際笑顔で、仲のいい女子同士でするみたいに、ぴょこりと前かがみになって顔を寄せてくる。

 私が怒ってることは忘れたわけではあるまい。

 私はわかっていた。司は私に対しては無自覚に、そう言う振る舞いをしてしまうんだって。

 でも幸い、私はそれくらいで動揺はもうしない。今も多分、全然普通だったはずだ。


 司は先輩の脇を堂々と通り過ぎて去って行く。「先生」のところに行くらしい。


 先輩は司の方を振り向いたまま、ぼそりと私に尋ねる。


「……あいつ、友達?」

「あ……はい。」

「……何の話してた?」

「え……。」


 私はやましいことなんてないのに、つい答えに詰まってしまう。疑ってくださいと言ってるようなものだった。


「傘、これ……私、持ってきてないからって、貸してくれて……。」


 先輩の顔は険しい。


「…………へえ。仲いいの?」


 明らかに、ネガティブな感情が籠った声だった。


「仲いいって程じゃ、ないですけど……あ、あの子、誰にでも距離感近いから……。」

ものすごく、まずい。

「へぇ、キモいね。」


先輩はさらりと毒を吐いた。


「え……。」

「なんかさ、ぶりっ子みたいなの?男のくせに。ああしてればモテると思ってんのかなぁ?気持ち悪っ……まじで、もう吐き気してきた。」


 先輩は笑ったまま、私の心に言葉を擦り付けるように口早に言う。擦り付けられたその湿気の多い言葉がそのまま乾いて、張り付いたままにしておかなければいけない気がした。


「あ……そう、まあ、変人なんです。なんか、一部の女子には人気、ですけど……。」


私は無理やり答える。


 初対面でそこまではっきり彼に憎悪を向ける人がいるとは思っていなかった。それに、それを先輩が言ったって言うことが、なぜか、すごく嫌な感じがした。「キモい」……確かに、私だって、司に心の中でそう言う悪口はしょっちゅう言ってるはずなのに。


 なんだか、そこまで敵意を持って言われるのは、なんだか……嫌だった。

 

 別に庇いたいなんて思ってない。そのはずだ。


 ――でも、そんなの、そんなの……。


 私は自分のもやもやした気持ちの理由を探そうとした。


「……叶多は?」

「え?」

「叶多はあいつのこと、どう思ってるの?」

「どう、って……。」


 私は困惑した。その質問が意味するところは、分かる……でも、どうしてそれを私に聞くんだろうか。


 私が好きな人が誰かなんて、知ってるはずなのに――信じてもらえて、ないのだろうか。

 

「……普通ですよ。好きじゃないけど、お人よしだなって言うか。でも、特に嫌いでもないです。普通に友達でいても、いいかなってくらい。」

「……あ、そう。」


 そう言いながらも先輩は、私の動きの少ない顔の上に、ものすごく細かく視線を走らせている。


 ――そうだ。わかった。


 どうして、嫌な気持ちになったのか。


 ――そんなの先輩らしく、ないからだ。


 先輩があんな風に人の悪口言う所なんて、聞いたことない。

 私が知らないだけかもしれないけど。

 でも先輩は、わざわざ人の悪口を言わなくても、いつも誇り高いって言うか、キモい奴らのことなんてそもそも眼中にない。私の中にそう言うイメージがあったから、ちょっとショックだったのだ。


「……まあいいや。……そう言えばさ、愛本の家って駅の方だろ?」

「あ……はい。」


 先輩がいつもの優しくて砕けた様子に戻って、私はホッとする。


「じゃあ俺と一緒だ。」


 先輩はそう言いながら、突然距離を詰めてくる。

 私は思わず後ずさりながら言う。


「え、そうなんですか……?」


 司の情報は合っていた。


「悪いけどさ、俺も傘持ってなくて……駅まで相合傘、お願いしていい?」


 先輩は私の顔を覗き込みながら言った。何かを、確かめるように。


「……は、はい、ぜひ。」


 確かめるまでもなく、私の顔は真っ赤だった。


 先輩はそれを見て、ようやく満足そうに笑う。


 私の嫌な気分も、すっかり吹き飛んでしまった。

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